人生を”真正面”から生きるとは、どういうことだと思うか。『慣れ合い』ばかり求める人間は、自分が人生を、”楽しんで”いると思いこんでいる。私がそうだったから、このことについて強く主張できるのだ。『慣れ合い』をする人間は、『自分のその場』が少しでも『快楽』に包まれ、『安楽』を得られるならと、本来自分を育てるはずの、あらゆる試練や訓練から目を逸らす、弱者、負け犬である。先の自分のことはおろか、慣れ合いに巻き込んだ相手の人生に与える影響、先の自分の家族のことを考えることが出来ない、愚か者である。
18歳の時、私を含めたある血気盛んな不良たちの集団に向かって、恩師である先生が話をしていた。先生の話はきちんと聞かなければならない。その環境は、男子校よりも軍隊寄りのレベルを想像してもらうとわかりやすい。私語など厳禁中の厳禁。座るときの手の位置や、足の幅、背筋、目線、ルールを守れない不良をまとめるのだ。全てが通常レベル以上に求められる、シビアな環境である。そんな中、ある人間、AとBが、後ろでコソコソと笑い合って、私語をし始めた。彼らは残念ながら、『そのルールを守らないこと』が、不良で、格好いいことだと思ってしまっていたのだ。
確かに、誰でもそういう経験はある。だがその時我々は既に、18~21歳程の年齢である。他の人間は黙って先生の有難い話を聴いているのに、彼ら二人は、『慣れ合い』を求めた。そこにいた全員が彼らのことに気づき、彼らとどう向き合うかどうかが頭をよぎった刹那、剣道は6段の猛者であるその先生は、図太い声で言った。
『A、B。おまえらは、女子中学生か。』
この一言で、普通、下手な学園ドラマであればドッと一笑い起きるだろう。だが、我々のいた環境は、そうやって人の失敗やミスの揚げ足を取って、人をコケにしたりあざ笑ったり、見下したり、陰口を叩いたりするような、卑怯で、弱くて、三流の人間がやるようなことを、良しとしていなかった。だが全員が心で思っただろう。
(一本!)
皆の前で恥をかき、彼らは赤面し、ピタリと慣れ合いを止めた。止めざるを、得なかった。薄々、自分達がしたことについての後ろめたさがあったのだろう。あるいは、元々『見栄』に支配されてやっていた為、その場でそれ以上それをやることが、『見栄え』が悪くなるとわかったのだろう。彼らは慣れ合いという”楽”をした結果、恥をかき、”楽しくない”思いをすることになった。そう、彼らは、”楽”と”楽しさ”の意味を履き違えていたのだ。確かに彼らは、我々と同じように、『きちんとした姿勢で、ルールを守り、説教とも言える話を聴くというルール』を破ることで、一時的に義務から解放され、”楽”が出来たかもしれない。
だが、人生を”真正面”から生きるとは、どういうことだと思うか。一見するとバカ正直に”苦労”した様に見える我々は、先生の有難い説教を真正面から受け止め、文字通り人生の黄金律を、”説いて教えて貰った”。つまり、我々はその黄金律をその後の人生のあらゆる場面で活かし、 “楽しい”思いをすることができるのだ。
例えば、『人の話を聴く能力』に、『問題解決能力』。人生を生きていれば必ずその能力が問われる場面に直面するが、先生は、その時の心構えや対応についての、原理原則を説いて教えてくれていたのだ。試練や問題をクリアできたときの達成感や喜びは、一時的な快楽の、比にならない。それどころか、二次的な要素として『自信』にも結び付くから、雪だるま式に、己を自己実現への道へと進ませることができる。
そして、その恩恵は自分の人生だけでは留まらない。子孫に黄金律を教え、連鎖させることが出来れば、200年、300年という長い間、生き続ける。その為に我々は、賢者の言葉に耳を傾けるのだ。それがわかっていれば、どうして『(間違いなく現時点で未熟な)自分のその場』だけのために、そのチャンスをふいにすることが出来よう。まず人は、そうした絶対的な謙虚さと、時間感覚を徹底的に知る必要があるのだ。
ニセモノの人生を送りたいのなら、自分を甘やかし、”楽”を求めればいい。だがそれだと、得られる経験値や感動、上がれる段数があまりにも少なすぎる。私なら、そういう人生を生きれば、死ぬときに振り返って、後悔する。人間にとって、それほど虚しいことはないだろう。ホンモノの人生を送るべきだ。人生で起こる全ての試練やドラマに、真正面から向き合うべきなのだ。容易な道ではないだろう。だが、それ(茨の道)こそが、ホンモノの人生を楽しむために、通るべき道なのだ。
『ラブーン…………!!お前が50年もの間…そこで待っててくれていたのなら…あと1、2年だけ…辛抱してくれませんか?私にも……海賊の意地がある!!!壁に向かって待つお前とは約束通り”正面”から再会したい!!!』
“楽”をしたらそれで終わりだ。何もかも半減する。人生を真正面から受け止め、人生を120%楽しもう。それが”儚い”運命に生まれた人間の、”尊い”意地だ。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。