人として生まれたのだから、 “人”として生きることを私は全ての人に推奨したい。
byヘンリー・ミラー
として”薄い”と、5Fの衝動に突き動かされて人生を生きてしまう。5F、つまり、
という、全ての人間という動物に植えついている、生物として当然の欲求である。10代の健康な人間なら誰でも、これらに突き動かされてどうに求められない衝動に駆られたことだろう。それは、まだまだ人として、薄かったからだ。大人になればなるほど、それを自制する自制心が成長する。”野性”から”理性”へ。 “動物”と”人”との圧倒的な差は、その”理性”にあるのだ。
だが、中にはそのまま”5F”の支配から抜け出せない人間がいる。上に挙げたヘンリー・ミラーの言う意味とは、Freeing(解放欲)の支配からの脱却。恐れるな。痛みも、虚しさも、悲しみも、心が喜ばしいと感じること以外の全てのことさえも、生きているから、感じることができているのだ。それから逃げるということは、”人”を、辞めるということなのである。
『守破離』で言えば、人として他人やコミュニティでの人間関係が、スムーズになることを考えて学んだ、基礎的な段階が『守』。そして、上に挙げたような原理を理解して、それらを支配しながら、克己心、道徳心を持って生きるのが 『破』。ということである。つまり人として”薄い”という意味とは、それで言えば未だに『守』。人間としての段階の、まだ最初の場所に居るということなのである。そう考えると、何か、勿体ない気持ちにならないだろうか。
私は、なる。世の中には、その『守』と、『破』を経て、『離』の境地に達した人間達が、確かに存在する事実があるというのに、その境地に達さず死ぬのは、勿体ない。
『危険だ、という道は、必ず自分の行きたい道なのだ』
by岡本太郎
『バカげた理屈だと人は笑うだろうが結構じゃねぇか!!それでこそ!!!ロマン!だ!!』
byユング
横一線を見て、他の人がどうとか、そういう屁理屈を言っている時間はない。この人生は、『有限』である。金環日食や、地殻変動を遥かに凌駕した、たった一度の奇跡的なこの自分の人生を、思いっきり生き貫く勇気と、楽観性を持つべきである。
by坂本龍馬
“出る杭”で打たれた時は、偉人たちの言葉を思い出せばいいだけだ。おそらく、たまたま自分の人生の周りに居るような人間からは、到底彼らと同じ”厚み”を持った助言は、出ないだろう。助言を求める相手を、見誤らないことだ。
byハインリッヒ・ハイネ
───人に嘲笑された。
───人に批判された。
おめでとう。それは、自分の人生が新たに始まった、プロローグ(序章)の鐘の音である。あたなが憧れたのは、全ての地球人がその実力を”すぐさま理解できた”、Mr.サタン?それとも、”奇しくも”、そのサタンよりも下に見られた、孫悟空?私のことを他人がどう言おうと知ったことではない。私の生きざまの理由は至極単純。私が憧れたのは、孫悟空の方だ。
関連ページ:『孫悟空』と『ミスター・サタン』
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。