“自由”とは、自分の私利私欲や本能に身を委ね、場当たり的に、衝動的に、人生を生きて見せることではない。何を隠そう私は以前、”自由”の意味を履き違えていた人間の一人である。この世の一切のしがらみから解放されたくて、上に挙げたような生活を送り、そして結局、”自由”を奪われたのだ。
(”自由”を求めたのに、”自由”を奪われた…一体なぜだろう…何が間違っていたんだろう…)
かといって、不愉快だったしがらみが正しいとは思えない。だが、がむしゃらにそれから解放されようと開き直っても、今度は自分が痛い目を見る。なんだか理不尽な話だが、私の場合、まあ、こういう思いをしているのは私だけではない、と考えると、普通の人生を送りたくないと思っている私にとって、
(皆と同じ悩みなら、さっさと解決して次に進まなければ)
と思って、”脱出口”を見出すことが出来たのだ。
極論を言おう。何が”自由”な生き方か。それは、『自分は”自由”だ!!』と”思えば”、それで”自由”なのである。もちろんそれは、腹の底からそう思わなければ嘘になるということは、自分自身が一番よく理解るはずである。こういうとき、『戦後』の『平和ボケ』した、『先進国』の『小僧』が知る世界だけで判断してはいけない。『カオス(混沌)』の、『アナーキー(無政府、無秩序)』に生きる、『発展途上国』や、『戦争』に巻き込まれて食事もままならず、衛生面も悪くてろくに生活を送れない人間。人間について語る時は、当然そういう人たちも、含まれていなければならない。では、そういう人達にもその”自由”の定義は当てはまるか?
答えは”YES”である。こういう言葉がある。
『刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』
この人生、70億通りもあったらそれは、中には過酷な状況、環境で生きなければならない人生もあるだろう。だが、そんなときでも人は、『泥を眺める』か、『星を眺める』かという、 “自由”を与えられているのだ。『過酷』か『過酷じゃない』かも、それぞれが決めることなのだ。先進国でぬくぬくと育った私は、家で虫を発見しただけで発狂するが、途上国では、その虫に感謝し、食することもある。虫だらけの環境は、平和ボケした私にとっては『過酷』だが、彼らにとっては『過酷じゃない』のだ。『自由』か、『自由じゃない』かも全て、自分たちで決めているのだ。
『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
人間は生まれながらにして自由ではなく、自由になっていくのだということを主張している点で、ソクラテス、ブッダ、イエスは一致している。人間は無知から脱却することによって、真実と虚偽、善と悪、正義と不正を区別することを学ぶことによって自由になる。自らを知り、自制心を持ち、分別を持って振る舞うことを学ぶことによって自由になる
だから、”自由”については決して安易に、そして短絡的に考えてはいけない。権力者の頂点に数えられる大統領や皇族、ローマ法王などが本当に”自由”か、短絡的にならずに、よく考えてみればわかる。歩きまわる度に警護がついたり、顔がさしたり、不必要な外出を認められなかったり、メディアや世の中に人生を露出しなければならない義務を負っている彼らを、必ずしも人は”自由”だとは思っていないだろう。
かといって、最底辺に数えられる先進国の浮浪者はどうだろう。彼らには一見何の責任も義務もないように見え、気楽に見えることもあるかもしれないが、ゴミ箱をあさったり、人に軽蔑されたり嫌がられたり、あるいは日本の中学生にリンチされたり、アメリカのギャングに射的の的にされたりするリスクを負っている事を考えれば、彼らのこともまた、必ずしも”自由”だとは思えないだろう。
資産家の子孫が、実に100億もの大金をカジノですった。普通、100億もあれば、”自由”だ。そう考える人は多いだろうが、彼の場合、”自由”の意味を履き違え、そして”自由”を奪われた。暴”力”、財”力”、権”力”の頂点に立ち、”支配者”になれば”自由”。これからも、そういう考えを持って人生を生きる人は大勢現れるだろう。だが本当に”自由”な人間とは、そういう一切の”力”に屈しない人間だ。自分の”尊さ”と”儚さ”を理解していて、世の中が”諸行無常”だと悟り、命を”愛する”ことができる人間だ。
『この強固な海を支配できるか?』
『支配なんかしねぇよ この海で一番自由な奴が海賊王だ!!』
心底から『自由だ』と言えるのは、思い残すことが無いような人生を送った人間だ。自分に与えられた命の日数や、裁量がどれぐらいあるかはそれぞれ違うが、そこに『運命』はあっても、『差別』はない。そう考え、その中で、一人ひとりが出来る限りの人生を送る。つまり、『命を使い切る』ことを念頭に置いている人間こそ、”自由”を手に入れた者なのだ。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。