byジャン・パウル
自分の快楽の為に、自分の人生をより生きながらえることを考えてしまう。人間は、そういうものだ。皆、弱いのだ。皆、儚いのだ。だから少しでも多く、快楽を体験したいと願う。だが、この人生、生きながらえてどうする?今この問題から目をそらす人も、必ずいずれ、この問題と向き合う日が来るだろう。それが、早いか遅いか、ということだけだ。私は、父親を早く亡くしたから、人よりも早く、この問題と向き合うことが出来ている。遅い人は、死の床についた時かもしれない。だが、必ず人生を振り返るときがくる。
(これでよかったのか…?)
(あのときは、あれでよかったのか…?)
『もしエースを救えなかったら…おれは後で…死にたくなる!!今戦う力を…俺にくれ!!』
(自分が生きながらえるために取った、あの選択に、悔いはないか…?)
かつて私は自分の快楽を捨て、友人とのなれ合いを断絶し、前進を促したが、友人たちはそれを拒み、私という存在を闇に葬った。それはそうだ。10数人のパラダイムを変えるより、私というたった一人の脅威を締め出せば、自分たちが”楽”になれる。友人は自分たちの、快楽を選んだのだ。私がかつて学んだ場所では、あり得ない選択肢が与えられているからだ。『逃げる』という選択肢が、与えられているからだ。その場所では決して見て見ぬふりはできなかった。だが、この社会では、それは簡単にできる。
本当に、自分たちの快楽を最優先したまま人生を先に進める気か?本当に、ブラックマネーで稼いだお金で、子供を育てる気か?本当にそれは、自分たちが幼少期に体験した、負の連鎖を生まないか?生きることに執着する気持ちも、自分達はこういう人間だと、卑屈になる気持ちもわかる。そして、排他的になり、自分たちを脅かすものを淘汰しようとする気持ちもわかる。私もそちら側にいたから、よくわかっているのだ。気持ちをわかっていなければ、場の主導権は決して握れない。
だからこそ、私は皆の為に思い切り”面”を打った。自分の快楽を、代償にして。悔いなどない。むしろ、あのまま見て見ぬふりをして生きながらえていた方が、大きな悔いを、生んだから。”出る杭は打たれる”。打たれる?それがどうした。私はこれが、初めてではない。打たれないようにして友人に面一つ打たず、生きながらえる卑怯者には、私はなり下がらない。私が『腐ったミカン』なのか、『醜いアヒルの子』なのかは、真理が、必ず答えを出してくれると確信している。
byシェイクスピア
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。