人間というものは自分から関係が遠ければ遠いほど、 感情が入らなくなる。 それはつまり、関係性が遠くなるということ。 大雑把に言うと、 『家族⇒友人⇒他人』 という具合に、関係性が薄くなる。 家族が亡くなれば、多くの人は涙し、深い悲しみに浸るだろう。だが、今もどこかで他人が命を落としているということに関しては、 人は無関心だ。 これをどう表現すればいいだろうか。『自分勝手』、『自己中心的』、『自分本位』、『薄情』。 改めてそこをフィーチャーすると、確かにそういう印象を持ってしまう。
だが、そうしてしまうと、人間のほとんどが、 そういうネガティブな印象になってしまわないだろうか。 しかしそれが事実だ。人間全員が他人の気持ちを理解できるようになれば、 この世に戦争など起きない。しかし、遠い人どころか近くの人も理解できず、 あるいは今も尚続く全ての争いこそが、人間が恒久的に愚かだと言うことを物語っている。
だが実は、人間は最初、『他人の気持ちを理解できなかった』と言われている。はじめて理解できたのは遥か昔、相手が小指をどこかの角にぶつけたのを見たとき、 スネをぶつけたのを見たとき等だというのだ。
(痛いっ!あれは痛いんだよな)
自分も経験したから理解できる。 それが、人間が初めて他人の気持ちを理解できた瞬間だという。 だとしたら人間は進化しているではないか。そう、ポジティブに考えるべきだ。
『遠くへ行かれたら 守れなくなる!!!』
自分の身の周りの人の気持ちを理解して、 その為に全力を尽くす。それしか出来ないのなら、それを全力でやるべきなのだ。 それは決して無駄にならない。人間の記憶に、そしてDNAに刻み込まれるからだ。 正の資産はもちろん、負の資産をも資産に変え、 人間は進化し続ける。
アインシュタインもこう言っている。
我々は失敗しながら理解して、前進していくしかないのだ。 東日本大震災のとき、遠い異国の子供たちが、 日本の為に祈りの歌を歌い、涙してくれていたのを動画で見た。 どういう歌詞かは分からない。『祈り』が宗教絡みであれば、普段の私なら首をかしげる。だが、 あのときばかりは『そういうこと』は一切関係なかった。 ただただ、こう思ったのだ。『人間は、捨てたものじゃない』と。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。