人間は、極端な判断が出来る人間の方が、大成する。自分が何のために生まれて、何のために生きているのか、死は本当に訪れるのか、そういう答えを曖昧にして生きている人間は、文字通り”半端”になる。色で言えば、生きるが『白』、死ぬが『黒』、生きているのでも死んでいるのでもない者が『灰色』である。曖昧な選択肢を取っている人間は、『灰色』なのである。
このことについては、たった1日前に明石家さんまが言っていたこの発言が、芯を捉えている。
『私の人生のどん底は、離婚とバブルが弾けた時。負った借金も、中途半端ならいろいろな選択肢があったかもしれないが、幸か不幸か、自分に課せられた借金が半端な額じゃなかった。喋るか、死ぬかという二択しかなかったらそりゃ、喋るのを選択するでしょ。』
人は、”進化の時期”を体験する前に必ず、 “深化の時期”を経験する。明石家さんまの場合は、深化の時期とは文字通り、深くまで堕ちた、そのどん底だったのだ。そして、『灰色』に生き、無限にあると思っていた選択肢から、究極の二択を選ぶことを余儀なくされた。『白』か、『黒』である。
創業者だった私の祖父母も3億、矢沢永吉も5億、加山雄三も20億、皆、それを乗り越えたときのモチベーションは、明石家さんまと同じだったのだという。イチロー然り、ベッカム然り、ミケランジェロ然り、この世で何かを大成している人間は、常に自分に極端な選択肢を課している。
『死ぬか生きるか二つに一つよ どう転ぼうと構わないわ!!私はもう…日陰には帰らない!!!』
私自身、このことについては深く共感を覚える。無数にあると思った退路や脇道を絶ち、自分の生きる道を深化の時期を通して内省し、見出した白い道。
(この道に間違いは無い。)
そう確信できる道を見つけ出せるかどうかが、人間に与えられている試練である。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。