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ロブ・ルッチ『一市民が巨大な政府に…盾つくものじゃない…!!!』

私は物ごころがハッキリしてきた頃から、 “上”に不満を覚えていた。 “上”は、基本的には年上である。なぜかと言うと、親の信仰の強要に不満があったからだ。だから私は、早くから自我が発達し、『自分は自分、他人の考え方は、自分とは関係ない』と考えるようになったのだ。中学2年生頃からある程度の”力”がついたので、その不満を思い切り表に出すようになった。どいつもこいつも、自分の本当の悩みには一切触れない、当たり障りない話しかしない。自分としては、”それ”が解決しなければ、決して前には進めない身体になっていたのだ。それから3年間は、激動の”脇道”をひた走った。そして、類稀なる経験をすることになったのだ。

 

19歳前半の頃、まだまだ私は”上”に不満ばかり抱いていた。まずは例の、『大検追試の件』である。一度落ちたのに、そのすぐ後に40万の追試料金を払ったら、同じ問題を受けることが出来、受かったのだ。この時は、その社会の仕組みに不満を抱いた。そして私は大検を取ったのにも関わらず大学受験をしなかった。(結局は金か。)ほとんど拝金主義者スレスレの心を抱くようになった私は、自分で働いて少しでも多くの金を稼ぐことに目を向けるようになったのだ。

 

だがその頃、割と高給だった派遣の会社で、ヨドバシカメラでADSLのプロバイダの店頭営業をすることになるが、会社の都合でコロコロと場所を変えさせられて腹が立ち、(自分はコマじゃない)という思いの一心で、辞めた。それから、19歳後半についた職場では、上司の高圧的で支配的な態度に反感を丸出しにし、

『お前に言ってない悪口はないぞ』

『俺は血気盛んな工業高校出てるが、お前ほど言うこと聞かない奴はいなかった』

 

と言われるほど揉めることになった。そこを紹介した先輩にお前の態度を言うぞ、とか、その更に怖い元締めの先輩に言って取り返しのつかないことにするぞ、とか、そういう脅しはいくらでもあった。そしてとうとう、表面的には

『俺はお前を見捨てたわけじゃない』

 

と捨て台詞を吐いたが、実質は勤務先を別の店舗へと飛ばされる結果になった。その元締めの先輩は言った。

『お前はおれ達と同じ不良出身だから、言うことなんか聞かねえよ。次の店の店長はよ、今のとこと違って、ベラベラと口達者に説教するんじゃなくて、怒らせたらぶん殴ってくるからよ。あいつは喧嘩最強だから。』

 

そうして私は、その”口より先に手が出る”会社へと移ることになった。まったく。”出る杭は打たれる”とは、よく言ったものだ。私は自分の自我を露骨に表面に出すようになってからのその6年間、何度”周り”に、”上”に、”組織”に、圧力をかけられ、あるいは潰されそうになったことか。彼らの言うことを聞いていたら私は、彼らにとって都合のいい存在にしかなれない。それは、不公平ではないか。私が心底で常に燃やしていた感情は、そういう感情だった。

 

 『一市民が巨大な政府に…盾つくものじゃない…!!!』

 

だが、その19歳後半のその『転勤』先で、私は初めて”恩師”以来、直属の上司から自分のこと(実力)を正当に評価されることになるのだ。先輩から呼び出され、大勢と食事会をする最中、転勤を聞いた瞬間、私は『わかりました!』と元気よく即答した。そのあまりの即答ぶりに先輩は、

『え?お前知ってたの?』

 

と言ったが、初めて聞いたことを伝えると、

『じゃあなんで即答したんだよ。お前面白いな。』

 

と笑った。ただ私は、男として女々しいのが嫌なだけだ。そこでうじうじし、優柔不断に迷ったり、悩んだりして見せて、『え?…あ、は、はい。…でも、あの…転勤ですか?』などと無様な醜態をさらすくらいなら、はじめから常にどういう結果になろうとも言い訳をしないという覚悟を決める。そういう覚悟の一端が、表れただけなのだ。

 

(口より先に手が出る?確かにそれならある程度気を引き締めなければならないが、だとしても別に、自分らしさを潰して生きていく理由にはならないだろう。もし自分が悪いと思わないのに殴ってきたら、その時はどんな結果になってもいいや。)

 

そんなことで戦々恐々に陥るほど、こっちも平凡な半生を生きてきていない。私は、ある種の戦争に行くような心構えで、警戒心だらけの、アウェイ中のアウェイのその店舗に移ることになったのだ。そして仕事は始まった。やはり私はその店でも、自分のやり方を変えることはできなかった。だがどうだろう。その店の店長は、やはり前の店とは違って、私がちょっと自我を露出したところで、口を出さない。もちろんそれは、『一線を超えたらいつでもぶん殴る』という事実を示しているのだろうが、私は結局、殴られることは無かった。

 

その店長も、私が血気盛んなことはわかっていた。だが、よく観察したら私が一線は超えていないということを見抜いたのだ!そして私はその店で、前の店の売上の3倍以上の売り上げを上げ、店では常に、1,2位を争うほどの活躍ぶりを果たすようになったのだ。その頃には、アウェイ中のアウェイで、一触即発の空気さえ確認できた我々の仲は一気に縮まり、店長は、『お前は俺に似てる』、『口じゃなくて、行動で示すタイプだ』と絶賛してもらうまでになり、会社を辞めるときには引き抜きもされた。

 

元締めの先輩は言った。

『結局、前の店長は、お前を扱いきれなかっただけだったようだな!』

 

これは、私の『下剋上物語』の、ほんのワンシーンだ。 その後も何度となく、巨大な組織、財力、権力、腕力に圧力をかけられ、時には脅され、自我を潰され、出る杭を打たれてきた。 そしてそれは、これからも生きている限り、続くことだろう。 前に出るということは、上に行くということは、そういうことなのだ。私のそういう戦いを知らない表層的にしか人を判断できないような連中は、私が23歳で起業したとき、その手柄を、私以外の何かの存在のおかげと、否認した。もちろん彼らには失望し、縁を切ったが、私は断言する。自分の身の回りで起きていることが、全て自分の”責任”だと理解していない人間は、掴める明日も、拓ける未来も、矮小である。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。