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コーザ『俺たちはみんな”恐いし”…”戦いたくねぇ”んだ』

血気盛んな少年時代を過ごした私は、その仲間もまた同じように野心ある人間が多かった。ある時私が会社を起業することになると、私を慕う人間が入社を志願してくれたのはいいが、『僕は入れた方がいいですよ』という発言に、私は違和感を覚えていた。その後、何度かその意志や、目的を確認する面接のようなものを経て、彼が入社することになったが、彼は、もう安心だと思ったのか、私の目の前で、彼の同い年の友人に、こう言うのだ。

『いやー、キャバクラのオーナーとかやりてぇよな!』

 

その時、私が前回感じた違和感と繋がった感覚を得た。すかさず私は言った。

『お前、キャバクラのオーナーやりてぇの?だったら、うちの会社は辞めた方がいいよ。俺はやらねぇから。』

 

彼は私のこの発言を予期していなかったようだ。なぜなら、私は会社を起業したとたん、水面下に隠していた『責任』というものを呼び覚まし、人格を変えたからである。普段周りを楽しませることに徹していた私から、そんなズバリとした発言で釘を刺されるとは想像していなかったのだ。

『…いや、でも、あなたの下で、枝ですよ。あくまでも。』

 

彼はそう言うのがやっとだったようだが、私は彼がなぜこう言ったのかという心理を、こと細かく説明できる。だが、彼の意見は私とは”不一致”だ。 “不一致”な人間とは、いずれにせよ人生を共にすることはできない。人生は、そうなっているのだ。私は起業してからますます、”不一致”な人間とは一緒の空気を吸っていない。

 

『じゃあ帰れ。意見の不一致だ。俺たちはみんな”恐いし”…”戦いたくねぇ”んだ』

 

私は”お金”など本当はいらない。だが、それがなくては生きていくことも、やりたいこともできないのだろう?だからやむを得ずやるだけだ。確かに金を重視したグレーゾーンの仕事は何度も挑戦した。それは、生きていく為だった。野心の為だった。しかし、くだらない仕事には、やはり命を懸けられなかった。本能が、それを訴え続けていた。それらの周りに在る人間や環境を、拒絶していた。人間としての矜持を忘れて、野心に支配されて生きていくのは、無様だと悟ったのだ。

 

それを植えつけてくれたのは、親と、親が持っていた聖書ももちろんそうだが、私は個人的に、 “恩師”のおかげだと、言いたい。一番恐れるべきなのは、自分のこの一度しかない人生を、欺き、偽り、嘘をつき、悔いを残し、そしてそれを子孫に連鎖させることだ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。