尖閣諸島(中国)、竹島(韓国)、北方領土(ロシア)、拉致問題(北朝鮮)、普天間、嘉手納にオスプレイ(アメリカ)。日本が抱える外交問題は、根深い。トラブルばかりでスムーズにいかない、今の形が人間として最良の形ではない事は誰の目にも明確だ。そもそも、なぜ国は分かれているのだろうか。私はそういう、根本的なことにしか目がいかない。私は20年前、英語を習っていた。中学クラスの英語であれば、点数は常にずば抜けていた。だが、途中で思った。
(なんで英語を習ってるんだろう。どこで英語を使うんだろう。親も、学校も別に、その目的を強く主張しない。なんとなく習っている形になっている。共通語とは言うが、使えない国もあるよなあ。イタリア語、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語、別にアメリカに住んだり、旅行することが人生の目的じゃないのに、他の国の言葉だって習うべきなのに、どうして英語を習わなければいけないんだろう。
てか、自分の国での問題(家庭の問題等)が山積みなのに、習う気になれないなあ。)
そもそも、英語に合わせなければならないのが納得がいかない。その背景にあるのは戦争や、権力への同調、追従、私が最も嫌悪感を示す理由がたっぷりと揃っている。
(なぜそれに従わなければいけないのか。それに、なぜ皆同じ共通語ではないのか。皆が白と言うからといって、私が白と納得しなければ白ではない。言葉を覚えるのは結構大変だ。それに時間を費やしてもいいし、費やさなくてもいいという雰囲気も、納得がいかない。それに何より、それをやれという、親や、社会に納得がいってない。)
10年ほど前、私はこう思った。
(いつか翻訳の技術が発達して、インカムか何かでお互いがしゃべれば、他国の言葉でも簡単に通じる日が来るのではないだろうか。だとしたら、外国語を習うのに時間を費やしたのがばかばかしくなりそうだ。俺はどちらかというと、世界のいろいろな国に旅行したい。
その時に、英語が使えない国だと、いくら流暢に英語を喋れたって、またゼロからやり直しだ。他の国の言葉を習うだけの時間やお金があればいいのだが、 自国で抱えている様々な問題を解決するのに手いっぱいで、 そんな時間やお金は作れない。)
つまり、時間管理のマトリックスで言えば、私が以前主張していた意見は、言い訳がましい分野でもある、第1領域の『緊急』である。このマトリックスで考えれば、そこに支配されて生きていたから、そう考えてしまっていたということになる。本来、外国語を含めた勉強は、第2領域の『価値』である。四の五の言わずにその『価値』あることを追求していればよかったのだが、当時の私はそこに気付くだけの器量がなく、いっぱいいっぱいだったのだ。
だがどうだろう。昨日ニュースで扱っていたのは、『同時通訳システム』の説明だ。これは、私がかつて思い描いた翻訳の進化と同じ発想の道の上にあるのではないだろうか。そう思うと、あのときの私の判断は本当に『緊急』に支配されていたのか、それとも『価値』を見出していたのか、雲行きが怪しくなってくる。
つまり、もしかしたら後50年もすれば、
『なんで外国語を覚えなければならないの?翻訳機能があるじゃん。そんなことに時間を費やすのは、有意義じゃないよ。もっと他の第2領域のことに目を向けるべきなんだ。』
という常識が蔓延している可能性が、十二分にあるのだ!(もちろん現段階では、現生において英語を覚えておくことは超有利である。)『常識』など、変わる。
50年前、『アメ公』、『ジャップ』と罵り合った愛国精神から来る当時の常識は、今を生きる現代人からすれば、『非常識』である。『常識』は常に疑うべし。『常識』は所詮、”現生の大勢の人が抱えている固定観念”にすぎない。50年後、500年後ですら変わっていない『真理』にだけ目を向ければいい。例えば、『無知の知』、『愛』、『諸行無常』、『義利合一』である。これは、ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子、といった『四聖』が息をしていた過去も、未来永劫においても、揺るぐことのない、真実である。
また、私が人に勧めるべき本の第一位に挙げる、全世界2000万部の大ベストセラー『7つの習慣』では、『原則主義』という考え方で、それを説いている。あれこれという表層的なものに支配されてはならない。もっと根本的な、『原則』に目を向けるべきなのだ。あの国の政治とか、この国の言葉とか、 そういうことは、本当に人生にとって、 『価値』があり重要(第2領域)なのだろうか。たった一度の人生で、この広すぎる宇宙の同じ星(地球)で、同じ人間に生まれて、本当に今在るべき姿(国、言葉、宗教の差別化、対立)が、好ましいのだろうか。
『おまえたちそのものがこの国なのだ 潰し合ってはいかん』
人間にはまだまだ、目指すべき”上の境地”があると確信する。国の数が増え続けることは、”上”なのか、”下”なのか。それは、これからの人間全員で、答えを見出だしていかなくてはならない。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。