由緒ある家系(企業)では、その血を、教えを、資産を、そして子孫の繁栄を守る為に、徹底した家訓を持つ。例えば薬局の最大手マツモトキヨシの創業者、松本清の家訓では、家の正門をくぐれるのは、全ての礎を築いた松本清本人だけであるという。後の家族は裏門から入らなければならない。松本清が亡くなった今も尚、固く守られている家訓である。
このように、守るものもなにもない家系もあればがんじがらめの家訓で固められた家系もあるわけで、どちらの人生が自由で、恵まれていて、楽しいか、傍から見ただけではわからないものだ。ときには自分の人生が背負う運命に嫌気がさす事もあるだろう。貧乏は金持ちの自由に憧れ、金持ちは貧乏の自由に憧れる。
現実逃避をしたり、ドロップアウトしたり、人は自分の人生を簡単には受け入れられず、運命に逆らったり、逃げだしたくなってしまう。それは悪いことではない。むしろ、良いことである。反抗期もそうだが、それは自分の”自我”がそうさせているのだ。”自我”が強く発達するからこそ、もう一つの自分の運命である定められた人生と、対立するのだ。
ある権威ある生物学者は言う。
『昔親の言うことを聞けなかった人の方が、素直に聞いてた人よりも出世することが多い。後者は確かにスムーズに行くかもしれないが、都合のいいYesマンになりがちで、出世のチャンスを掴みに行けない。』
私が考える『友人(仲間)の定義』は、 リンク先に書いたとおりだ。私利私欲の利害の一致ではない、 表面的な上下関係ではない、 現在の能力の格差ではない。そういうものの上に成り立つ人間関係など、 『友人』とは呼べないのだ。むしろその逆。 大義、 正義、 仁義、 信念。 表層ではない。心底に渦巻く熱い気持ちが共鳴し、友が、友を呼ぶのだ。
『あらら…ちょっとごめんな兄ちゃん そこどいてくれるか
友達なんだよ』
『表層』など、およそ『実際』には敵わない。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。