名言を自分のものにする

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火事場の馬鹿力


成人の男性は、実に500kgもの重さを持ち上げることができる。しかし、普段はその力を理性によって抑えれている。それに対応する筋肉が鍛えられていないため、身体を壊すからだ。

『自己防衛本能』である。
人が生きるか死ぬかという局面で、オリンピック選手が舌を巻くような記録的な行動を取った人間など山のようにいる。

では、その潜在能力を十二分に、自在に引き出すことができれば、どうなるだろうか?ヒントは、『火事場の馬鹿力』にあるのだ。


ストイックな環境を作れば、『火事場の馬鹿力』に似た経験をすることができる。
そもそも、私がストイックな性格になったのは『剣道強化練習』のときからだが、当時のキーワードは、『潜在能力』だった。

その他にも、『宝の持ち腐れ』とも言われていた私は、当時『潜在能力』に興味津々だった。

(しかし、”潜在能力”とか、“宝の持ち腐れ”とか、内面を評価してもらったことは言葉にならないくらい有難いけど、どうしたら”それ”を引き出せるんだろう。)

そして、剣道と、何の関係があるんだろう。当時の私は、そう思っていた。

しかし、一度練習が始まれば、そんな悠長なことは言ってられなくなった。

『キエイーーーーーっ!!!!』

腹から絞り出さなければどやされる、大きな声が鳴り響く極寒の体育館で、足の裏の皮がずるむけになり、皮がはがれ、血が露出した表面にホコリがつこうがゴミがつこうが無視して気合いで面を打つ。

未経験者ということも加わり、不要な力を振り絞るので、体中の筋肉はすぐに動かなくなる。しかし、それでも教官は、面を止めさせない。

そして、どんなに過酷な練習をしようが、直後の呼吸は決して肩でゼエゼエとしてはいけない。口で荒く呼吸をしたいのを抑え、鼻で深呼吸をして、整えなければならない。

運動は好きだが、真面目なスポーツマンではなかったため、食事がのどを通らなくなるまで体中を酷使したのは、生まれて初めてだった。
そんな過酷な訓練を何カ月も続ければ、本気を出さずにはいられなくなってくる。

”潜在能力”とか、”宝の持ち腐れ”という言葉の真意にあるのは、『力が表面化されていない』、つまり、『全力を出していない』、そしてそれは、『余裕ぶってナメてる』ということにもなる。

それに見かねた先生たちが、
『剣道強化やらせれば余裕ぶっこいてられねえだろ』
と思ったのも理由の一つだったかもしれない。

ある訓練の日、訓練の最後に、これでもかというくらい面打ちをさせられた。腹から『面!』と大きな声を出し、面を打って、相手の横をすり足で駆け抜け、振り返って竹刀を構える。ここまでが『面』だ。

『もう一回!』、『もう一回だ!』。

永遠に続く面打ち。とっくのとうに、体は悲鳴を上げている。しかし、教官が挑発してくる。

『おい、まだまだだよこんなもん!』

腹が立つので、死ぬまで面を打つつもりで突っかかっていく。

(ぶっ潰してやるよこるぁあああああ!!!!)

だが、もう打つ面に力など入っていない。
かといって、型を崩すなどと、甘えた面を打ったら、怒鳴られ、また腹が立つだけだ。限界なのはわかってていてまだ煽ってくる教官。

『ほらラストもう1回!!!』

瞳孔が開き、体中に鳥肌が立つまで力を振り絞ったのも初めてだ。
今までは、そんなことがあったら確実に『異常反応』を起こしたとガタガタ言って、
そこで『だりぃー。もう無理だ!』とほざいて、地面に寝ころんでいた。

(このまま死んでやる!)

そう思った刹那、ようやく『やめ!!』の声。そして私は安堵し、力を抜こうとした。
しかしそのとき、教官が私の胸倉をつかみ、足をかけ、背負い投げをしようとしてきたのだ!

だが、私はとっさに”踏ん張り”、それをかわした。

すると教官が言った。
『おっ?一瀬はバランス感覚がいいな。普通ここで投げられたら、立てないだろ。』

(─潜在能力か。なんだか、それがどういうことが、少しずつ分かってきている気がする。)

窮鼠が猫を咬むように、火事場に馬鹿力が起こるように、生命は、追いつめられた時、“非常識”な能力を発揮する。それを紐解けば、『自己防衛本能』に、とても関わりがあるのだ。
私の能力が”顕在化”されていなかった理由も、この『自己防衛本能』が大きく関わっている。

つまり私は、過去に『自分を正当化し、守らなければ生きていけない状況』を経験していて、『自己防衛本能』が働き、自分を殻に押し込め、『自分』を守っていたということなのだ。

カメレオンや生物が“擬態”をし、状況に同調して、身を守る。人間も、自分を守るために、実にあらゆることに“同調”、あるいは“追従”するだろう。
そのうち、『本当の自分』というものを押し込めて、『本当の自分』がどういう存在なのか、わからなくなってしまう。

しかし、そのままではいけない。
本当の自分ではない状態で人生を生きてしまうと、その人生はきっと後悔の連続だろう。(本当はああするつもりじゃなかったのに。本当はああ言うつもりじゃなかったのに。)

私は、これ以上ないくらいの『後悔』を経験した。
そして、いろいろな環境に後押しされ、今の『強い信念を持った自分』で生きることができているのだ。

今の私だけを周りが見れば、融通の利かない、意固地な頑固者だと思うかもしれないが、とんでもない。

私は、(皆の好きな)“カメレオン”から、(信念を持った)“人間”へと、進化をしたのだ。

環境に支配され、同調して、反応的に生きる人生など、生きているとは言えない。

カメレオンのように状況に合わせられる人間を、器用な人間だとか、上手く生きてるとか言う人がいるが、表面的な人間関係に、『感動』は生まれない。
『感動』のない人生など、人生ではないのだ。

だとすれば、人生を上手く生きているかと言えば、一概にはそうとも言いきれないのだ。

ストイックなまでに環境をコントロールし、能力を顕在化させ、自分の人生の舵を握る。この味を一度知ったら、もう抜け出すことはできないだろう。
酒やたばこや麻薬など、これの足元にも及ばない。

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


火事場の馬鹿力

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