金持ち運を掴む黄金法則-4
7.失うことに抵抗が無い
稼ぐ人は、お金やものに執着しない。
それどころかいまの仕事や地位にも固執しない。
安定して収入を得られるポジションにいても、あっさり捨てて転職や独立をしたり、
まったく違う分野に挑戦する。
現状が頭打ちだから新天地を求めるというわけでもない。
たとえ将来が約束されても、そんなことに関心がないかのように環境を変えていく。
いま持っているものを失うことに、なぜ抵抗が無いのか。
それは根底のところで自分というものを信じているからだ。
成功する人は、どのような環境になってもまわりの人とうまくやれるし、
食べていけるという自信を持っている。
稼ぐ人は、成功するための原理原則を知っているといってもいい。
成功するためには土台になる考え方、
つまり原理原則とそれを具体化する技術の両方が必要だが、
原理原則さえ本物であれば、じつは何をやっても成功する。
企業も同じ。
成長し続ける企業は、市場の変化に応じて新しい商品やサービスを出していく。
そうした企業は、高い開発力に成長の秘密があると考えられがちだ。
しかし、ほんとうに大事なのは理念やミッションだ。
企業活動のベースとなる考え方がしっかりしているからこそ、
現象に合わせて対応を柔軟に変えていけるのだ。
松下幸之助や稲森和夫の本を読むと、描かれているのは人間観や哲学の話であり、
商売の話はほとんど触れられていない。
それでも多くの人が手に取るのは、そこに原理原則があるからだ。
■失うことを恐れていては、新しいことはできない。
新しい自分にもなれない。
『二塁を踏みながら、三塁に行くことはできない』
『長い間岸を見失う覚悟がなければ、大陸を発見することはできない』
という言葉がある。
次のステップに行きたいのなら、
一度しかない人生を冒険するべきだと思ったなら、
例えその先に将来が約束されている道でも、
我が道を行くべきだ。
私も、文面ではとてもそうは見えないだろうが、
元来人懐っこく、よく人に好かれる性格だった。
そのため私は、
人の言うことを聞いていれば、月収100万ぐらいのポジションであれば、
最低でも3か所から話はあった。
きっと、その道を選んでいたら、『高給取り』になっていただろう。
だが、私はなにか、その道を選ぶことは居心地が悪かった。
どうやら性格上、『楽に行ける道』を、嫌ってしまうようだ。
心の何かが、腐ってしまうような、そういう直感を、違和感を覚えていたのだ。
おかげで大変な苦労をした。
病人と向き合うという試練も突きつけられた。
友人は皆、友人ではなくなった。
まさに、修羅の道を歩んだし、歩んでいる。
これからまだまだ挫折や、失敗、大きな試練が突きつけられることもあるだろう。
だが、それが人生だ。
あのまま"力"に屈し、楽に生きていたのであれば、
この人生に悔いを残していただろう。
そして、『理念』無き仕事など、そもそもやる意義が見当たらない。
理念がなくても仕事ができるという人は、
まず間違いなく、『金儲け』の為だけに仕事をしている。
私自身がそうだったから、よく理解る。
若くしてそれを持つことは容易ではないかもしれないが、
だが、いつか持てた時、思い知ることだろう。
理念の有無だけで、ここまで仕事への価値観、
そして人生への価値観が変わるのか、ということを。
まるで、自分の人生の意味を知ったような、そういう境地に立ち、
こう言う人も少なくないだろう。
『私はこの仕事をやるために生まれてきたんです』
そして重要なのは、過去と現在の経営の神、松下幸之助や稲森和夫の、
普段口にする心構えだ。
『こうすれば儲けられる』
とか、
『金持ちになる秘訣は』
とか、
商売、金儲けの話をする人間はどうもイカサマ師のようなうさんくささがある。
肝心なのは、『根っこ』だ。
『理念』、『原理原則』、『真理』
といった『根っこ』があり、
そこから生える
『立ち振る舞い』、『配慮』、『行動』
といった『大黒柱』があり、
そして次に
『感謝される』、『信頼される』、
といった『枝』があり、
最後に
『報酬を得る』
といった『実』が成るのだ。
この順番を間違えて、いきなり最後の『実』の部分の話をする人間は、
信頼しない方がいいだろう。
この手順を踏まずに育ったとしても、それは『成長』とは言えない。
それは、『膨張』である。
膨張は、成長と違い、すぐにはじけて、無くなってしまうだろう。
ここまで文章を読んでいる人はある程度私を知っている人だから
私が無神論者であることは知っていると思うが、
だが、四聖(釈迦、孔子、キリスト、ソクラテス)の話にはきちんと耳を傾ける。
人間の四聖と呼ばれる聖人達の意見を聞かなくて、人間は語れないだろう。
その中で、ブッダ(つまり、仏教の創始者、釈迦のこと)の言葉に、
この真理を言い当てるものがある。
『木をノコギリで切り倒しても、
その根っこが強力なら、
再びニョキニョキ生えてくる。
それに似て、
君の心に巣食った欠乏感があまりに強力な呪いであるがゆえ、
一時的に落ち着いても根は生きているから、
すぐにまたニョキニョキと伸び、
苦しくなり、『足りなく』なる。
欠乏感の癌(ガン)は、
ひょいと別のところへ転移する。』
この言葉が指し示すところは、今回のテーマと同じだ。
私は病人の社員の面倒を見ているから、兼ねてからこの『根っこと枝』の真理について、
社員に口がすっぱくなるほど助言をしてきた。
社員は、助言、説教されたとき、いつもその原因の『応急処置』しかしなかった。
『…その問題を起こさないようにします』
と、一見反省しているように見えるが、これではこう言っているのと同じだ。
(…その枝の部分だけ切り落とします)
つまり、『根っこ』を変える発想がないのだ。
『根っこ』を変えなければ、『病は気から』の病気はもちろん、
また違った枝から、同じように"腐った実"が実る。
そして、その度にそれを切り落としていたのでは、一生問題の解決にはならない。
そんなとき、雑誌に載っていたこのブッダの言葉を見た。
私は、
(やっぱり四聖は、突き詰めているな。人間の模範だ)
と思い、より一層私の助言に説得力が増した。
社員も、私の話とブッダの話が同じ意味だと知ってから、
それまで以上に、私の話を聞くようになったのである。
これが『真理』、そして『原理原則』である。
つまり、表面的な『枝』や、『実』ではなく、
『根っこ』に着眼点を置けるようになれば、おのずと道は切り開けるものなのだ。
by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。