死んだ犬を蹴飛ばす
人は、大物であればあるだけ、それを蹴飛ばして大きな満足を覚える。
当時、小室哲哉が異常なくらい叩かれていたのも、彼が偉大な功績を
残した人物だったからだ。
同じような目にあい、自力で23億の借金を返した加山雄三は、
『ふざけんな。彼は立場を考えられていない。消えてなくなっていい。』
とコメントしていた。
大物であればあるだけ、求められるものも大きいというわけだ。
大物には、それだけの責任もある。
英国の皇太子は(のちのエドワード8世・ウィンザー公)は、きわどい経験で
このことを悟った。
彼は海軍の学校で、14歳のころ、ほかの候補生たちに足蹴にされたという。
校長が問い詰めたところ、ついに候補生がその理由を話した。
彼らは、彼らがいずれ司令官や艦長になったとき、
『俺は昔、キングを足蹴にしたことがあるんだぞ!』
と言ってみたかったからだというのだ。
『出る杭は打たれる』という言葉があるが、こういうことは本当にある。
俺は、今まで生きた、全ての舞台で、それを経験してきた。
家族、仲間、不良、施設、職場。
どの舞台でも、俺はそれを実際に経験してきた。
家族では、俺が、『本当のこと』を我慢せず言ってしまっただけで、
自分の意見を主張しただけで、悪者扱いを受けるようになった。
まるで、触れてはいけないものに触れ、逆らい、その処罰を受けるように。
仲間では、喧嘩っ早くていつも目立っていたある仲間以外が、前に出て
仕切ることは、まさに『出る杭は打たれる』だった。
今でこそみんな俺の意見を聞いてくれるが、初めのころは今の何倍も
協力的じゃなかった。むしろ何度も、潰されかけた。
妬み、嫉み、不安、虚栄。未熟で、実にあらゆる負の感情をまとった連中が
集まっている集団だ。そういうことがあるほうが、自然といえるかもしれない。
不良では、目立った奴が狙われるのが当たり前の世界だった。
『誰が最強か』という荒れた少年の気持ちが暴発している世界だからだ。
何度も喧嘩はあった。しかしそれも、こちらが不良として前に出て、あるいは
引かなかったからだ。引けば喧嘩など、起きないのだ。
あの世界は理不尽で、決して認められるものではないが、なぜ多くの男が
一度は不良に血を踊らされるのだろうか。
原始時代、戦国時代、戦を経験した血がそうさせているのか、
はたまたマズローが唱える五大欲求の『闘争の本能』であろうか。
施設では、他人に対して当たり障りなくやっているときは、そこまで波風は
立たなかった。しかし、問題の核心、触らぬ神にたたりなしだった問題に
触れると、事態は一転した。批難、中傷、攻撃が始まったのだ。
自分の尊厳(テリトリー)を侵され、それを必死に守るかのように。
職場では、新しい会社に入ったとき、どの会社でも最初は叩かれた。
『後輩いじめ』なのか、認めたくないのか、どっちにしろ『脅威』に思っていた
からだろう。『新入りに立場を追い抜かされたら困る』ということだっただろう。
俺は上司に媚を売る気などさらさらなかったし、下剋上上等な態度も相手の
そういう態度をあおる原因になったかもしれない。
自分の意見を持って生きる、ということは、他と対立するということだ。
対立する勇気と、覚悟がなければ、できることではない。
とにかく人は、犬が元気であればあるだけ、大物であればあるだけ、
蹴飛ばして大きな満足を覚えるのだ。
死んだ犬を蹴飛ばす奴はいないように。
だから、蹴飛ばされたり、非難されたりしたとき、相手はそれによって
優越感を味わおうとしている場合が少なくないのだ。
もし俺が世間的に有名な人物になってしまったら、きっと俺を叩いて
埃を出そうとするだろう。俺を叩けばたくさん埃が出る。
もっとも、過去のことだが。
しかし、今は俺に誰も興味がない。
存在を知らないからだ。
だからまだ『世間』という大きな舞台からは蹴飛ばされることはないのだ。
しかし、もし有名になってしまったら、叩かれる運命にあるだろう。
だから俺がいくら際限なく上を目指していても、目指すのは政治家や、
東証一部上場し国のために尽くす大企業ではない。
俺には俺の、上へ行く道があるのだ。
かの武田信玄は、自分より優れた部下の首を切り落としたという。
なぜなら、驚異的だからだ。
いつ自分の身を危うくさせるか、わからないからだ。
そんな戦国時代のような考え方が根付いている人間は、今の世にもたくさん
いるのではないだろうか。
出る杭は打つ。
しかし断言できる。
杭を打とうとする時点で、『自分より突出している』ということを認めているのと
同じだ。
自分が日々その人に負けないくらいの努力をしていて、余裕があれば、
そういう小さな器に成り下がる行為はしない。
本当に器の大きい人間というのは、余裕がある人間のことをいうのだ。
もし非難されたり、嫉妬されて足蹴にされることがあれば、心の中でこう思えば
いい。
『可哀そうだな。焦っているんだろうな。』
そう思い、大きな心で許してあげることが一番だ。
そして、そこまで心に差が付いている人間とは、関係を持たないことが賢明
なのだ。
『心のブレーキのはずし方』にも書いてあるが、そういう人はそもそも『仲間』に
は値しない関係なのだ。
これからもし、人に潰されかけるよなことばあればそれは、
『脅威的』だと思われていると思い、その逆境をエネルギーに変え、
さらに驚異的な存在になってやればいい。
気持に負けることなく、対立することに怖気づくことなく、
逆にエネルギーに変えれてしまえばいいのだ。
エネルギーを相手にぶつけるか、自分にぶつけるか。
それで大きな差が生まれてしまうのだ。
エネルギーを相手にぶつけていては、人生、キリがない。
ある人を解決しても、またある人にぶつかってしまう。
人生はそんなことに時間を費やしているうちに、あっという間に終わってしまう。
しかし、自分にエネルギーをぶつけていけば、ただその人生を自分らしく
生きていくだけで、あらゆる試練や経験が、すべて自分の糧になるのだ。
試練の度に、『レベルアップの種』を手に入れるのと同じだ。
レモンを、レモネードに変えるのと、同じだ。
そう考えたら、人生楽しくなる。
多くの現代人が『孫悟空』や『モンキー・D・ルフィ』に憧れるのは、彼らが、
それが心底に染み付き、”気にするべきではないことを気にしない心”が備わった、
理想とすべき、器の大きい男の生き様だということを、知っているからだ。
by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。