名言を自分のものにする

広告

 


人間のデフォルト(初期設定)


モチベーション3.0』を読んでいると、私が普段から考えていることとシンクロすることが多く書いてある。(こういうことは、実によくあることだ。)


例えば、『デフォルト』という概念である。モチベーション2.0を考えた時、我々は
”指示、報酬、罰、その他の一切の外的要素”が働かなければ、生きていけない
という考えにぶつかる。だが、それは本当なのか?こう考えて生まれたのが、”モチベーション3.0”であるわけだが、ここで考えたい。我々人間の、『デフォルト(初期設定)』とは?人がこの世に誕生するときに、受動的で自力では行動できないようにプログラミングされているのだろうか?それとも、積極的に自発的に行動するようにプログラミングされているのだろうか?

 

筆者は、後者だと確信しているが、私も全くの同感である。つい先日、デザイナーと『デザイン』について熱く口論をした。デザイナーはこれ以上ないくらい近い人間関係にあるので、彼のことを悪く言うことはないが、私とは『デザイン』についての考え方が違った。一流企業で働くプロのデザイナーに、デザインについて口論を持ちかけるのだから私の傲慢ぶりはおこがましくも甚だしいものだが、それでも、本当にそう思うから、その本心を話したまでなのだ。自分の気持ちに嘘をつくわけにはいかない。その時の内容の根源にあるのが、この『デフォルト』という概念なのである。


彼は言った。
『よく勘違いされるが、デザインは、アートでもなければ、ファッションでもない。
(普遍的に通用するものであってこそ、デザインなのだ。)』


私はそれにこう反論した。
『私はデザインは、アートでもあり、ファッションでもあると思うし、それは、勘違いではないと思う。普遍性ばかりを気にして自分の思うようなデザインが出来ないのであれば、私は”デザイン”という概念を認めない。私がオリジナルの概念を作りだすだけだ。』


そして続けた。
『最初、人間は、歌を歌い、踊りを踊り、あらゆる人生の場面で、デザイン(装飾)をした。そんな彼らには当時、それらをするとき、何か”しきたり”に則ってやっていただろうか?


もちろん、その道に命をかける、プロの意見はわかる。例えば合唱団の練習で、歌を適当に歌っていたら、教師に怒られるだろう。歌を愛し、最高を追求する身として、それも当然の考え方だろう。だが、私は、”人生における後で出来た一切の考え方”を、嫌う。(『勘違い』だという言い方も気にいらない)人間のデフォルトとして、好きに歌い、好きに踊り、好きにデザインし、そしてこれからも自分の好きなように人生を生き、人生に悔いを残さないようにしたい。』


後になってある本を読んだ時、そのデザイナーと同じことを言っているプロがいた。
一般的にはむしろ、彼の意見の方が確実に通用する考え方だということであり、彼がデザイナーとして優秀だということの証明だ。


だが、私は、私だ。だからと言って私の人生で、本当に納得していないことをやることは、ない。私の考え方があり、私の人生を生きて、誰かに文句を言われる筋合いはない。


子供を見よ。彼らの多くは皆、実に好きなように人生を生きている。時と場合をわきまえずに、歌いたいときに歌を歌ったり、壁に絵を描いたり、踊りたくなったら踊っている。大人になり、家庭や学校、会社や社会で、後天的にあらゆる常識や人格、ルールや規範が植え付けられてしまうのだろうが、"それ"の正確性は、疑わしい。むしろ、"それ"に従って生きなければならないという考えを持っている人間には、"貧乏父さん"や、"モチベーション2.0"が多いのではないだろうか。

 

ある権威ある教育評論家の集めたデータでは、実際に『先生の言うことをよく聞く生徒』ほど、ほぼ間違いない確率で、人生の試練にぶつかったときに崩れてしまう
という。



そして、また違う権威ある環境評論家は、
『言うことを聞けない子供』の方が、成功する確率が格段に違うというデータがある
と言っている。そういう子供は、自分の意見を持っているということなので、自我が発達していて、自己主張がしっかりと出来、結果として大きな仕事を果たしていくことができる』


と言うのだ。私も、『それがこの世界の常識だ』というような決めつけが大嫌いであり、大した成功はしていないが、それでもこれまでの半生で"明らかに群を抜いた"というシーンをを思い出すとそれはすべて、周囲を気にせずに自己主張をハッキリとした口調と覚悟で、発言、あるいは行動してきた時だった。自分の規範意識をしっかりと持ち、それに従ってこの世を生き貫くことこそが、"モチベーション3.0"で在るということなのだ。


臆病で慎重な人間のおかげで、この世の秩序は守られてきた。だが、臆病で慎重な人間のせいで、人間の『デフォルト(初期設定)』が本来持つ、無限の可能性が、萎縮してしまっている事実から、目をそむけてはならないのだ。


得てして『天才』と言われるような『天才的な結果を出した人物』は、『少年のよう純粋な心や志を持ち合わせている』と評される場合が多い。これも、彼らが人間としてのデフォルト(初期設定)に、至極正直であったからなのではないかと、私は考えている。

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


人間のデフォルト(初期設定)

スポンサーリンク


↑ PAGE TOP