『自分の名前を偽るとパワーが半減する』。この言葉の意味が理解できる人は、相当深い内省をしたことがある人だ。その事実を理解しているかいないかということは、人間の質や価値に雲泥の差をつけることになる。なぜならそうした事実がもし存在しない場合、自分を偽って生きても何の支障も、デメリットもないことから、この世には、
が今以上に溢れてしまうことになるからである。普通、『価値のある人間』はそうしたこととは無縁である。だからこそ、等身大の自分を生きることができる人は、真の意味で『人間』の称号を語る資格がある人なのだ。
では、『自分の名前を偽るとパワーが半減する』という言葉の意味を見てみよう。世界的に有名な細胞生物学者のブルース・リプトン博士が書いた、『思考のすごい力』にはこうある。
ある日博士は、大きな事故を起こした。生きるか死ぬかの大事故だったが、何とか一命をとりとめた。病院で彼は、運動療法(キネジオロジー)のリハビリを受けた。それまで彼はキネジオロジーを批判する側だったが、そういう特別な状況に陥り、やってみようかと思った。彼は、自分の名前を言いながら腕を前に伸ばし、上から押さえる力に逆らえと言われた。
すると、軽く押さえられただけなので、たやすく抵抗できた。
やはりくだらない
博士はそう思った。だが次の行動が重要だった。今度は、
と言いながら逆らえと言われた。すると、腕がぱたっと下がってしまい、抵抗できなかった。何度やってもダメだった。これは、潜在意識に蓄えられた、以前学んだ『真実』と矛盾する事柄を意識が信じると、脳内で葛藤が起こり、その結果、筋力の低下が起こる、という、紛れもない事実だった。
確かにこれは事故に遭い、肉体的に大きくダメージを負っていたので、このような僅かなパワーの差を確認することができた事例だ。これだけを考えると『パワーが半減する』ということの説明にはなっていない。では、下記の黄金律を付け加えたらどうなるだろうか。
それら黄金律の至言を見てみよう。
さて、自分の頭に今どのような『使命』が思い浮かんだだろうか。
人は、唯一無二のこの自分の命を、『浪費』してはならない。それは、すべての儚い運命を背負わされた、数奇な人生を送ることを求められた人々への敬意でもある。生きたくても生きられない命があった。両親と会話をすることなくこの世を去る命があった。それを考えたとき、人は、自分の命を決して浪費することは許されないということを自覚する。
そして、命を浪費せず、最大限に躍動させるためには、潜在能力を埋没させたままではだめだ。劣等感を覚え、自分の命に敬意を持てず、頭ごなしに『できない』と決めつけてしまうと、人間の能力は埋没する。
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他と違っていることは『個性』だ。そしてそれを理解するのは『知性』だ。人間は、知性を持ってこの儚い一生を『尊い一生』に昇華させ、過去、未来永劫のこの圧倒的な時間の規模において、そしてこの計り知れない広漠とした宇宙の中において唯一無二の自分の命を『尊重』し、自分にしか生きれない人生を生きていくことが求められているのである。
それを考えたとき、もし『そうした人生』を堂々と生きていないという人がいるなら、それは十分、出せるパワーを出し惜しみしていることになる。『半減』どころでは済まないかもしれない。つまり、すべての人は、自分を信じるべきなのだ。この自分という唯一無二の命を微塵も疑うことなく、命を使い切るべきなのだ。
私は無宗教だが、ブッダは言った。
『天上天下唯我独尊』だと。この言葉の真の意味は、
『この世に自分という存在はたった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』
ということなのである。
『天』の『上』にも『天』の『下』にも『我』という人間は『唯』『独』り。その唯一無二の自分の命を『尊』ぶべきなのだ。
参考文献