なぜイエスは死刑になったの?わかりやすく簡潔に教えて!
国の方針に逆らって人々を指導した『政治的煽動者』という扱いを受けたからです。
イエスは十字架刑に処されて世を去りました。
実は、当時紀元一世紀のパレスチナでは、『メシア(救世主)がきた』と公共の場で大声で叫ぶことは、十字架刑に処せられる可能性のあるとんでもない不法行為でした。つまり、十字架刑に処されたのはイエスだけじゃなく、他の多くの人もそうなったのです。事実、イエスが十字架に架けられた時も、他に二人の男が一緒に刑を受けました。
『救世主が現れて人類を救う』というシナリオは、ゾロアスター教でもユダヤ教でも、キリスト教でもイスラム教でも重要視されています。その発端はゾロアスター教ですが、アブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム教)は、オリジナルのものだと考えています。とにかくそのような話に敏感だった彼らは、イエスが行っている行為、あるいはイエスの周りにいる人がイエスを『救世主』扱いすることを見てみぬふりはできなかったのです。
イエスは、民衆煽動罪、『皇帝に税を納めるのを禁じた』罪で訴えられ、有罪を宣告され、ゴルゴタの丘に送られ、そこで他の二人の『強盗』と一緒に十字架に架けられました。イエスがやったことはある種の『革命』であり、国の形を変えるほどの行動を取る革命家というのは往々にして、死と隣り合わせなのです。
上記の記事の続きだ。とにかくのようにしてイエスは、当時そこに蔓延していた『腐敗』を浄化しようとし、新たな光をそこに見出そうとしていた。ユダヤ教が教典としていた旧約聖書にあったのは、
というものだったが、イエスが教えたのは、
という教えだった。復讐ではなく、愛でもって赦し、負の連鎖を終わらせる。ここにある考え方は、無宗教者の私が見ても、寸分狂うことなく『真理』であるということがわかる。
いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。
ちなみに、紀元前1760年頃、6代目ハンムラビ王の時代にメソポタミア全域を支配したバビロン第一王朝(古バビロニア王国)は、道路や灌漑などの公共事業に力を入れ、『ハンムラビ法典』を制定する。人類最初の法律は紀元前3000年頃からあったが、基本、エジプトやメソポタミアといった巨大文明にて法律は生まれた形だ。
このハンムラビ法典にも、『目には目を、歯には歯を』という法律があり、刑法、商法、民法、税法など、細かい条例が定められ、法典の模範として後世に深い影響を及ぼした。ユダヤ教が始まったのは1280年以降のモーセが十戒を作った時期からだから、この『目には目を、歯には歯を』という考え方はユダヤ教よりも前に存在した法律だと考えらえれる。
とにかく、冒頭の記事にも書いたように、このようなイエスの教えは当時権力を持っていたユダヤ人にとって、驚異的だった。またイエスが、
と言ってパンと葡萄酒を分け与えたことが誤解され、
という話が伝わってしまった。また詳しいことは下記の記事に書いたのだが、当時の人間には、『ユダヤ人の王を求める心理』が働いていた。イエスが主体的にユダヤ教の教えを『更新』する意志があったか、あるいは『ユダヤ人の王を求める心理』に影響されて『メシア(救世主)』を演じたか、どちらかはわからないが、どちらにせよイエスは、当時の『そこにいる人々』に、自分の意見を聞いてもらいたかった。
当時の人たちにとって、『救世主(メシア)』という存在はあまりにも大きかった。その発端は下記の記事に書いたように、ゾロアスター教が影響している。
しかし、ユダヤ人たちは『ユダヤ教独自の解釈』だと考える。『ノアの箱舟』を独自のものだと考えるのと同じだ。
ユダヤ人は、かつてモーセに救ってもらった恩がある。それは恩というよりもむしろ『奇跡』であり、モーセのような救世主を待ち望む心理が働ていた。
『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
『この男はメシアだ!』
これは聞き捨てならない言葉である。それは事実上、反逆行為だからだ。紀元一世紀のパレスチナでは、『メシアがきた』と公共の場で大声で叫ぶことは、十字架刑に処せられる可能性のあるとんでもない不法行為だった。(中略)メシアならダビデ王の子孫であるだろうし、イスラエルを再興させ、ローマによる戦力のくびきからユダヤ人を解放し、エルサレムに神の統治を確立してくれるのではないか。
『救世主が現れて人類を救う』というシナリオは、ゾロアスター教でもユダヤ教でも、キリスト教でもイスラム教でも重要視されている。そしてその発端はゾロアスター教である。しかしアブラハムの宗教は、オリジナルのものだと考えている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
しかし、当時軽々しく『救世主(メシア)だ』という言葉を発するのはとんでもない不法行為で、『十字架刑に処せられる』可能性のある重罪だった。しかし、イエスがそう言ったかどうかはさておき、人々は『受け入れやすい話をするイエス』を救世主扱いする。これらのような事実が重なって、イエスは『政治的煽動者』として、刑に処されることになった。
また、イエスは『ゼロット(革命家)』であるという見解もある。イエスが『異邦人の庭』と呼ばれる神殿で、両替商のテーブルをひっくり返し、怒鳴り散らしたことを考えても、その姿は革命家に似ているとも言える。
[エル・グレコ『神殿から商人を追い払うキリスト』 157-75年ミネアポリス美術館]
例えば『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
仏教は古来、シッダールタは(神ではなく)一人の人間に過ぎないと説いているのに、伝承から浮かび上がるその人物像は非人間的と呼べるくらいに超然としている。ゴツゴツしたところは一切なく、何事にも心を乱されない超人的なシッダールタである。その一方、キリスト教は伝統的にイエスを『神でありながら人でもある超自然的な存在』としてとらえているのに、福音書に描かれたイエスは実に人間的であり、悲しみ、喜び、倦怠、気分の高揚、深い同情、そして怒りといった感情を抱き、時に感極まって涙さえこぼしている。驚きのパラドックスである!
つまり、ブッダは人間だと認められているのにその浮かび上がる実態は『神っぽい』のに対し、イエスは神として崇められているのに『人間っぽい』のである。こういうパラドックス(逆説)があるわけだ。とにかくこういうことを考えても、イエスに『革命家』のような情熱的な一面があったというのはうなづける話である。
『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
『異邦人の庭』に露天商が入るのを禁じる法律はない。神殿のほかの部分は神聖不可侵とされ、体の不自由な者、病人、不浄とされる者、とりわけ異邦人の群衆は立ち入りを禁止されていたかもしれない。だが、境内のそれ以外の場所は、大勢の人でにぎわうバザールやユダヤ人の最高評議会である最高法院(サンヘドリン)の本部として、だれでも出入りの自由な領域として利用されていた。
商人や両替商、生贄用の動物を売る人、不浄な者、異教徒、異端者など、だれでも望むなら『異邦人の庭』に入る権利があり、そこで商いをする権利があった。だから、神殿の祭司たちがこの民衆煽動家は自分を何者だと思っているのか答えよと要求したのは、驚くに当たらない。何の権利があって彼はこの神殿を浄化するべきだと思い込んでいるのか?そのようなずうずうしい犯罪的行為のどこに神意のしるしがあるのか?
イエスが『異邦人の庭』と呼ばれる神殿で、両替商のテーブルをひっくり返し、怒鳴り散らした行為は、当時の常識で考えたら犯罪行為だった。こういうことを考えると、彼は『穏やかな平和主義者』ではなく、『剣を持って戦う革命家』に様相が似ているのがわかる。イエスは言った。
この発言は、
『この世の物=税金や貢納金は』は無視して、代わりに神への崇拝と服従という唯一の大事に心を集中させよ
というイエスの抗議である…という間違った解釈をされてしまっている。しかし実際には違う。『返しなさい(apodidomi)』という部分のapodidomiという動詞は、しばしば『返す』と訳されるが、実際には複合語で『apo』はこの場合、『元に戻す』を意味する接頭語、『didomi』は『引き渡す』という意味の動詞である。apodidomiは、土地を所有権のある持ち主に変換するときに使われる特別用語である。
つまりイエスは、『土地を神に』返し、『お金は皇帝に』返すべきだと言ったのだ。土地は元々誰のものでもないから神に、そしてお金には皇帝の顔が刻まれているんだから皇帝に返すべきだと言った。これは、皇帝が貢納金を受け取るに相応しい…からではなく、元々『彼の』硬貨であるということ。先ほどの参考書にはこうとしか書いていないが、つまりイエスは、
ということを言ったのである。それはそのあとに続く参考書の文章を読めば見えてくる。
彼の弟子たちとの短いが流血沙汰になった格闘のあと、警備隊はイエスを逮捕し、彼をエルサレム当局へと連行した。そこで彼は民衆煽動罪、とりわけ『皇帝に税を納めるのを禁じた』罪で訴えられたが、イエスはそれを否定しなかった(『ルカ』23章2節。)有罪を宣告されたイエスは、ゴルゴタの丘に送られ、そこで他の二人の『レーステース』、『マタイによる福音書』(27章38-44節)、『マルコによる福音書』(15章27節)によれば、『強盗』と一緒に十字架にかけられた。
十字架にかけられた他の犯罪者と同じように、イエスも十字架にかけられた理由を示す罪状書き(テイテユルス)の札を付けられた。そこには『ユダヤ人の王』と書かれていた。彼の罪は、王としての支配権を懸命に求めたことで、それは反政府的煽動行為に当たる。
モーセの話を理解するためには、映画『エクソダス:神と王』を観るのが早い。本家からはクレームが色々あったようだが、概要をイメージするにはちょうどいいだろう。
観ればわかるように、モーセは『救世主』でもあり、『革命家』でもあった。そのどちらと表現しても差し支えない人間だった。しかし、戦うことが当たり前だった当時の時代にあって、モーセやイエスは、率先して暴力をふるうような人間ではなかった。むしろ、根底に穏やかな正義の心を持っていて、それがゆえに、
蔓延した腐敗を浄化(更新)するべきだ
と奮起し、立ち上がった勇者なのである。
[『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンによる(1869年)、ハリストス(キリスト)の埋葬準備の光景]
ちなみに十字架刑は、古代のペルシャ、インド、アッシリア、スキタイ、ローマ、ギリシャなどで広く行われていた処刑方である。その理由は、それが一番安上がりだったからだ。ローマ帝国では十字架刑があまりにもありふれたものになったので、共和政ローマの哲学者、キケロはそれを『疫病』と呼んだ。
だが、厳密に言うと十字架刑は死刑の一種と考えるのは正しくない。なぜなら、多くの場合、犠牲者は最初に処刑されて、それから十字架に磔にされていたからである。十字架刑の目的は、犯罪者を殺すことよりも、国家に反抗しそうな人々への見せしめだった。十字架刑の純粋な目的は、犠牲者に屈辱を与え、目撃者をぎょっとさせることだったから、死体は磔の場にそのままにされ、鳥や犬などの餌食にされるのが常だった。すると、骨だけがその場に残る。イエスが磔刑に処された場所が『ゴルゴタ(骸骨)の丘』と呼ばれるのもそのためである。
参考文献『イエス・キリストは実在したのか?』
ちなみに『サン・オブ・ゴッド』では、その一部始終を映像で見ることができる。民衆はローマに税を払わないと叫ぶが、イエスは先ほどの言葉を言った。聖書を忠実に表現している映画だ。メル・ギブソンの『パッション』も忠実だが、こっちの場合は翻訳も許されていて、わかりやすさがあると言えるだろう。
次の記事
該当する年表
参考文献