ハニワくん
先生
キリスト教はなぜ宗派が分かれたの?わかりやすく簡潔に教えて!
ローマ帝国が東西に分かれたからです。その時に『カトリック』と『ギリシャ正教』に分離しました。
ハニワくん
博士
キリスト教には『三位一体』という考え方があります。
それは、
- 唯一神(ヤハウェ・エホヴァ)
- イエス
- 聖霊(スピリット)
の『三つの存在は同一である』ということを示した言葉です。しかしこの三位一体への解釈も人によって違ったりして、キリスト教徒の中でも徐々に考え方が分かれてくるようになります。ようやく『聖父、聖子、聖神』はすべて一つであるという考え方で結論がまとまったのですが、その後ローマ帝国が東西に分かれると、考え方、つまり宗派も分かれるようになってしまいました。
- 西ローマ帝国=カトリック
- 東ローマ帝国=ギリシャ正教
という形で宗派が分かれ、その後時間をかけてさらに様々な宗派が生まれていきました。しかしそのほとんどは、大筋である『カトリック』に反発するようにできた宗派が多く目立ちます。その理由は、カトリックがしばしば越権行為を行ったからです。それだけ力を持ってしまったということですね。
博士
ハニワくん
先生
キリスト教の謎
なぜイエスは死刑になった?キリストの裏にいた『イエス・ゼロット』の存在とは
上記の記事の続きだ。とにかくのようにしてイエスは、当時そこに蔓延していた『腐敗』を浄化しようとし、新たな光をそこに見出そうとしていた。しかし、当時軽々しく『救世主(メシア)だ』という言葉を発するのはとんでもない不法行為で、『十字架刑に処せられる』可能性のある重罪だった。イエスがそう言ったかどうかはさておき、人々は『受け入れやすい話をするイエス』を救世主扱いする。これらのような事実が重なって、イエスは『政治的煽動者』として、刑に処されることになった。
こうしてイエスは33~36歳の頃に刑に処され、世を去った。しかしイエスには今考えるとつじつまの合わない話がたくさん多く、それの不透明さや神秘性が原因となって、様々な論争を招いた。
- 病気を治した奇跡
- 海の上を歩いた奇跡
- 墓からよみがえった奇跡
等、論理的に考えても説明ができないような話がイエスにはつきまとった。モーセ、ブッダ、孔子、ソクラテス、ピタゴラス、マニ、ゾロアスター、ムハンマド、どの人物の弟子も死後の復活などは認めていないが、このイエス・キリストだけは、弟子たちが『復活を見た』と言っていて、『人間』なのか『神の生まれ変わり』なのか、史実では証明できないという。
[盲人を癒すキリスト ユスターシュ・ル・シュール(17世紀)]
[奇跡的な大漁 ジェームズ・ティソ(19世紀)、ブルックリン美術館所蔵]
三位一体
例えば、『三位一体』という考え方も難解だ。これは文字通り、『三つの存在は同一である』ということを示した言葉である。その三つとは、
- 唯一神(ヤハウェ・エホヴァ)
- イエス
- 聖霊(スピリット)
である。このうち『聖霊(スピリット)』というのは、『神の意思』、あるいは『エネルギー』という意味を持つという。
左の図の三角形の端に書いてあるのは全てラテン語で、
- 「父なる神」(PATER)
- 「子なる神」(FILIUS)
- 「聖霊なる神」( SPIRITUS SANCTUS)
そして真ん中に、
- 「神」(DEUS)
と書いている。左側は1210年頃に描かれた図式を抽出したもの。右側は20世紀末のプロテスタントの書籍に使われた図式だ。右の図には『is not』と書いてある丸が描かれているので、『父と子』、『父と聖霊』、『子と聖霊』は同一ではないとしている。『Wikipedia』にはこうある。
様態論的モナルキア主義(「三様式」「三役」)
「イエスも事実、神であり、聖霊も事実、神である」と主張する一方で、「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一人三役のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義(英語: modalistic monarchianism)と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。
力動的モナルキア主義
「父だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』(デュナミス、ギリシャ語: δύναμις)に過ぎない」とする考えは、力動的モナルキア主義(英語:dynamic monarchianism)と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。
キリスト教神学の見解の一つで、神が一つの位格しか持たないとする事を強調する立場の一群。
この『三位一体』という考え方はキリスト教徒の全員が認めているわけではないらしく、聖書にも登場してこない言葉らしいが、こういう言葉があり、また、キリスト教だけではなく、三者が心を合わせることや、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もあるため、日常で聞いたことがある人もいるだろう。しかしこのように三位一体への解釈も人によって違ったりして、キリスト教徒の中でも徐々に考え方が分かれてくるようになる。
そして『聖父、聖子、聖神』はすべて一つであるという考え方で結論がまとまった。しかし、その後ローマ帝国が東西に分かれると、考え方、つまり宗派も分かれるようになる。
ローマ帝国の東西分裂
1073年から法王という名称が使われるようになる。実際には800年にカール大帝に471年以来廃位されていた皇帝の冠を授かった。
ローマ帝国の分離によって分離したキリスト教
西ローマ帝国(神聖ローマ帝国) | カトリック |
東ローマ帝国(ビザンツ帝国) | 東方正教(ギリシャ正教、オーソドックス教会) |
確かに解釈が難しいものを前にすると意見は分かれる。『1+1』という問題の前であれば誰もが『2である』という答えを導き出せるし、そこで争うこともないのだが、そうではない問題を前にするとなるとやはり意見が分かれるものである。例えば、宇宙人がいるとか、いないとか。死後の世界があるとか、ないとか。そういう風に、『明確な答えがない』問題を前にすると、人間の意見は分かれるのである。
今回はここまでにしておこう。キリスト教の宗派が分かれた理由である。次でキリスト教の記事は終わりだ。ちなみに、私の三位一体への解釈は以下の記事に書いた。私の意見も彼らと違うのである。
『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』(5ページ目)
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参考文献