ルターたちはなぜプロテスタント(抗議者)になったの?わかりやすく簡潔に教えて!
なぜ宗教改革を起こしたの?
カトリックがキリスト教の名前を汚した越権行為をしていたからです。
カトリック教会はそれだけ力を持っていました。
しかし、力を持った者はその力に支配され、越権行為に走り、あるいは特権の乱用をするのが相場。カトリックもその相場通りに動いてしまったということです。ルターが宗教改革を起こしたのは、法王庁がその売り上げでバチカンに聖堂を築くのが目的で『免罪符』を販売したのがきっかけでした。つまり、『金を払えば天国に行ける』という話をし始めたのです。
カルバン、ツウィングリといった人物たちも同じように『宗教改革』を起こします。イエスがユダヤ教の腐敗を浄化しようと立ち上がったように、彼らもまた、この腐敗したキリスト教を浄化しようと立ち上がったのです。
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上記の記事の続きだ。とにかくのようにしてキリスト教は宗派が分かれた。カトリックと、ギリシャ正教である。こういう風に、『明確な答えがない』問題を前にすると、人間の意見は分かれるのである。さて、そのキリスト教だが、やはりそうして真実をそれぞれで曲解してしまうように、キリスト教徒を名乗る人間だからといって、彼らが聖人としてふるまえるわけではなった。
例えば、『スポットライト 世紀のスクープ』という映画がある。この映画は、カトリック神父による少年虐待事件を映画化したもので、実際にあった話だ。ネタバレしていいなら次の文章を読むといい。
カトリック神父という、極めて大きな影響力を持つ人間が、少年に性的虐待をしていた。ゲーガンという神父が、30年の間に80人もの児童に性的虐待を加えていたというのに、その扱いが極めて小さく、埋もれてしまっていた。つまり、そこには何らかの圧力が働き、真実が隠蔽されかけていた。これは、その真実を、勇気あるジャーナリストたちが命懸けで暴こうとし、奮闘する映画だ。
『キリスト教徒だからといって、神様に仕えている人間だからといって、権威ある人間だからといって、そう広く人々に認知されているからといって、その人物が正しい人間だということにはならない。』
のである。そして2018年8/15(水) 、新たなニュースが入ってきた。
米教会、子供に性的虐待70年…聖職者300人(8/15(水) 11:55配信『ヤフーニュース』)
ニューヨーク=橋本潤也】米東部ペンシルベニア州のカトリック教会で、70年間にわたり300人以上の聖職者が子供への性的虐待に関与したことが、州大陪審が14日に公表した報告書で明らかとなった。被害者は少なくとも1000人に上るという。報告書は、教会が虐待を行った聖職者をひそかに別の地域に異動させるなど、組織的な隠蔽(いんぺい)を行っていた実態も指摘した。
報告書は同州の八つの教区のうち6教区を対象として、1947年から現在に至る教会の内部文書や被害者からの聞き取り調査を基に作成された。内部文書は計50万ページにも及び、調査には2年かかったという。 報告書によると、被害を受けた子供はほとんどが男子で、多くが思春期前だったという。虐待に関与した司教や大司教、枢機卿などの高位聖職者の責任が問われることはなかった。教会は虐待に関与した聖職者に住宅や生活の保障を続け、異動する際にも、理由を公表しなかったという。
ゲーガンだけではなかった。実に、300人以上の聖職者が、人の道を踏み外していたのである。
同じく、当時キリスト教徒というのは残酷だった。十字軍と宗教戦争はとくにそうで、11世紀から200年以上、イスラム教と闘った。
中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のこと。
このように考えると、なぜイスラム教が十字軍(キリスト教)を恨み、そして『聖戦』の名のもとにテロを起こすのか、その背景が見えてくるようになる。確かに、もし何もしていないのに急に戦争を仕掛けられ、略奪、殺戮を行われたら、何も仕返しをしなければそのままやられるままになる。そんなとき、『正当防衛』が法律で認められるように、『聖戦』は正当化される、という考え方が浮かび上がることになる。(もちろん断片的な解釈だ)
ヴォルテールはこう言い、
ニーチェは言った。
かつてのキリスト教徒というのは、決して模範的な人間たちではなかったのだ。そうして戦いに負けたキリスト教徒だったが、東方からもたらされた文化、学問、技術によってキリスト教社会が大きく発展していくことになる。そして1231年、法王グレゴリウス9世は、『神聖な義務(宗教裁判)』を開始する。しかしこの宗教裁判は、ただ法王とキリスト教会を批判し、挑戦する者を叩くのが目的に自己防衛手段に過ぎなかった。
そして、法王たちは特権を乱用し、越権行為にひた走るようになる。先ほど挙げた、児童虐待のようなこともその越権行為の一つだ。どこに目を向けても権利を乱用してエゴを満たそうとする人間は後を絶たない。ここでも同じようなことが起こったのである。
そこで登場するのが『ルター、カルバン、ツウィングリ』といった人物たちである。彼らが起こしたのは『宗教改革』。つまり、イエスがユダヤ教の腐敗を浄化しようと立ち上がったように、彼らもまた、この腐敗したキリスト教を浄化しようと立ち上がったのである。
ルターが宗教改革を起こしたのは、法王庁がその売り上げでバチカンに聖堂を築くのが目的で『免罪符』を販売したのがきっかけだった。
これを買えば『天国に行ける』という名目で売られた証明書。カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。
スイスのツウィングリは、ローマ法王とオーストラリア皇帝に真正面から戦争を仕掛け、戦死。
カルバンは、ジュネーブを神聖な国にしようとし、より厳格な規制を考えた。
歌も大声も、踊りも酒も禁止。それができない人間は汚れているとして、異端扱いした。
つまり、カトリックがキリスト教の名前を汚した越権行為をしていたため、彼らのような、
浄化するべきだ!もっと神聖であるべきだ!
と奮起するような人間を出してしまったわけだ。しかしカルバンによって追い込まれた『普通の心を持った清教徒(プロテスタント。カトリックではない者)』は、居場所がなくなり、アメリカに新天地を求めた。
北アメリカ大陸には、イギリスから大勢の失業者や本国で迫害されていたピューリタン(清教徒)が移民していた。
また、英国では女性問題から宗教改革が行われた。カトリックでは離婚が認められなかった。しかし、ローマ法王から『カトリックの守護者』と称えられたヘンリー8世は、アン・ブーリンを愛するようになり、妻と離婚したかった。そこで、ローマカトリックから分離し、『英国国教会』を作ったのだ。そしてその後もいくつものいざこざから、様々な宗派が生まれていくことになる。
革命。
新しい宗派の共通点は、カトリックに対する根深い反感。やはりカトリックの越権行為は誰もが否定的な目を向ける。ただ、それだけの権力を持っているのがカトリックであり、ローマ法王だということだ。
こうしてキリスト教は様々な宗派に分かれていったのである。しかし、現在この世界で最も多いのがキリスト教徒だ。そして私の両親もキリスト教徒である。しかし、私は違った。幼少期からそうであるように突き付けられ、それを受け入れないのであれば、この家の子ではないという雰囲気を押し付けられ、私はそれを強要されたのだ。
そして我が家でも小規模の戦争が起きた。私は、自分の父親が肝臓がんで死んだ理由の一つに、この『宗教戦争』があると解釈している。彼らは私にクリスチャンであることを求め、私は断固としてそれを拒絶した。さて、『神』とは一体何なのだろうか。人の関係を切り裂き、越権的にさせ、争いを生む火種?いや、私はそれについての答えをもう出している。すべては以下の記事に書いた。
存在するのは『真理』と、それを自分勝手に解釈する人間だけだ。さて、いよいよこれでキリスト教については終わりだ。次はイスラム教である。
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参考文献