『パラダイム』とは、価値観。植えつけられた人生の生き方の、 ”ナビ”のことである。ギリシャ語で、(モデル、理論、知覚、既成概念、仮定、あるいは一定した見地)という意味を持つ。『パラダイム転換』とは、 そのナビを”新しい道順にインプットし直す”ということである。つまり、『考え方のモデルチェンジ』ということだ。
私は、パラダイム転換をしていなければ、今こうして会社を経営していないだろう。例えば、暴力をふるわれて育った子供のパラダイムは、同じように暴力をふるって人とコミュニケーションをとるようになる。あるいは、塞ぎこみ、対人恐怖症のようなパラダイムになる。人生を、どのような考え方、どのような価値観で生きていくか、そういう考え方そのものを、パラダイムと呼ぶ。
このパラダイムが、間違って植えつけられていると、その人生は上手くいかない。行き止まりにぶつかってしまうのだ。ナビで例えればわかりやすい。『池袋』に行きたいのに、そのナビが『渋谷』へのルートを表示したら、『池袋』へは着けない。間違った渋谷へのルートを、正しい目的地である池袋へのルートにナビをインプットし直す。これが、『パラダイム転換』なのである。
植えつける(インプットする)のは、大体が親の役目だ。つまり、そもそもその親のパラダイムが間違っていたら、その子供も間違ったパラダイムを植えつけられるに決まっているのだ。しかし、世の中は矛盾や理不尽だらけ。人は混沌を避けて通ることはできない。その中で、崇高な規範意識を保ち、正しいパラダイムをインプットするのは容易ではない。
そもそも、『正しいパラダイム』とは何か。ロックスターの子供に生まれた人間と、八百屋の息子に生まれた人間とでは、大きくパラダイムが違ってくるように思える。
実に数々の『神』が存在し、様々なルール、法律がある。深々と頭を下げるのが礼儀正しい国もあれば、顔面に唾を吐きかけるのが挨拶だという国もある。そう考えると、人間が『正しいパラダイム』を導き出すなど、不可能のように思える。しかし、人間には共通するパラダイムがある。そこに標準を合わせればいいのだ。
それは、『原則』である。簡単にいえば、『1+1=2』ということは、原則なのである。『原則』は、決して覆らない。こういう話がある。あるところに一人の小学生がいた。彼は算数の授業中、先生に『1+1=2』だと教えられ、首をかしげ、言った。
その先生は、その質問に答えることができなかった。その小学生の名を、『トーマス・エジソン』と言う。
当時のエジソンについていける人間はおらず、エジソンは小学校をたったの『3ヶ月』で落ちこぼれたという。まさに天才らしい考え方だ。一見、原則が覆ったかに思われた。しかし、『原則』というものは、天才をもってしても決して覆らない。
確かにエジソンの言うように、1つの粘土と1つの粘土がくっつけば、1つの大きな粘土になり、『2個』という概念は消える。水も同じ。だが、実際には、『1つの体積』と『1つの体積』が混じり合い、その体積はしっかりと2倍(2つ分)になっている。1+1は、必ず、『2』を導き出すのである。
パラダイム転換を説明する一つの例として、こういう話がある。
訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のため数日間にわたり航海を続けていた。男は先頭を行く戦艦のブリッジで夕暮れを迎えた。視界が悪く断片的に霧がかかっていたため、艦長もブリッジに残り、状況を見守っていた。
暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。
それに対して見張りはこう答えた。
つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるということだった。艦長は信号手に命じた。
相手からの返事が返ってきた。
艦長は再び命令した。
すると、
と返事が返ってきた。艦長は怒りだし、
と叫んだ。点滅する光の信号が返ってきた。
…戦艦は進路を変えた。
ここでいう『灯台』こそが、『原則』なのである。『原則』は、変えることができない。変えるのは、『自分のパラダイム』なのだ。
私が人生を変えるほどの大きなパラダイム転換を経験したのは、17歳の夏だった。私はあの経験をしなければ、今頃どうなっていたか、わからない。類稀なる環境が後押しをしてくれて、私はそれを体験することができた。
その神秘性たるや、キリスト教徒なら『神の声を聞いた』と言い、仏教徒なら『悟りを開いた』と言ったに違いない。それほど、すさまじい衝撃が、『パラダイム転換』には、ある。たとえ相手がどんな権力者であろうと言うことを聞かない、無宗教者のこの私が、心の底から『自分が間違っていた』と認めることができたのだから。
『パラダイム転換』は、全ての人間が体験しなければならない経験だと、私は信じて疑わない。この言葉を教えてくれた参考書『7つの習慣』は、世界中の人々から信頼されていて、日本の先頭を歩く経営者たちの多くが、人生で最も衝撃を受けた本、ベスト10の中にこの本をランクインさせている。時間を作り、この本と向き合う価値は、大いにあると断言する。