ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- イスラム教はなぜスンニ派とシーア派へ分裂したの?
- 『アラビアン・ナイト』の世界の時代はいつ?
1.ムハンマドの死後、跡目争いによって分裂しました。
2.8世紀頃のイスラム世界です。現在のイラクにあたるエリアですね。
ハニワくん
博士
ムハンマドは後継者を指定していませんでした。
『カリフ(指導者)であるべき人』は4人に絞られ、まず最初に『アブ・バクル』が選ばれ、2代目に『ウマル』、そして3代目に『オットマン』がカリフになります。しかし、このオットマンが何者かに暗殺されてしまうのです。これによって次の対象者だった『アッリー』が疑われてしまい、彼も殺害されてしまいました。
その流れで『オットマン』の派閥から『スンナ』という教典が生まれ、『クルアーン』と並んで2大支柱となっていきます。このスンナを信仰するムスリムを『スンナ派』と呼び、イスラム教の実に9割がこのスンニ派に属することになります。それに対し、ムハンマドの子孫であり、『アッリー』の後継者を自任するアブル・アッバースが半旗を掲げ、真のイスラム教を主張する『シーア派』が登場します。スンナ派とシーア派は現在進行形で対立中です。
『アラビアン・ナイト』
ムハンマドの子供に『アル・マンスル』という人物がいるのですが、彼が治めた8世紀頃のイスラム世界は、のちに『アラビアン・ナイト』の舞台となるところです。日本では『千夜一夜物語』とも言います。彼とその孫である 『ハールーン・アル・ラシード』はその地域を『バグダード』と呼び、そして経済的に繁栄させ、世界文化の中心にさせました。
博士
ハニワくん
先生
ムハンマドの後継者
イスラム教が攻撃的になった理由とは?虐げられたムハンマドの決意
上記の記事の続きだ。このようにしてムハンマドはイスラム教を作り、そして病死した。しかし後継者がいなかったので、その跡目争いが大変な問題となってしまったのだ。その指導者を『カリフ』と呼ぶ。
各宗教の指導者の名称
法王 | ローマカトリックの指導者 |
皇帝 | 東ローマ帝国の宗教的指導者 |
カリフ | イスラム教の指導者 |
そしてその『カリフであるべき人』は4人に絞られ、まず最初にアブ・バクルが選ばれた。
アブ・バクル | ムハンマドの友人で、彼に次ぐ地位にあり、クルアーンを編集した。 |
ウマル | ムハンマドの友人で、指導者としては彼に次ぐ地位。 |
オットマン | 同上。 |
アッリー | ムハンマドのいとこで婿(妹の夫) |
アブ・バクル後のカリフとその争い
スンナ派とシーア派の誕生
こうしてイスラム教に『スンナ』という教典が生まれ、『クルアーン』と並んで2大支柱となっていく。このスンナを信仰するムスリムを『スンニ派』と呼び、イスラム教の実に9割がこのスンニ派に属することになる。
国ごとのイスラム教の分布。緑系はスンナ派、赤紫系はシーア派、青はイバード派。ほとんどがスンナ派(スンニ派)であることがわかる。
イスラム教の2大教典
クルアーン | ムハンマドがアッラーから受けた啓示 |
スンナ | ムハンマドの行跡と言行録 |
しかし、彼らとは違って真のイスラム教を主張する『シーア派』が存在していて、スンニ派とシーア派は現在進行形で対立中である。彼らはもう1000年以上争いを続けている。
その後、アッリーを殺してカリフとなったムアウィヤの王朝の象徴『白旗』に対抗し、749年、イランの東北のホラーサーン地方で『黒旗』が翻った。ムハンマドの子孫であり、アッリーの後継者を自任するアブル・アッバースが半旗を掲げたのである。
彼からすれば、アッリーは罪を着せられて殺されたわけで、ムアウィヤはカリフの地位を強奪したに等しい。その地位を奪い返す。そのために、ウマイヤ朝を襲撃したのである。そして750年、ウマイヤ朝は亡ぼされ、アッバース朝が建てられた。
ムアウィヤ | スンニ派 |
アブル・アッバース | シーア派 |
『カリフ』と『アミール』
だが、そこから一人逃げのびた重要人物がいた。それが『アブド・アッラフマン』だった。
[アブド・アッラフマーン1世像(アルムニェーカル)]
彼はウマイヤ朝寄りだったスペイン地方に逃げ、そこに王朝を建てた。そして、奪われた地位『カリフ』に対抗し、『アミール』という称号を主張。これによって、下記のような図式が成立するようになる。
カリフ | 東イスラム世界の指導者 |
アミール | 西イスラム世界の指導者 |
そこで彼らは対立することになるが、アミールを主張したアッラフマンは、『カール大帝』率いるキリスト教徒との戦いに注意を逸らされ、結局闘う機会はなかった。
アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)
その代わり、カリフを主張したアブル・アッバースを襲撃した『アル・マンスル』という人物がいる。彼が治めたイスラム世界は、のちに『アラビアン・ナイト』の舞台となるところだ。日本では『千夜一夜物語』とも言う。
- 『アラジンの魔法のランプ』
- 『アリババと40人の盗賊』
- 『シンドバッドの冒険』
などの中東の話をまとめた『アラビアン・ナイト』という物語集の舞台が、この『アル・マンスル』という人物が治めたイスラム世界なのである。彼とその孫である 『ハールーン・アル・ラシード』はその地域を『バグダード』と呼び、そして経済的に繁栄させ、世界文化の中心にさせた。
シーア派にはイスラム原理主義者が多かった。イスラム原理主義者とは、キリスト教との和解を認めず、荒っぽいやり方を遂行する過激な考え方を持つ人々だ。その中にはテロを起こす人間もいるだろう。だが冒頭の記事に書いたように、それはキリスト教の十字軍が彼らを襲撃した過去があるからであり、イスラム教にそういう過激な印象を覚えてしまっても、決して忘れてはならないことがある。
『世界がわかる宗教社会学入門』にはこうある。
宗教には、テロリズムのイメージがある。宗教とテロは関係性が強いのか。これはもちろん誤解で、実際はテロリストが宗教を口実にしているだけ。
テロを起こす人は宗教やアッラー(神)を盾にしているだけ。純粋なイスラム教徒のほとんどが、平和と非暴力を訴え続けているのである。さて、今回でイスラム教については終わりだ。次はヒンズー教である。
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参考文献