このあたりの記事を考えてもわかるように、人間というものはとかく思いあがりがちである。大した知能もないくせに、自分の知能があると思い込んでいて、その他の動物や昆虫等の生命に対して敬意を持てない。だから当たり前のように動物の肉を食べるし、道路で埋め立てたところに住んでいた昆虫が死んでも何一つ思わない。
そこには昆虫がいたのに!
とは思わず、
ああ、便利になったなあ。
とだけ思い、今日も明日も『人間本位』の人生を生きていく。そして例えば、下記のような黄金律に支配される。人生がうまくいくと、そのまま自分の思い通りに展開していくと思い込み、みるみるうちに道を踏み外し、気づいたら崖の下に転落してしまっている。
経済学の巨人と言われたガルブレイスは、1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
物事が思い通りに進み、その結果に自惚れて、転落する。こんなことが、ガルブレイスから言わせてみても、もう400年以上も続いている。そしてもちろんそんなものではない。人間が愚かだったのはもっと遥か昔からそうだ。『ブルーノ』が殺された例はどうだ。彼はただ真実を述べただけだった。
しかし彼を殺した人々は言った。
しかし正しいのはブルーノであり、ガリレオであり、コペルニクスだった。
彼らのような人間はとても賢い。最初は自分の探究心や知的好奇心を正当化していたが、後にその正当化を悔い、人によっては涙を流して謝罪し、人によっては、
とまで言った。彼らは以下の黄金律をよく理解している。自分にあったのが知性ではなく、思い上がりだったということを認めることが出来るのは、『知性』だ。
偉そうな人に偉い人はいない。あなたの周りに偉そうにしている『自称偉い人』はいないだろうか。あるいは、自分自身はどうだろうか。いや違う。これは自分自身に対して言うべき言葉だ。自分自身が戒めの為に書いた、メモだ。
実るほど頭が下がる稲穂かな。
スティーヴン・ホーキングの著書、『ビッグ・クエスチョン<人類の難問>に応えよう』にはこうある。
地球はあまりに多くの領域で危機に瀕しており、私あ明るい展望を持つのは難しい。よからぬことが近づく兆しはあまりにも鮮明で、しかもそんな兆しがあまりにも多い。第一に、私たちにとって地球は小さくなりすぎた。物質的資源は恐ろしいほどのスピードで枯渇しつつある。私たちはこの惑星に、気候変動という壊滅的な問題を押し付けた。気温の上昇、極致における氷冠の減少、森林破壊、人口過剰、病気、戦争、飢饉、水不足、多くの動物種の絶滅、これらはみな解決可能な問題だが、これまでのところは解決されていない。
第一に、私たちにとって地球は小さくなりすぎた。物質的資源は恐ろしいほどのスピードで枯渇しつつある。私たちはこの惑星に、気候変動という壊滅的な問題を押し付けた。気温能上昇、極致における氷冠の減少、森林破壊、人口過剰、病気、戦争、飢饉、水不足、多くの動物種の絶滅、これらはみな解決可能な問題だが、これまでのところは解決されていない。
地球温暖化は、みなで引き起こしたことだ。私たちは車を欲しがり、旅行をしたがり、生活水準を向上させたいと願う。問題は、人々がいま起こりつつあることに気づいたときには、すでに手遅れかもしれないということだ。(中略)また、人間活動とテクノロジーが、地球上の生命を永遠に変えてしまいかねないやり方で、気候のシステムに影響を及ぼしていることも学びつつある。
私たちは世界市民として、自分たちが知りえたことを人々に伝え、なしにすませる危険について警告を発する義務がある。もしも政府と社会がいますぐに核兵器を廃止し、気候変動がこれ以上悪化するのを食い止めなければ、大きな危機に陥ることが予想されるのだ。それなのに当の政治家の多くは、世界が一連の重大な環境危機に直面しているときに気候変動が人間活動によって引き起こされた現実の問題であることを否定するか、あるいは少なくとも、人間にはその進行を逆転させられるだけの力があることを否定している。