仏教は宗教なの?わかりやすく簡潔に教えて!
現在はその傾向がありますが、大元のブッダがこうなることを願ったかはわかりません。
『宗教』の解釈は専門家の数だけあります。
宗教というのは英語で『religion』と言いますが、これはフランス語でもドイツ語でも同じです。これはラテン語の『religio』に由来し、『神と人をつなげる』という意味があります。そう考えると、仏教に『神』は出てきませんので、仏教は宗教ではないと考えられます。また、仏教の開祖『ブッダ(釈迦)』自身が、
と言っています。崇拝の的となることを拒否し、また偶像崇拝が生まれることも望んでいませんでした。彼の教えの根幹にあるのは『自分の心と向き合いそこで答えを得ること』ですから、そうすると『神と人をつなげる宗教』というよりは、『人の心を整える精神修行(精神統一)』の印象が強いですね。しかし、そのほかにも色々な教えがありますから、それらを含めて『ブッダの教え(仏教)』と解釈することができます。
上記の記事の続きだ。ヒンズー教にはガンジーのような人物がいて、『カースト制度』や『イギリス植民地化』に対して積極的に働きかけをした。そして、その記事でダライ・ラマについても書いた。彼が属するのは『チベット仏教』である。チベットというのはインドと中国の間にある国で、ダライ・ラマは、インドから仏教の影響を強く受けていた。
ここからはこの仏教の話である。インドはヒンズー教の国だったが、仏教も存在していた。仏教は一時はインドの国教になるくらい、インドで影響力を持った宗教だ。だが、実際にこれが『宗教』かどうかということは怪しい。私は『仏陀の言葉』に直接目を向けて勉強したが、彼はこう言っている。
この『彼』というのは、仏教の創始者『ブッダ』である。ブッダについては下記の記事に詳しくまとめてあるので、詳細はそちらで確認していただきたい。ブッダの基本的な話である、
このあたりのことについてもそこに書いてある。
少しだけ引用しよう。『ブッダ』とは、『悟りを開いた者』という意味。『釈迦(しゃか)』とは本人が『釈迦一族』出身であることによる、通称のようなもの。インド語で『シャカムニ』、漢字では『釈迦牟尼』。釈迦一族の聖者という意味が込められていて、よく言う『釈迦』とはその略語である。
本名は『ゴータマ・シッダールタ(シッダッタ)』である。いわゆる『お釈迦様』とはこのブッダ(釈迦)のことであるが、本人は、
と言い続け、崇拝の的となることを拒否し、また偶像崇拝が生まれることも望んでいなかった。つまりブッダは、自分のこの教えが『仏教という宗教』として、『宗教化』していくことを望んだかどうかは怪しいということだ。
仏教にはたくさんの宗派がある。日本で考えただけでも以下の通りだ。
日本における仏教の宗派とその始祖
更には先ほどのダライ・ラマの『チベット仏教』もあれば、その中で更に、
と宗派があるし、まだまだ世界各地にたくさん宗派がある。これをブッダが望んだかと考えてみると、恐らく彼は望んではいないだろう。まず、彼が突き止めた『真理』があり、それを彼は見事と言わざるを得ないほどに解釈し、体得し、それを伝えて人々に光を当てた。しかし、彼が死んだあと、
彼の教えを残すべきだ!
『と解釈した』人々が、様々な『独自の解釈』をして『独自の教え』をしていくと、
という人が現れ、そして様々な宗派が生まれていったのだ。そう考えると、仏教が『宗教である』という考え方は、いささか首をかしげざるを得ない。
さて、しかしそうは言っても、やはり2500年も前のもの。そこには、現代の人が考えて首をかしげるようなところもある。例えば『輪廻(りんね)』だ。輪廻については下記の記事で説明している。
ヒンズー教の2大思想
業(カルマ) | 自分のやったことの責任を負うべきという考え。 |
輪廻(りんね) | 死んでも生まれ変わる考え。つまり終わりがない。 |
ヒンズー教徒は、輪廻の考え方を軸にして、自分のカルマに責任を持つべきだという考えを強いられるのである。そして冒頭の記事にも貼ったこういう事件が起きる。身分の低い人間が、上の人間にその命を侮辱されるのだ。
参考
インド8歳児、「集団レイプ」の酷すぎる理由 The New York Times | 東洋経済オンライン
当時、釈迦が生活していた場所はヒンズー教の前段階である『バラモン教』が蔓延していた。そして釈迦たち王族は、そこにあるカーストの上層部である『クシャトリヤ(王族)』に属していた。
出典:http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=813
上から順に、
ブッダの父親も、敬虔なバラモン教徒だった。そして、釈迦ももちろん、その影響を受けて生きていた。しかし釈迦は、その『身分差別』に疑問を抱いていた。
この考え方は本当に正しいのだろうか…
そう考えて、釈迦は『新しい正しい教え』を突き止めようとした。それが釈迦が29歳で旅に出た理由である。そして6年間苦行をし、それでも悟りを得られなくて(答えが見つからなくて)、35歳の時に一週間の瞑想(内観)をしたことで、悟りを得て、ブッダになったのだ。
であるからして、ブッダの教えというのは元々そこに蔓延していた『バラモン教』の影響があった。もちろん、それを打破する教えを誕生させたわけだから、基本的には迎合していないが、しかし影響はされている。例えば、
と言ったりするわけだ。
ヒンズー教の輪廻が『永遠に生まれ変わる宿命』であるのに対し、ブッダが教える解脱は、その宿命の輪から逃れることができるということ。つまり、良いことをすれば、良い存在になって生まれ変わるということ。
これは明らかに輪廻の影響を受けている。まあ、それは当然だろう。あの時代にあって、当然のように父親も含めてほとんどの人がバラモン教の思想で生きている中で、その思想を完全に無視して全く新しい価値観を生み出すことはしない。『それを踏まえて』考えるのが普通だ。
ということだ。これは当然の流れだと考えることができる。であるからして、仏教の教えにある様々な『宗教っぽい部分』は、私は『やむを得ずできた部分』だと解釈している。それは、ブッダの言葉を直接考えた私の個人的な感想だ。彼はもっと、賢い人間だった。
六道
地獄道 | 前世で最も重い罪を負った者が生まれる所 |
餓鬼道 | 欲望のままに生きた者が生まれる所 |
畜生道 | 人間以外のものに生まれる |
修羅道 | 憎悪に満ちた世界 |
人間道 | 善行をなした者が生まれる社会 |
天道 | 善行をたくさんした者が宿る所 |
この仏教の生まれ変わった後の『六道』の考え方を見ると、『地獄』や『畜生』と出てくるだろう。つまり、地獄に堕ちたり、犬や猫に生まれ変わったりしてしまうという発想があった。このあたりがどういうことなのか、次の記事で分析していこう。
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参考文献