ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- 儒教を作ったのは誰?
- 儒教は宗教?
1.孔子の教えをまとめたものが儒教ですが、『儒教』と名をつけたのは対立していた墨子でした。
2.専門家でも意見が分かれています。
ハニワくん
博士
儒教が宗教かどうかは専門家でも意見が分かれます。
専門家の中でも識者として名高い人が、孔子に対し『いわゆる宗教家ではなく、偉大な道徳家であり、実践哲学者というべきである』と言っています。しかし本場韓国の宗教専門家は、『儒教を宗教と認めない西洋の尺度には問題がある』と言っています。また儒教は、実は孔子が考えた名前ではなく、対立していた『墨子』が考えた名前です。
そもそも儒教の『儒』の字は、この墨子が憎しみを込めてつけたといわれています。本来『雨を祈る人』というこの字は、儒教が災難を祈る人のような、祭祀で金儲けをしようとする輩であるというような、そういう非難の意味が込められていたのです。しかし、それはすべて孔子が死んだ後の話。孔子はまさか自分の教えや思想が『儒教』という名で世に浸透しているとは思ってもいないのです。
博士
ハニワくん
先生
儒教と『宗教』
ブッダが考えた『生まれ変わり』や『地獄』に対する見解とはなんだった?
上記の記事までに仏教についてまとめた。ブッダの言葉に関してはこのサイトの軸として存在しているので、記事としてはあのボリュームで終わりだ。今回からは、『儒教』である。これで宗教編はラストだ。だがこの儒教、宗教なのか、何なのか、意見が分かれてしまっている。
例えば、『世界の宗教;ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ヒンズー教・仏教・儒教・その他 (教養マンガ1)』にはこうある。
儒教を宗教と認めない西洋の尺度には問題がある。その理由は東洋と西洋の精神世界が異なるところに由来する。人類の哲学や思想は自己と自然(もしくは神)の関係をどう設定するかによって変化してきた。西洋ではこれをいつも垂直的な関係ととらえてきた。神は人間よりも上で、霊魂は肉体よりも上で、本質は現象よりも上にあると見ている。こうした設定のもとに、人間が歴史と文化の主体だという人文主義(ヒューマニズム)が生まれる。人間の位置を垂直のどこに置くかによって思想と哲学の歴史が形作られてきた。
東洋では自然はそれ自体にすぎない。人間が自然の一部分にすぎないという自然主義思想と自然から抜け出し、すべての主体となる人文主義思想と区別され、東洋思想と哲学の歴史は、この自然主義と人文主義が行き来する水平的な関係だった。人間が歴史と文化の主体として人間らしく生きる世の中が何かを提示したのが孔子だ。
様々な思想
ヘブライズム | 神中心の発想 |
ヒューマニズム(人文主義) | 人間が歴史と文化の主体 |
自然主義 | 人間は自然の一部分 |
つまり西洋が考える『宗教』は、『人の上に神がいる』というヘブライズム的(縦、垂直的な関係)な発想が基本だが、儒教の場合そうではなく、
『人文主義⇔自然主義』
という『水平的な関係』をしていたため、西洋から見るとあまり宗教っぽくはないということだ。更に、日本の儒学者である安岡正篤も、著書『論語の活学』において、
孔子はあくまでも、人間を超越した絶対者、神、天の信仰に生きるという態度志向をとらず、徹底して人間の中に天を発見し、人格の権威と自由とを確立しようとした。いわゆる宗教家ではなく、偉大な道徳家であり、実践哲学者というべきである。
と言っている。しかし儒教の影響を強く受ける韓国からしたら、儒教はれっきとした宗教だというのである。まあ正直言ってこのあたりは私はどうでもいい。それは以下の記事を見ればわかることだ。
仏教の始祖、ブッダはこう言っている。
私は『宗教』という名前がついた方がうさん臭さを覚えてしまうから、つかない方が多くの人に受け入れやすいと考える。まあ、正式に考える立場にある人で、儒教が強く染み付いた韓国の宗教専門家からすれば、そのあたりはハッキリさせたいだろうが、どうであれ、孔子の教えは素晴らしいのだから、それでいいのだ。
『雨を祈る人』
しかしこの儒教、実は孔子が考えた名前ではなく、対立していた『墨子』が考えた名前なのだ。そもそも儒教の『儒』の字は、この墨子が憎しみを込めてつけたといわれている。本来『雨を祈る人』というこの字は、儒教が災難を祈る人のような、祭祀で金儲けをしようとする輩であるというような、そういう非難の意味が込められていた。
孔子が亡くなった後、その孔子の教えを弟子たちがまとめて一つの宗派を作っていたわけだが、その中に、
葬式があるということは、金儲けのチャンスだ!
と考える人がいたわけだ。それをよく思わなかった墨子が、憎しみの意味を込めて『儒教』と名付けた。しかし、それはすべて孔子が死んだ後の話だ。孔子はまさか自分の教えや思想が『儒教』という名で世に浸透しているとは思ってもいないのである。
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参考文献