いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.初めて『人間』についての哲学をした人です。
2.ソクラテス以前の初期哲学者(タレス等)が『手探りで模索した』のに対し、ソクラテスは『世の人に大きな影響を与えた』からです。
孔子、ソクラテス、ブッダ、キリスト。
ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、『偉大な哲学者たち』の第一巻をこの四人にあてており、彼らを『人間の基準を与えた人々』とみなしています。これを見るだけで、ソクラテスが世に、人に与えた影響がどれだけ大きいかということがよくわかります。
当時、ソクラテスのいたアテネには『ソフィスト』という詭弁とも屁理屈とも言えるような話術や論理を持つ人々が目立っていました。つまり、アテネの人々の考え方は乱れていたのです。そこに、そういう状況を改善しようという動きを見せる人物が現れた。それがソクラテスだったのです。彼はそこに蔓延した常識(腐敗)を叩き割り、より良い考え方を主張しました。
ただ、そのソフィストの中にはプロタゴラスという人物がいて、彼は『人間は万物の尺度』だと言いました。彼の相対的な考え方は、それまで宇宙に向かっていた人間の目を、人間自身に向ける決定打となり、外に向けていた目を、内に向け始めるきっかけとなりました。ソクラテスの考え方は、ソフィストだったプロタゴラスの考え方も影響しているでしょう。
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上記の記事の続きだ。確かにタレスは最初の哲学者であり、ヘラクレイトスは『哲学者』と最初に名乗った男だ。だが、古代ギリシャ哲学者の中で最も有名な哲学者はソクラテスである。ソクラテスの前にはタレスがいたが、ソクラテス以前は人間についての哲学はなかった。ソクラテスの登場とともに、倫理と道徳の声が高まり、人間社会に新たな秩序と価値を求めるようになる。
『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、『偉大な哲学者たち』の第一巻をこの四人にあてており、彼らを『人間の基準を与えた人々』とみなしている。その意味で、ソクラテスは多くの人々の心を引きつけたのである。
ソクラテスが登場する前のアテネは、ペルシャとの戦争を終えて、同盟国でライバルのスパルタも抑え、エーゲ海の政治経済、文化の中心となる。このスパルタとペルシャとの戦いと言えば、映画『300』だ。ソクラテスたちのような知識人たちとはまた違った角度で、この時代を見ることができる。
ただ、ソクラテスにも兵士としての一面があった。敵からしたらかなり厄介な兵士だったという。(ペロポネセス戦争)
『ソクラテス われらが時代の人
第一に、ソクラテスは自分の生命の安全も考えずに、アルキビアデスの命を救った。アルキビアデスは傷ついて倒れていたが、ソクラテスがやってきて、敵を追い払ってくれたのである。第二にソクラテスは完全武装をしていて、撤退戦においても恐るべき兵士であった。ソクラテスの物腰には、敵が手を出せないような様子があった。ソクラテスを捕虜にしようとすれば、『てひどく防戦される』に違いないことは明らかだったのである。
第三にアルキビアデスはソクラテスがきわめて我慢強い人物であることを証言している。寒さにもかかわらず薄着で、雪の中をはだしで歩いていたのである。不愉快な事態も食料や飲み物の不足も、ソクラテスを煩わせることはないようだった。陽気で傑出した兵士だったのである。
とにかくこのようにしてギリシャは戦争に勝ち、アテネは発展していった。そこで民主制度が根付き、市民が政治に直接参加することになる。この流れが良くも悪くもアテネの雲行きを変えていったのである。
『ソフィスト』というのは、『知恵のある人』という意味で、知識人のようなイメージだ。その後アテネにはこのようなソフィストで溢れるようになった。前回の記事に書いたゼノンの『アキレスと亀』のような、詭弁とも屁理屈とも言えるような話術や論理を持つソフィストが目立つようになった。イメージは『一休さん』である。
例えば一休さんの逸話としてこういうものがある。『このはしわたるべからず』と書かれた橋の前に立ち、あろうことか堂々と橋の真ん中を通った。当然のようにそれを怒った人間に対し一休さんが言ったのはこうだ。
一休さんの場合、愛着を持てるのは彼のイメージが『丸坊主の少年』で、『一人』だからだ。しかし、彼のような人間がそこら中にいるとなると話は変わってくる。そしてそこへ、
といった人物が登場し、
という『弱肉強食』的な発想にまで至るようになった。つまり、アテネの人々の考え方は、乱れていたのだ。それもそのはず。つい先日まで戦争をしていたような人々なのだから、戦争が終わって急に『毒素』が抜けた聖人のようになるわけでもない。やはりまだどこかに野性的というか、動物的な荒々しさが残っていた。それは今で考えても何ら変わることのない事実だ。人間でいる限り、力に溺れ、越権的になり、道を見失うのは避けて通れないかのようにも見える。
だが、そういう考え方を野放しにしていたら独裁政権となり、民主的発想が崩れ、真の平和が見いだせない。のちのヒトラーやスターリンがしてしまったような転落ぶりを予期するかのように、そういう状況を改善しようという動きを見せる人物が現れた。それがソクラテス、その人なのである。
ここで、下記の記事にも書いた、世界3大宗教の創始者が生まれた時代背景を見てみよう。
世界3大宗教の創始者と当時の時代背景
宗教 | 創始者 | 時代 | 時代背景 |
キリスト教 | イエス | 紀元後4年頃 | ローマ帝国による奴隷たちの苦悩が絶頂に達していた |
イスラム教 | ムハンマド | 6世紀頃 | アラビア民族の対立が頂点に達していた |
仏教 | 釈迦 | 紀元前600年頃 | 数千年にわたるカースト制度が人を苦しめていた |
これを見てもわかるように、これらの宗教が生まれたとき、そこにあったのは『苦しい状況』である。とても苦しく、改革が必要な状況がそこにあった。何らかの革命を起こし、事態を好転させてくれるような人物、つまり『救世主(革命家)』が必要だった。イエスは、
このような『苦しい状況』を『更新』しようとして、『新しい教え』を広めようとした。
こう考えたとき、ソクラテスのような人物がここで登場するのもうなづけるようになる。やはり傑出した人物というのは、まずそこに蔓延している腐敗のような状況があって、その状況を受け、
何とかしなければならない
と奮起して立ち上がることで現れることがわかる。先ほど挙げた『兵士としてのソクラテス』の一面を考えても、元々ソクラテスに秘められていたポテンシャルは大きかった。そのようなポテンシャルを持った人物だからこそ、そこにあった大きな腐敗に立ち向かい、新たな概念を生み出していき、大きな影響を与えていくことができたのである。
次の記事で更にソクラテスについて見ていこう。
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参考文献