いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.『無知の知』を説き、人々により知性を高めてもらおうとした人です。
2.自分の信念と真理への忠誠心が強く、民衆に媚を売らなかったことが原因です。
ソクラテスは『無知であることを知っている人』が知的であると考えました。
しかし多くの人はそうは思わず、思い上がっています。特に知識人や権力者を自称する人がそうです。ソクラテスはそういう人にも臆することなく意見をしていき、どれだけ自分が無知であるかを悟ってもらおうとします。それによって彼が自分の無知に気づけば、前よりも彼は人として賢く、知的になるからです。
しかし、人というものは往々にして愚かな生き物です。ある時、そうした行為を斜に構えて捉えたアニュトス、メレトス、リュコンは、彼を訴え、裁判で死刑を求刑するよう画策しました。しかしソクラテスはその裁判で一切自分の自己弁護をせず、むしろ当然のごとく無罪を主張しました。もしソクラテスがこの裁判で『彼らの機嫌をうかがっていた』なら、もしかしたらソクラテスはここで死ぬことはなかった。しかし、ソクラテスはそれをしなかったのです。
ソクラテスは最期まで真理に忠誠を誓い、死後の世界を『悪いところ』だと決めつけることさえしませんでした。死後の世界は誰も知らないはずです。それなのにそれを勝手に『悪いところ』だと決めつけて慌てふためき、間違っている人に媚を売ってでも生き永らえようとするのは『無知』そのものだったからです。
上記の記事の続きだ。このようにして、アテネに蔓延していたソフィストたちの歪んだ思想を叩き直そうとして、ソクラテスやプラトンらが立ち上がった。
下記の記事にも書いたように、哲学の主軸はこの5つである。このうち、ソクラテスが見出したのは『倫理哲学』ということになる。つまり、人間に倫理や道徳を求めたのである。
しかしこれにはソフィストの影響もあった。ソフィストの中には、プロタゴラスがいて、『人間は万物の尺度』だという見解を主張した。
つまり、この世にあるものは『人間がどう見るかによって尺度が変わる』ということ。例えば、アフリカ人からしたらふくよかな女性が美女だが、日本人の多くはそうは思わない。ある外国では、お尻が大きな女性がモテるからということで、わざわざお尻にシリコンを注入し、大きなお尻にする流行があるが、また違う外国では、脚を細くするために躍起になる流行がある。
このようにして、物事の価値も『人間がどう見るかによって尺度が変わる』。絶対的な価値があるわけではなく、相対的な価値があるだけだ、ということである。ペンダント一つで考えても、ある人にとっては高い価値でも、ある人にとってはガラクタなのである。
このプロタゴラスの相対的な考え方は、それまで宇宙に向かっていた人間の目を、人間自身に向ける決定打となった。外に向けていた目を、内に向け始めるきっかけとなったのだ。
誰が見るかで、そのものの価値や評価が変わる…か。あの人はこう思っても、自分はそう思わないということ。うーむ。そもそも、『自分』って何なんだろう?
ソクラテスの言葉にこういうものがある。自分自身を知る。このような考え方は、ソフィストだったプロタゴラスの考え方も影響しているだろう。ということは、アテネに様々なソフィストが蔓延したことは、あながち間違ってばかりではなかった。確かに混沌として秩序が乱れたが、その状況だからこそ多様性があり、その多様性の一つにプロタゴラスのような発想があり、それがソクラテスにも生かされたわけだ。
ソクラテスだけがすごいのではなく、古代ギリシャ哲学というのは当時の時代を生きた多くの哲学者やソフィストたちが力を合わせて磨いていったと言ってもいいだろう。もっとも、『力を合わせた』という表現は厳密に言うと違うだろうが、極めて俯瞰的に見ると、そう言えなくもないということである。
実はこの『汝、自身を知れ(gnothisauton)』というのは、参考書には『神殿の入り口に記載してあった文字』とされている。ソクラテスはデルポイで神託を受け、そこでこう言われる。
しかしソクラテスは身に覚えがなかった。そして神殿の入り口にあったその記述を見て、『無知の知』を思いついたのである。
自分は何も知らない、ということを知っている知識。
ソフィストたちの傲岸不遜ぶりを思い出せばわかるが、当時、そこにあったのは『思いあがった自称知識人』だった。しかしソクラテスは、
私は何も知らない
と考えるわけである。
この時点で、
私はなんでも知っているぞ!
と思いあがっている人間よりも、ソクラテスの方が一枚上手なわけだ。全知全能な人間などいないのに、あるソフィストはまるでそうであるように振舞っている。しかしソクラテスは(そうではない)と思っている。ということで、実態の把握に成功しているのは、ソクラテスということになるのだ。だからソクラテスは真の知識を学ぶことができた。なぜなら、
からである。つまり、自分の頭が空っぽだと思うからこそ、そこに新たな知識を詰め込める。しかし、自分がもう『満杯だ』と思っているなら、もうそれ以上知識は入らない。ソクラテスは自分が空っぽだと思った。だからこそより良い知識を得ることができ、実態の把握に近づくことができたのだ。
この考え方に影響を受けた人物がいる。日本の名クリエーターであるスタジオジブリの宮崎駿だ。彼の名作『紅の豚』は、当時の東大総長が言った、
『肥えたブタではなく、痩せたソクラテスになれ。』
という言葉に感銘を受けた宮崎が、自分を自虐的に『無知なブタ』であると表現し、ソクラテスの様な知者に一歩でも近づくべく思いが影響しているのだという。自分をブタと表現するところが重要である。無意識に肥えたブタのように傲岸不遜に陥っているはずだと、謙遜しているのだ。当時で言うならこの豚はソフィストだった。ソクラテスのように『まだ食べられる痩せた人』であれば、つまり謙虚な人であれば、もっともっとより良い人になれるという意味なのである。
下記の記事をご覧いただきたい。
『崖の上のポニョ』のエンドロールに流れるスタッフ紹介の左に、それぞれを象徴したアイコンが記載されていて、宮崎駿は『豚』になっているのがわかる。『千と千尋』で豚に変わる千尋の両親、彼が自画像を描くときに使用される豚の絵、彼にとって『ソクラテスと豚』というのは、無関係ではないのだ。
ソクラテスの前にはタレスがいたが、ソクラテス以前は人間についての哲学はなかった。ソクラテスの登場とともに、倫理と道徳の声が高まり、人間社会に新たな秩序と価値を求めるようになる。この紀元前600~400年頃の時代、世界に目を向けるとこのような傾向があった。
彼らが倫理と道徳の尺度を設けたのは同時代だった。この理由は、世界的に農耕社会が定着し、古代国家時代に移る過程で、より強力な精神体系を必要とした人間の動きが関係している。
上記の記事にも書いたように、原始宗教の一番の特徴は、善悪の概念がなく、来世への祈りと期待を重要視しないことだ。しかしそれが『古代宗教』、『世界宗教』へと発展していくにつれて、そのあたりの内容に触れるようになってくる。このソクラテスが登場する前には、すでに善悪の概念があった。だが、その判断はすべて神が決定していた。
しかし、このソクラテスの考え方によって、その善悪の判断を『神』ではなく『人間個人』が考えるようになっていく。ある日ソクラテスは、自分が知者だと言い張る人間に、 『善とは何か』と問いただした。
すると、男は笑いながら言った。
それについてソクラテスはこう言ったのだ。
このような『問答法』をしてソクラテスは、アテネの人々により良い人間になってもらおうと対話をし続けた。その後ソクラテスは、『社会とは道徳と倫理の秩序なしには存在しない』という考え方のもと、国家の理想を一個人の幸福よりも重要だと考えて、国家の定めた『法』を何よりも重視した。
『悪法もまた、法なり。』
と言い、法に逆らわず毒杯を飲んだことの理由には、こうした背景も手伝っていると考えられている。
彼が毒杯を飲んだ理由を説明しよう。ある時ソクラテスの『相手に自分の無知を知らしめる行為』を悪く思ったアニュトス、メレトス、リュコンは、彼を訴え、裁判で死刑を求刑するよう画策した。ただソクラテスはその裁判で一切自分の自己弁護をせず、むしろ当然のごとく無罪を主張した。もしソクラテスがこの裁判で『彼らの機嫌をうかがっていた』なら、もしかしたらソクラテスはここで死ぬことはなかった。しかし、ソクラテスはそれをしなかった。
そして幼馴染のクリトンに脱獄を勧められても断り、逃げることなく、死刑を受け入れた。彼曰く、
『これまでの生涯で一貫して私が説いてきた原則を、不幸が訪れたからと言って放棄することはできない。』(『クリトン』46)
そしてソクラテスは最期にこう言ったのだ。
『お別れのときが来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために別れるのだ。君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか?答えることが出来るのは神のみである。』(『弁明』42A)
彼の生きざまはとても知的である。
モンテーニュがこう言い、
サン・テグジュペリがこう言い、
エラスムスがこう言ったように、
『生きながらえる』ことを選択する多くの醜い命よりも、とても高潔に見える。貫いてきた信念を曲げ、命を惜しみ、無知な人々に命乞いをして生きながらえるよりも、真理を愛し、死を選ぶことにしたのだ。
そもそも彼に言わせれば、
ということなのである。死後の世界を知らないのに、死ぬことを恐れたり、避けたりすることは『無知』なのだと。
彼のこの逸話がどれだけ本当かはわからない。ソクラテスは本を一冊も残していないので、プラトン等の著書に頼るしかなく、一部『美化しすぎだ』という話もある。確かに、偉大なる師匠について弟子たちが何かを書くときは、多少その尊敬の念が美化・正当化の方向に傾くことはある。
四聖における逸話の信憑性
ソクラテス | 美化されすぎ |
イエス | 復活したのかどうか |
孔子 | 弟子が3000人いたのは嘘かもしれない |
ブッダ | 神格化された |
だが一つだけハッキリしているのは、彼らはそれだけ偉大な人物だったということだ。決して人は彼らの生きざまを忘れてはならない。弟子たちのそういう強い思いが、そこにあったのだろう。
アテナイの人々はソクラテスを刑死させたことを悔やんで、ソクラテスを告訴したメレトスには死刑の判決を下した。その後人々はポンペイオンにソクラテスの銅像を作り、彼を讃えた。
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参考文献