アリストテレスは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
師であるプラトンの説いた『イデア』を、更に独自の考え方でまとめた人です。
プラトンとアリストテレスは、ソクラテスが作った哲学の基盤の上に、確固たる大黒柱を建てました。
この3人が古代ギリシャ哲学を作り上げたと言っても過言ではありません。ソクラテスの死後、弟子のプラトンが彼の説いた『真理』を『イデア』という形で独自解釈してまとめ、プラトンの弟子であるアリストテレスは、イデアを『不動の動者』という形でまとめました。妙な言葉がたくさん出てきますが、例えば長さには単位がありますよね。
km→m→cm→mm。
このように、より細かい長さの単位があり『いや、これはmmとしてまとめられるよ!』などとして、より細かく物事を取り決めていくわけです。それと同じで、彼ら哲学者も、この世の中の色々なことを、様々な言葉や考え方を使ってまとめようとしたのです。
『不動の動者』とは『もうこれ以上分割できないもの』であり、自ら変化したり動いたりせず、逆に事物を変化・運動させる存在のこと。これは『真理』や『法則』とほぼ同義語ですね。更に細かいことは下記にまとめました。
またアリストテレスは『中庸(ちゅうよう)』という概念を主張したことでも有名です。意味はほどほどに、ということ。過剰過ぎず、足りなすぎず。中庸がいいんだ、ということですね。アリストテレス以後、論理学の数えきれない研究が図書館を埋めていますが、それらはアリストテレスの論理学に注釈をつけているだけ。彼を超える論理的発想をする人間は、まだ現れていないのです。つまり、彼が堀った深さが、半端ではないということですね。
上記の記事の続きだ。このようにしてプラトンはソクラテスの『無知の知』の上に、『イデア』を見出し、『善』を求め、世を良くしようと考えた。このプラトンの弟子が、アリストテレスである。プラトンとアリストテレスは、ソクラテスが作った哲学の基盤の上に、確固たる大黒柱を建てた。この3人が古代ギリシャ哲学を作り上げたと言っても過言ではない。
プラトンはソクラテスに8年間は師事したが、アリストテレスはプラトンに20年間は師事した。だからもちろんその師であるプラトンを尊敬した。だが、アリストテレスはソクラテスやプラトンとは違う意見を持っていた。その理由は生きた時代背景が関係しているという。
プラトンらが生きた時代のアテネは、まだ元気があった。だが、アリストテレスが生きたアテネは、すでにアレクサンドロスに支配され、亡ぼされていた。このような事情が、アリストテレスの思想に影響を与えたのだ。
単純に、現在を生きる我々は戦争を知らない。だが、戦争を知っている人々は皆、過剰ともいえる『天皇崇拝』の発想があった。天皇がラジオで言葉を発すれば、多くの人はそれを正座して聞いた。
当時の人は『天皇』と呼び捨てにすることはできず、『天皇陛下』と呼ぶことが当然だった。しかし、現代人は違う。敬う気持ちはあるが、過剰な天皇崇拝はないし、戦争の悲惨さも知らない。そのようにして、人の思想というものはどのような時代と環境を生きるかによって、差異があるものである。プラトンとアリストテレスもそうだったということだ。
アリストテレスは何の運命か、そのアレクサンドロスの家庭教師をすることになった。この出会いは、『世界帝国の帝王』と『精神世界の柱』の出会いという重要なものだったのだが、実際には彼らがお互いにどのような影響を与えたかということはわかっていないようだ。アレクサンドロスが13歳~16歳の頃だった。
[アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス]
では、アリストテレスが師であるプラトンとどう意見が食い違ったかを見てみよう。プラトンが主張した理論はこうだ。
認識論 | 考え、意識の状態 |
存在論 | 感じ、認識する対象の状態 |
例えば花を見て、
綺麗だ(美しい)
と感じる。だが、花が枯れると、
枯れちゃってるな(美しくないな、哀しいな)
と感じる。ということは、元々その人は『美しいものがなんであるか』という基準を持っているわけだ。そして、花の状態がその条件に一致すると『美しい』と思い、条件を満たさなくなると『美しくない』と感じる。その時の基準となっている概念のことを、『イデア』と呼ぶわけである。
花の例で言えばこうなる。
花を見た人 | 認識論 |
花の状態 | 存在論 |
このように、
という2つの世界に分けるこの考え方を『二元論』と呼ぶ。それに比べてアリストテレスは『多元論』という発想をした。プラトンの考え方だと、まずイデアがあり、そのイデアを元に何らかのものが作られるわけだ。
ここで考えるイデアというのは『モデル』とか『基準』というイメージで考えると分かりやすい。
二元論
女性のイデア | 本物 |
女性を描いた絵 | イデアの模倣品 |
このように、『真実はイデアだけ』という考え方が最初にあり、それをイメージして人がそれを作ったり描くなら、それらはすべて『イデア(モデル)の模倣品』となるわけだ。そのように大きく2つに分ける考え方を、『二元論』と呼ぶ。
だがアリストテレスは『多元論』を考えた。
アリストテレスは、『イデア』という言葉ではなく『形相』という言葉を使った。ピタゴラスが主張したものと同じだ。そしてもう一つ『質料』という考え方を用いた。
例えば建物であればこうなる。
形相 | 形や構造 |
質料 | 石、セメント、木材等 |
すべての事物はこのようにして、形相と質料でできていると考えた。そしてこの形相を『主体性(identity)』と呼び、質料を『個体性(thisness)』と呼んだ。
形相 | 主体性(identity) |
質料 | 個体性(thisness) |
そう考えたとき、例えば全く同じ設計図で、全く同じ建物を作ったとしても、そこにある『質料』だけは異なってしまっている。どれだけ同じように作っても、質料だけは同じにならない。わずかでも材料の配分が異なってしまうからである。つまり、同じ形相を求めて、質料を集めて事物を作ると、そこに出来るのは『唯一無二の実体』ということになる。
プラトン | 二元論 | イデア(本物)と模造品 |
アリストテレス | 多元論 | すべての事物は唯一無二の実体 |
更にアリストテレスは、事物の存在を4つの要素で説明した。
事物の存在
形相因 | ある事物の形相、姿、構造、機能 |
質料因 | 何かをつくる材料 |
動力因 | 変化をもたらす現実的行為 |
目的因 | その事物が生成される究極の目的 |
ヘラクレイトスは、『万物は流転する』と主張した。同じ川の水は二度と踏めないように、すべての事物、現象は変化するということだ。
上記の記事に書いたように、アリストテレスよりも、ソクラテスよりも前にいた哲学者たちが、『万物は流転する』とか『万物は不変である』という論争をしていた。ヘラクレイトス変化しないものはないと主張し、パルメニデスは永遠不変であると言った。そんな中、『変化』ということがどういうことかということについて、アリストテレスは大きな一手を出したのだ。『不動の動者』である。
不動の動者とは、『真理』に似ている。例えば、質料で考えてみよう。
各質量の内容物
青銅 | 銅+錫 |
石 | 砂+鉱物質+α |
木 | 繊維質+水+… |
どんな物質もすべて純粋な物質ではなく、何かと何かが交じり合って出来ている。だが、その一つ一つを更に分解して考えていくと、最終的に『もうこれ以上分割できないもの』にたどり着く。それが『不動の動者』だ。この『不動の動者』は、自ら変化したり動いたりせず、逆に事物を変化・運動させる存在である。これは私が言うところの、『真理、神、愛』とほぼ同義語である。『法則』と言ってもいい。
真理=神=愛=法則=不動の動者。事実、『形而上学』(自然学の後の書)においては、アリストテレスはこれを「神」とも呼んでいる。
このアリストテレスの『不動の動者』概念は、キリスト教の神を哲学的に説明するのに利用された。
イエスの存在の証明
形相因 | 彼は神の一人息子で、人の姿の神だった |
質料因 | 彼は血と肉でできた人間だった |
動力因 | 彼は自ら十字架にかかって死に |
目的因 | 罪深い人々を許し人類を救った |
キリスト教は、アリストテレスのこのような事物の存在の証明の考え方を利用して、イエスの存在を肯定したのである。
この世には『不動の動者』という圧倒的な存在がある。自分は変化したり動いたりせず、しかし万物を動かす原因となる。それはほぼ『神』に等しいのだ!
また、アリストテレスは『中庸』という概念を主張したことでも有名だ。
ほどほどに、ということ。過剰過ぎず、足りなすぎず。
これら一つ一つのことを見ていくと、彼がどれだけ思慮深く物事を考え、突き詰めたかということがよく見えてくる。ソクラテスもこう言ったが、
人はどの道食欲や睡眠欲を満たさなければならない。だから『足りない』だけでも生きていけないし、そしてそれが行き過ぎても贅沢となり、人を破綻させる。これは真理である。
『世界の哲学;ギリシャ哲学からポストモダンまで (教養マンガ2)
アリストテレス以後、西洋の論理学は近世に再出発する。論理学の数えきれない研究が図書館を埋めているが、それらはアリストテレスの論理学に注釈をつけているだけだ。
彼を超える論理的発想をする人間は、まだ現れていないのである。つまり、彼が堀った深さが、半端ではないということだ。
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参考文献