トマス・アクィナスは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
権力を持ちすぎたキリスト教に委縮してしまっていた哲学や神学にカツを入れ、それぞれの調和に努めた人です。
キリスト教が支配した中世の1000年間では哲学はほとんど発展しませんでした。
この時代、そんなキリスト教に文句を言うことはある種の覚悟が必要で、文句を言った者、教会の権威に背いた者は、『宗教裁判所』で処刑されてしまったのです。そういう圧力の中、哲学や神学は委縮してしまっていました。これがこの時代が『暗黒時代』と言われる理由の一つです。
そこに現れたのがトマス・アクィナスです。彼はアリストテレスの哲学を軸にしながら神学と哲学を分け、ぬるま湯に浸かっていた神学にカツを入れ、それぞれの調和に努めた。アクィナスがいた時代は階級制度が蔓延していたので、当時の人々にアリストテレスの哲学は受け入れやすかったのです。
しかし、古代ギリシャの時代と照らし合わせて考えればすぐにわかりますが、ほとんど哲学の発展がないのです。それほどまでにキリスト教が支配した1000年だったということですね。
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上記の記事の続きだ。このようにしてキリスト教はローマ帝国滅亡後の諸国を1000年間もまとめたが、権力を持ちすぎて、腐敗する一面も目立った。当時、キリスト教に文句を言うことはある種の覚悟が必要だった。前回の記事に書いた『宗教裁判所』の存在などがその理由の一つである。文句を言った者、教会の権威に背いた者は、そこで処断されたのだ。
まるで、日本が天皇を『天皇陛下万歳!』と口をそろえ、北朝鮮が総書記や委員長を過剰に持ち上げるのに似ている。戦争を知っている人々は皆、過剰ともいえる『天皇崇拝』の発想があった。天皇がラジオで言葉を発すれば、多くの人はそれを正座して聞いた。
もちろん日本と北朝鮮を同じにすることはない。両者の決定的な違いは、その対象人物を心底から敬うかどうかということだ。北朝鮮の場合は違うだろう。『脱北者』というキーワード一つ考えてもそれはうなづける話である。
Newsweek2018年3月23日号にはこうある。
<平壌の政治の中心部の建物で政権打倒を呼び掛ける落書きが見つかり、北朝鮮は犯人探しや思想教育の徹底指示で大騒ぎになっている>
北朝鮮の首都・平壌で金正恩党委員長を批判する落書きが発見され、当局が捜査に乗り出した。平壌在住で中国を頻繁に訪れるデイリーNK内部情報筋によると、今月1日の午前4時頃、市内の4.25文化会館の建物の壁に金正恩氏を批判する落書きが発見された。当局は検問を強化し、保安署(警察署)は住民の筆跡調査にも乗り出した。北朝鮮において国家指導者は、公の場において言及する際には細心の注意を要するほど神聖不可侵のもので、批判したことがバレたら重罪は免れない。
(中略)北朝鮮の国民は、洗脳された「ロボット人間」ではない。制限されているとはいえ、海外の情報と接する機会も増えており、自分たちがどのような状況に置かれているかも知っている。だから、人々が金正恩体制に反感を募らせるのは当たり前なのだ。
参考
「金正恩を倒せ!」落書き事件続発に北朝鮮が大慌てNewsweek
この話はこの辺でいいだろう。とにかくこれらに共通するのは『ある種の恐怖』である。『畏怖と称賛の念』があったのだ。『畏敬の念』である。
崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。
だがそう考えると、どちらかというと北朝鮮寄りだったと考えるかもしれないが、1910年、幸徳秋水とその仲間合計26人は、大逆罪で多補された。大逆罪とは、
『天皇や皇太子などに対し危害を加えわるいは加えようとしたものは死刑』
というもので、証拠調べの一切ない、非公開の裁判で裁かれるしかも1回のみの公判で、上告なしである。社会主義者たちの一掃をはかった権力により、幸徳らは大逆罪に問われ、処刑された。1947年改正前の刑法第73条がこれだ。
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ 危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
そして現在は廃止されている。この『大逆事件』を受けて、徳富蘆花は、
『死刑ではない、暗殺である』
と言っている。つまり、どこの世界に目を向けてもこういう『恐怖政治』的な問題はあったのだ。日本も例外ではなかった。そして当時のヨーロッパでもそうだった。だから、哲学や神学は委縮し、停滞していた。まさしく『暗黒時代』である。
戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代。また、文明全体に及ぶ大きな事象でなくても、特定の芸術・技術・文化などが為政者や宗教組織から弾圧を受け衰退したり、革新者の不在などの理由で停滞した時期を指して、暗黒時代と呼ぶこともある。
そこに現れたのがトマス・アクィナスだ。彼はアリストテレスの哲学を軸にしながら神学と哲学を分け、ぬるま湯に浸かっていた神学にカツを入れ、それぞれの調和に努めた。
[トマス・アクィナス]
神学 | 神の世界を探究する学問 |
哲学 | 神の内面を探究する学問 |
アクィナスが息をしたのは、アウグスティヌスの時代から9世紀も過ぎたときのことだった。アクィナスは両者の間にある確かな溝をしっかりと認識した上で、
と言って、双方を納得させた。また、アクィナスがアリストテレス哲学を採用したのは『存在論』の影響もあった。
認識論 | 考え、意識の状態 |
存在論 | 感じ、認識する対象の状態 |
アクィナスがいた時代は階級制度が蔓延していたので、当時の人々に存在論は受け入れやすかったのである。とにかく、アリストテレス哲学が、この時代を生きる人々を納得させるために、とても役立ったということだ。
その後、『サンフランシスコ』の名前の由来でもあるフランシスコ率いる『フランシスコ学派』である、
らがカトリックの考え方に対抗したり、常に問題は起こった。この中世という1000年間は、ただひたすら『神の存在』と『キリスト教』について考え尽くす時間だったということになる。古代ギリシャの時代と照らし合わせて考えればすぐにわかるが、ほとんど哲学の発展がないのだ。内容がない。それほどまでにキリスト教が支配した1000年だったということだ。
次は14世紀~16世紀。『ルネサンス時代』の哲学である。
文芸復興。人間中心のギリシャ文化をよみがえらせる人文主義の流れ。
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参考文献