Contents|目次

デカルトにあの名言を言わせたのもコロンブスやガリレオ達だった!?

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

デカルトは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!

『確かなもの』が次々と崩れていった時代にあって、『本当に確かなもの』を求めた人です。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

彼が生きたのは『想像を絶する事実』が次々と判明した時代です。

コロンブスやマゼランが海を渡って未知の島へたどり着き、ついには世界一周をしてみせ、『地球が球体である』ことを証明。そして、コペルニクスやガリレオたちが『太陽の周りを地球が回っている』という『地動説』を主張し、とてつもなく長い間続いていたキリスト教の『天動説』という教えが覆され、

 

一体、何を信じればいいんだろう?

 

と誰もが思ったのです。ですから、この時代を生きた哲学者たちはみんな懐疑的になり、疑い、例えばモンテーニュなどは『唯一確かなものは、不確かなことである』という考え方をし、この世に確固たるものはないと考えました。しかしデカルトは、

 

こうして疑っているという事実は、確かだ。つまり、私が存在しなければこの『疑い』もない。

 

と考え、『考える(思う)=自分が存在することの証明』という発想をしました。そしてこういう名言を言います。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

啓蒙主義に突入する理由

啓蒙主義時代に突入させた重要人物『コロンブス、コペルニクス、マゼラン、ガリレオ』

 

上記の記事の続きだ。

 

 

彼らのような人物が登場し、いよいよ哲学は『啓蒙主義』へと発展する。それは、『科学』が発展したからだ。ここで挙げたような人物たちの活躍で、依存しきっていた『神』への考え方が変わったからだった。まず最初に神話があり、そしてこれらの神話が各宗教の基礎になり、それに反発するような形で哲学が生み出されるようになった。

 

キリストの言葉

 

そして『科学』的知識が豊富になった。するとおのずと、人々の考え方が徐々に合理的になってくるのである。

 

啓蒙(けいもう)

無知な人民を啓発し、自らが合理的に判断するように導くこと。自分で考える主体性を持つように促すこと。

合理的

道理や論理にかなっているさま。

 

 

『我思う、ゆえに我あり。』

そこで登場するのが合理論の創始者で『近代哲学の父(合理主義哲学の祖)』デカルトである。フランスの哲学者だ。

 

[ルネ・デカルト]

 

各人の誕生年

コロンブス 1451年
コペルニクス 1473年
マゼラン 1480年
ガリレオ 1564年
デカルト 1596年

 

 

彼のこの言葉は有名である。私はこの言葉の内省記事を書いたときに自分の直感だけで書いたから、こう書いている。

事実、コペルニクスの支持者でもあったデカルトは、『コペルニクス的転回』をしたのだ。『コペルニクス的転回』とは”発想法を根本的に変える”ことによって、物事の新しい局面が切り開かれることをいう。

 

(いろいろと考えることがあるが、そもそも、なぜ私は考えているのだろう。)

 

動物や虫や植物や惑星は、考えるだろうか。人間だけが考えるのだろうか。考えるから、人間なのだろうか。考えなければ、人間ではないのだろうか。だとしたら考えることで人は人間になり、あるいは自分が存ることになるということだろうか。

 

私のこの当時の考え方は、かなり深いところまで行ってしまっている。だが実際には、デカルトがこの言葉を言ったのは、この深さよりも少し手前の話をしたのだ。

 

モンテーニュとマキャベリは疑った。だが、二人の政治思想は対極的だった

 

上記の記事に書いたように、モンテーニュは『唯一確かなものは、不確かなことである』という考え方をし、この世に確固たるものはないと考えた。確かに、長い間人間の思想を支配していた超重要な事実は虚偽だったのだから、そういう風に考えるようになるのは当然の流れでもある。

 

 

だがデカルトはその『確かなもの』を求めたのだ。そ

 

 

『難問は分割せよ。』

の中で、確かにモンテーニュの言うように、なかなかそういうものはなかった。物の価値も相対的で、ある人が美人と言っても、ある人は違う人の方が美人だと言うから、なかなか『確かなもの』が見当たらない。

 

 

そう言って問題を細分化し、単純なものから複雑なものへと認識を深め、秩序をつくり、見過ごしたものはないか注意深く検討していった。そうして考えているうちに、デカルトはこう思ったのだ。

 

こうして疑っているという事実は、確かだ。つまり、私が存在しなければこの『疑い』もない。

 

このようにして、『考える(思う)=自分が存在することの証明』という発想に繋がり、あの言葉が生まれたのである。私はその更に奥の話をしてしまっていた。ドイツの精神科医、ヤスパースがこう言った様に、

 

その『考える意志』自体の善悪についてまで、考えてしまっていたのである。だが、このときはまだそこまでは追及していなかった。ただ『確かなもの』を求めていたデカルトが、『考える(思う)=自分が存在することの証明』という事実を突き止め、この言葉が生まれたのである。

 

 

デカルトはラテン語でこの『私』と『私が思うもの(それ以外のもの)』をこう表現して分けた。

 

subjectum 基礎、土台、根源 主観
obbjectum 前に置かれているもの 客観

 

それは、『主観、客観』と訳された。主観が自分(私)であり、客観がそれ以外だ。『考える(思う)=自分が存在することの証明』という結論にたどり着いたデカルトだから、『私』をすべての基礎、土台と考えたのである。

 

 

心身二元論

更に『心身二元論』という解釈をした。文字通り、『心と体は別の存在である』という解釈だ。この流れで考えればわかるように、『私』と認識するのは自分の意志(ココロ)だが、『カラダ』については、老化したり、ニオイが違ったりして、いつも違う。唯一不変なのは『自分の認識』だけだから、そういう解釈をしたわけだ。

 

 

しかし、この解釈はまだ詰めが甘かった。物体である肉体が精神と共存し、互いに影響し合っているという事実を説明できなかったのだ。

 

体と精神は別と言うが、精神のない体や、体のない精神があり得るのか?

 

デカルトはこの疑問に対し、『松果腺(しょうかせん)』という脳の機能を用いて説明しようとした。彼の熱烈な支持者であったスウェーデンの女王クリスティナにその説明をしにいく途中で、肺炎でこの世を去ってしまった。しかし、この後、デカルトの穴を埋めて説明した人物が現れる。

 

 

次の記事

該当する年表

参考文献