いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.彼の前に生きたデカルトの主張した哲学を更新し、微調整した人です。
2.デカルトやスピノザの考え方を更に更新した人です。
デカルト、スピノザ、ライプニッツは、17世紀における指折りの合理主義哲学者です。
デカルトは『心身二元論』を主張して、『心と体は別の存在である』という解釈をしました。それをスピノザが『体と心は一つだ』と主張し、『この世の万物すべてに神が宿っている』という『汎神論(はんしんろん)』という考えを打ち出しました。彼は、『体と心は神の中で一つに合わさる』として、デカルトの心身二元論に対抗し、『心身並行論』を主張します。
ライプニッツはデカルトの『心身二元論』とスピノザの『心身並行論』を科学的に分析し、『真理が2つある』という解釈をしました。モナドという概念を取り入れ、デカルトやスピノザの考え方を更に更新したわけのです。スピノザやライプニッツがデカルトの考えを軸にしながら考えていたことを見てもわかるように、それだけデカルトの考えが画期的だったということですね。
上記の記事の続きだ。こうしてデカルトが、『心身二元論』という解釈をした。しかし、この解釈はまだ詰めが甘かった。物体である肉体が精神と共存し、互いに影響し合っているという事実を説明できなかったのだ。そしてデカルトはこの未熟な発想を完成させる前に、肺炎でこの世を去ってしまった。しかし、この後、デカルトの穴を埋めて説明した人物が現れる。
それがオランダの哲学者、スピノザである。
[スピノザ]
各人の誕生年
コロンブス | 1451年 |
コペルニクス | 1473年 |
マゼラン | 1480年 |
ガリレオ | 1564年 |
デカルト | 1596年 |
スピノザ | 1632年 |
スピノザの解釈が正しいということではなく、彼はデカルトの『心身二元論』を否定し、『体と心は一つだ』と主張した。彼によると、この世の万物すべてに神が宿っているというのである。
そのすべてに神が宿っている。だから、『心身二元論』的に、心と体を二つに分ける発想は違う、と考えたのである。この考え方は『汎神論』とされる。ちなみに意味は以下の通りだ。
神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的・宗教的立場である。ーWikipedia 『神は妄想である』から引用して付け加えると、『超自然的(自然界の法則を超えたこと、理性では説明のつかない神秘的なものごと)な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない<自然>、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。
これは私と同じ考え方なのだが、私と彼の違いは、『神』に対する解釈である。例えば、スティーヴン・ホーキングの著書、『ビッグ・クエスチョン<人類の難問>に応えよう』にはこうある。
私はアインシュタインと同じく『神』という言葉を、人格を持たない自然法則という意味で用いる。したがって、神の心を知るということは、自然法則を知るということだ。私の予想では、今世紀の末までに、人類は神の心を知ることができるだろう。
アインシュタインやスティーヴン・ホーキングと私は同じ考え方で、『神=法則』だと解釈している。これも汎神論的発想となる。しかしスピノザの場合の考え方は、神を『法則』という冷静な視点では見ておらず、信仰的な考え方で見ていたため、私とは異なる。
しかしスピノザの言う『すべてに神が宿っている』という解釈は同感するところもある。ただ私の場合は『すべてに神(真理)がある』という表現となる。例えば以下の図を見たとき、
ウロボロスの図(画像)
人間が認知している一番大きなマクロの世界が『グレートウォール』だとして、一番小さな単位が『素粒子(プランク長さ)』だとしても、そのすべてに『真理はそんざいする』わけだ。例えば、『重力の法則が有効である』とか。何かしらの真理が存在していて、それが有効である。私が言うのはそういう意味であり、『神が宿っている』という表現だと、少し信仰的すぎるのである。だが、意味は同じだ。
彼の言葉で好きな言葉を少し並べてみよう。
どれも真理を突いた言葉ばかりである。彼は、『体と心は神の中で一つに合わさる』として、デカルトの心身二元論に対抗し、『心身並行論』を主張しました。
デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきたスピノザだが、彼の少し後に、その『ライプニッツ』が登場する。
[ライプニッツ]
各人の誕生年
デカルト | 1596年 |
スピノザ | 1632年 |
ライプニッツ | 1646年 |
ドイツの哲学者であり、歴史上最も多様な分野を扱った人物である。彼はデカルトの『心身二元論』とスピノザの『心身並行論』を科学的に分析し、『真理が2つある』という解釈をした。
ライプニッツが分けたつの真理
永遠の真理 | 概念、認識する真理 |
事実の真理 | 実在、目視できる真理 |
例えば、噴水がある。しかしそれは、『水+押し上げる力』があって、初めてそこに存在することになる。このように、人間が目視できるような形で現れる存在を『事実の真理』と呼んだわけだ。彼はこれを『モナド』と呼んだ。
哲学で、万物を実在させる究極的な構成要素。実在の形而上学的単位。特にライプニッツ哲学の用語。単子。
これに関しては参考書の説明ではこれ以上詳しくは書けないので、また追記していこう。とにかくライプニッツはモナドという概念を取り入れ、デカルトやスピノザの考え方を更に更新したわけである。彼はデカルトの影響を強く受けた、知性重視の合理論者だったが、このモナドを通じてすべてのものを解明していて、経験を重視していることから、『合理論』と『経験論』の両者を併せ持った考え方をした哲学者だった。
そしてそれが後のカントを代表とするドイツ哲学の発展に影響を与えることになる。
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参考文献