ウィリアム・ゴドウィンは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
『政府などなくていい』と考えた人です。
ウィリアム・ゴドウィンは無政府主義の先駆者です。
ゴドウィンは、政府の存在によって人間の潜在能力が埋没するリスクを危惧しました。政府が用意した『法』は理性で理解できるので、人間の持つ『理性』よりも格下になります。だとしたら、『法<理性』ということになります。すると、政府というのは別に存在しなくてもよくなります。人々がその『法よりも崇高な理性』によって行動すれば、法は必要ないからです。彼は『政府なき世界』を求め、『みんなが自律的に動く共同体で法も官僚主義も必要ない社会』を目指したのです。
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上記の記事の続きだ。ルソーの記事で『三大社会契約論』を主張した人物をあげた。
この3人である。そしてトマス・ペインも、政府を『必要悪』だとして、その存在を正当化した。だが、これらの考え方に逆らい、『政府などなくていい』と考えた人間がいる。イギリスの政治評論家・著作家。無政府主義の先駆者ウィリアム・ゴドウィンである。彼の娘は、小説『フランケンシュタイン』の作者で詩人シェリーの妻であるメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(メアリ・シェリー)としても有名である。
[ウィリアム・ゴドウィン]
各人の誕生年
ジョン・ロック | 1632年 |
ルソー | 1712年 |
トマス・ペイン | 1737年 |
ゴドウィン | 1756年 |
ゴドウィンは、政府の存在によって人間の潜在能力が埋没するリスクを危惧した。彼によると、政府が用意した『法』は、人間の持つ『理性』よりも格下になる。そうじゃないと、『法を理解する人』がいないことになる。理性で理解できるのが法なわけだ。
だとしたら、『法<理性』ということになる。すると、政府というのは別に存在しなくてもよくなる。人々がその『法よりも崇高な理性』によって行動すれば、法は必要ないからだ。
例えばソクラテスが無実なのに法によって処刑された事実を考えても、確かに法というものは、ときに人に道を踏み外させる悪しき道具となる。彼は『政府なき世界』を求め、『みんなが自律的に動く共同体で法も官僚主義も必要ない社会』を目指した。
この話を聞いてピンと来る人がいるなら、それは熱心な読者だ。そう。以下の記事である。このサイトの10年目の集大成としてまとめたものだ。(厳密にはまだ真剣にやりはじめてからは5年しか経っていないが…。)
私がそこに書いているのはこうだ。
どんな人向けの記事を書いたの?
この世を生きる全人間向けです。
それは読んだ人が皆理解するところなのですが、そうはいっても最初のとっかかりとしてキャッチーにするべきなら、いくつか例を挙げないといけないでしょう。
になるでしょう。
何を導き出したの?
世界平和のカギとなる『人生の免許』の取り方です。
自動車、クレーン車、ダンプカー、飛行機。こういった乗り物にはそれを運転する免許が必要ですよね。操作方法を取得する必要があり、誤った運転をした場合、大きな事故を起こし、最悪の場合は死に至ります。
では、人生には免許がいらないんですか?トラブルを起こし、問題解決が出来ずくよくよし、暗い気持ちになり、最悪の場合は死に至ることはありませんか?『ある』のなら必要ですよね。この人生を生きるための、資格試験が。そして取った後は人生をスムーズに生きることができます。人生は無免許運転もできますが、そろそろ人は、『人生の免許』と真剣に向き合った方がいいかもしれません。
人生を順調に登り詰め、政治家になったら免許皆伝?なるほど。政治家が一切不祥事を起こさないということですね?もうわかりましたね。『人生の免許』は学校に行き、あるいはエリートコースを歩いたからといって取得できるものではないということが。
どうやったらそれが取れるの?
誰か(尊敬する人等)や何か(常識、法律、宗教等)に従ったり、依存したり、何かを期待するのではなく、自分の力で道を切り開く発想を持ちましょう。
自分の力を疑ってはいけません。あなたにある潜在能力と『主体性』が埋没しますよ。『拡張知能観』を持ちましょう。外部要因はあくまでも『利用』する程度にし、後は自分でやるのです。『支配』されてはいけません。『自律』するのです。悔いのない人生を送るためのカギを握っているのは、自分以外の何物でもないのです。もし心が『虚無』に陥ったら、道を間違えている証拠です。その心が晴れる道を探しましょう。あなたが利用できる良きマニュアルになれるよう、私もこのサイトの品質向上に尽力していきます。この話を理解できる人。それが『人生の免許』を持っているに相応しいと言える人ですね。
難しいようだったらまた今度にしたいんだけど…
実はその『難しい』ことこそがこの話のカギです。こればかりは読まないと真意が伝わりません。
ただ人間の心は複雑ですからね。自分の心が本当に欲していないなら、読んでも意味がありませんから。無理はしないでください。ただ、覚えておいてください。ここで得られるのは『人生の免許』が何かということです。もし人生でスムーズにいかないことがあったなら、ここを思い出していつでも来てください。私が生きている限りこれはここに存在します。無免許運転してるっぽいなと思ったとき、ここを思い出していつでも来てください。必ずあなたの役に立つでしょう。私の記事というより『付録』がすごいですからね。
(中略)
孔子は、一人一人が利他的になり、礼を重んじて徳を積み、仁を得ることが出来れば、この世に法律や刑罰などは必要ないと考えました。儒教の考えは『徳』による支配の為、支配者がしっかりしていれば法律など必要ないと説いているわけです。
孔子よりも400年後に生まれた共和制ローマの哲学者、キケロもこう言いましたが、
考えればわかるように、人が全員善意を持ってこの人生を生きれば、法律などに頼る必要などはないわけです。しかし、それに異を唱えたのは韓非子です。
人間は孔子の言うような高潔な存在ではない。『利己』に走り、損をすることを回避しようとする。それが人間の本性というものである。従って、法律によって刑罰を整えれば、人はそれを回避しようとして、犯罪を予防できる。法さえ完備していれば、国の秩序は保たれる
として、法の重要性を説きました。
と主張したわけですね。孔子に対してその物言いをする韓非子には、少しうぬぼれが見えるかもしれませんが、実はこの韓非子の意見は、相当鋭いところを突いています。
…孔子は無政府主義ではない。私は国家、宗教、言語の違いに首をかしげる人間である。だが3人の共通点は『法に支配される姿は、人間の真の姿ではない』ということだ。さて、ゴドウィン、孔子、そして私の考え方は、この人間の世界にとってどれほど重要なのだろうか。
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参考文献