ハニワくん
先生
ハイデッガーは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
死を直視して受け入れれば、有限の人生を理解し、人生を有意義に使うようになれると主張した人です。
ハニワくん
博士
死を恐れると『その他大勢の一人』に成り下がるし、実力も出し切ることができません。
この世界では多くの人が生きていて、その人々にも生きる夢や目標、目的や野心がありますから、その人たちとある種の『競争』をどこかで強いられることになります。そんなとき、もし自分に主体性がなければ、あるいはその人の部下や使いっ走りに『成り下がる』ということがあるかもしれません。ハイデッガーは、『死を受け入れて初めて、人は人生を主体的に生きることができる』と言い、人々の人生がより有意義なものになるように応援しました。
博士
ハニワくん
先生
Contents|目次
20世紀最大の哲学者
ニーチェの『神は死んだ』と『ニヒリズム』の真の意味を再確認しよう
上記の記事の続きだ。そんなニーチェが生まれたドイツでは、ハイデッガーという哲学者も生まれた。
[マルティン・ハイデッガー]
各人の誕生年
ヘーゲル | 1770年 |
ショーペン・ハウエル | 1788年 |
キルケゴール | 1813年 |
ニーチェ | 1844年 |
ハイデッガー | 1889年 |
19世紀にニーチェやヘーゲルがいるなら、20世紀にはこのハイデッガーがいる。そういう男である。
17世紀 | デカルト |
18世紀 | カント |
19世紀 | ヘーゲル |
20世紀 | ハイデッガー |
マルクスに影響を与えたヘーゲルを批判したショーペン・ハウエル
実存主義哲学の先駆者であり、デンマークの哲学者、キルケゴールの話は書いたが、ハイデッガーは『ドイツの実存哲学』の代表者と言える人間である。
存在者
ハイデッガーはデカルトの『世界外に自己が存在する』という解釈を批判した。彼の場合、存在するものを『存在者』と呼び、『現在現実に存在している我々『自己』』を『現存在』と呼んだ。そして、自己=現存在は、世界と切っても切れない関係にあると主張した。
存在するもの(動植物、物等) | 存在者 |
人間 | 現存在 |
そしてその存在者を3つに区分する。
- 事物存在
- 道具存在
- 現存在(人間)
である。
事物存在 | ただ目に映っている物(時計や机等) |
道具存在 | 目的のために使われる物(ペンや包丁等) |
ここまではわかるだろう。だが、『現存在(人間)』も、状況次第では道具存在だったり、事物存在になったりする。
事物存在になり得る人 | ただ近くにいるというだけの人 |
道具存在になり得る人 | 自分の命令や依頼で動く人 |
つまりここで言う『存在者』は、確定された存在ではなく、現存在(人間)がどうそれに関わるかによって見方が変わってくるのである。
脇役から主役へ
ハイデッガーはデカルトと違い、現存在(人間)を『世界内存在』だと言った。意味は、『この世界の要素の一人の存在だ』ということだ。簡単である。ただ厳密には感情や知性、経験や思考といった精神活動が行われる環境のことで、それらの環境に関わっていくことによって、人間の世界は成り立っているので、ただの『この世界』という物理的な話だけではない。
ポイントは、『その世界』というものは、自分の為だけの世界ではないということだ。つまり、自分が必ずこの世界(人生)の主役になれるわけではないのである。他にもその役を狙っている人がいるからだ。自分以外の人も、自分の人生を生きていて、悔いのない人生を生きようとしていたり、あるいは目的を達成しようと狙っているのである。その中で生きているという自覚をすることが重要になってくる。
ハイデッガーがこう言うように、人間は時間の流れの中にあり、過去や未来に影響されている。過去の先祖が皇族だったら皇族の子として生まれるし、貧乏だったら貧乏の幼少期を送ることになる。そうやって時間の流れの中にいて、過去や未来に影響される。そして、未来に可能性を夢見て、現在を生きるわけだ。それをハイデッガーは『実存的生き方』と呼んだ。
だが、思い描いた未来を勝ち取れるかどうかはわからない。そう簡単なことでもない。ハイデッガーは、主体性を埋没させ、その他大勢の一人のような生き方をするならば、人は『頽落』すると言った。
くずれ落ちること。新たな存在の意味を見出せず、同じことをし、同じところにとどまってしまうということ。
するとどうなる。現存在(人間)は、『道具存在』や『事物存在』に成り下がり、『その他の主役の座を狙う人』が活躍する舞台(世界)の『脇役(引き立て役)』となってしまうのである。
『死』を直視して知る境地
では、なぜ人は頽落するのだろうか。それは『死が怖いから』である。つまりこういうことだ。
ではここで、二つの資料を見てみよう。一つは名言だ。ドイツの小説家、ジャン・パウルは言った。
そして次は、『7つの習慣』にあるマトリックスだ。
(画像)
第一領域は、まるで『脅迫』だ。第三領域は、自分にとって本当に有意義だろうか。第四領域は、逆に言うとこれは『時間に支配されている』。それに反発しようとして、そこから逃げることで自由を得ている感覚になっているだけだからだ。
最も重要なのは『第二領域』。『タイムリミット』、『緊急性』、つまり『時間』に支配されない唯一の過ごし方。『時間』と最良の向き合い方をする『第二領域』を重視する人生。これが出来るかどうかが問われているのである。主体的にこれを意識をしなければ、大勢の人や時の流れといった大きな河の流れから、抜け出すことは出来ない。
つまり、人間というものは死が怖いから死から目をそらし、毎日を『第二領域』的に生きることができないのである。ジャン・パウルに言わせてみればそれは、人生をパラパラめくっている。つまり、人生の浪費である。
そこでハイデッガーの哲学が効いてくる。彼はこうも言った。
ここで使われる言葉に小難しいものがたくさん出てくるが、単純に『死を受け入れて初めて、人は人生を主体的に生きることができる』と考えれば、ハイデッガーの哲学はとても受け入れやすく、そして多くの人に生きる勇気、死と向き合う勇気を与えるのがわかるだろう。
私も刹那的な人生を生きていた時代があるから、彼の言うことはよくわかる。だが、17歳の時に父親が肝臓がんで死に、私は葬式にも出られず、人生には取り返しのつかないことがあることを悟った。そうやって死と向き合い、有限の人生を自覚することで、私は人生を『更生』することができたのだ。
更生。それは『更に生きる』と書き、くっつけても『甦る』となる。人間は死と向き合い、人生を更に生きることを覚悟したとき、この世に甦ることができるのだ。
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参考文献