ハニワくん
先生
ポスト・モダニズム哲学って何?わかりやすく簡潔に教えて!
近代哲学から抜け出そうとする動きです。『現代哲学』のことです。
ハニワくん
博士
POST(~から去る)MODERN(近代)
人間の理性を信じる啓蒙の時代『近代』は、デカルト以降にヨーロッパを支配した哲学です。ニーチェやフロイトを筆頭に、そのあたりから『ポスト・モダニズム』の種が蒔かれ、ハイデッガー等そのあとに続く様々な哲学者が徐々にそれまであった近代哲学を崩して(解体して)いきました。『MODERN』というのは『新しい、近代的な、古い思想、封建思想から抜け出る』という意味なのですが、ポスト・モダニズムは『そこ(近代哲学)から更に抜け出て新しい哲学を作ろうという動きです。それが『現代哲学』です。
- 近代哲学→現代哲学
奴隷が当たり前だった時代、身分差別があった時代、意見が言えなかった時代、そのような不平等な社会を脱し、人間は新しい境地(近代社会)に入ったと考えたのですが、『第一次世界大戦』、『第二次世界大戦』を含め世界中で見るも無残な戦争が起き、人々の思想に大きな影響を与えました。
人間にはさらに新しい哲学(考え方)が必要だ!
と様々な人たちが考えたのです。
博士
ハニワくん
先生
Contents|目次
20世紀の悲劇『戦争』
フロイトの『超自我』はキルケゴールの『宗教的実存』と同じか?…いや違う。
上記の記事の続きだ。ジークムント・フロイトの話をまとめた。彼らが生きた時代を見てみよう。この後、人類は、歴史上最大の殺戮を行う時代に入る。『戦争』である。
各人の誕生年
ジョン・デューイ | 1859年 |
フッサール | 1859年 |
フロイト | 1856年 |
ラッセル | 1872年 |
ウィトゲンシュタイン | 1889年 |
第一次世界大戦 | 1914年 |
第二次世界大戦 | 1939年 |
- ナチスによるユダヤ人大量虐殺
- 原爆投下
- 数千万人が犠牲になったスターリンの粛清と鉄拳政治
- それと並ぶ犠牲者を出した中国の文化大革命
- 全面戦争に陥った朝鮮戦争とベトナム戦争
- 繰り返されるバルカン半島と中東の戦争
このような残虐行為が繰り返されるのは、人類史上で見ても初めてのことだった。それが20世紀という時代だったのである。そう考えたとき、やはりこういう強烈な時代背景は、この時代を生きる哲学者や思想家たちの思想に大きな影響を与えることになる。
新しい野蛮
例えば、1929年にドイツのある哲学者集団がフランクフルトに『社会研究所』を設立し、そこに参加した学者、戦後に加わった第2世代を合わせて『フランクフルト学派』と呼ぶが、そこにいたのは、
- テオドル・アドルノ
- マックス・ホルクハイマー
- ヘルベルト・マルクーゼ
- エルンスト・ブロッホ
- ユルゲン・ハーバーマス
といった人物たちだった。彼らはマルクス主義を継承した左翼学者で、1933年にヒトラーのナチ政権が樹立したあと、大々的に弾圧されることになる。その時、アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』という本を出すが、そこで彼らは『新しい野蛮』という概念を主張した。
野蛮な時代から脱し、進化を遂げたと思ったら、人間はまた『新しい野蛮』状態に陥ったというのだ。確かにそのとおりである。あまりにも悲惨な戦争を巻き起こしてしまった人間に対し、決して『進化した』と呼ぶことはできない。
可能性の埋没
またナチスのいるドイツから逃げた、ベルリン出身のアメリカの哲学者マルクーゼは、この新しく発展した社会が、人間の可能性を埋没させるシステムになっていると主張した。
[ヘルベルト・マルクーゼ]
各人の誕生年
ハイデッガー | 1889年 |
マルクーゼ | 1898年 |
サルトル | 1905年 |
彼によると、社会の健全な発展は多様な勢力の衝突を通じて実現するのだが、実際にはそれが抑制されてしまっているという。本来人間はもっと社会を良くしていくための能力を持っているのに、
- スポーツ
- 娯楽
- ビジネス
といった文化が新しい形で根付いたことによって、『人間が自分の欲求と能力を繰り広げるのを妨げる』というわけだ。マルクーゼは、
- マルクス
- フロイト
- ヘーゲル
を総合した社会哲学を展開したが、フロイトの言う『人間の文明が本能の抑制に根ざす』という考え方に共感したのである。彼はそのような能力が埋没した人を『一次元的人間』と呼んだ。
根を張っている。これで言うと、『文明があることで利便性は向上したが、本来持っている能力を抑制されてしまった』ということ。
マルクーゼは1960年代以後の新左翼運動に対して思想的な影響を与えた哲学者であり、本書はその代表作のひとつである。表題の「一次元的人間」とは、現代社会において出現した批判的思考を喪失した人間を指している。マルクーゼは理性の本質が所与の現実を克服するための「否定の力」であると述べている。つまり是正するべき現実と可能な現実を弁別することが批判の原理であると定義される。ところがアメリカに代表されるような産業社会においては、人間が管理システムの中で既存の現実に同化する、一次元的人間になっていることが指摘できる。wikipedia
構造主義
またフランスに目を向けてみると、哲学の流れは『構造主義』に移行しようとしていた。フッサールの現象学、ハイデッガーの実存哲学の影響下にあったフランスだが、次の時代の流れを迎えることになるわけだ。
『いろいろな社会や現象は互いに異なる姿や特性を持っているが、その中の共通した一般法則によって結論を導き出そうという理論。
構造主義を発展させたのはフランスのエミール・デュルケム、マルセル・モースだが、最も重要な構造主義者はレヴィ・ストロースだ。
各人の誕生年
ハイデッガー | 1889年 |
マルクーゼ | 1898年 |
サルトル | 1905年 |
レヴィ・ストロース | 1908年 |
ストロースは、サルトルの言ったような、
サルトル
という考え方とは違って、
レヴィ・ストロース
と主張した。彼は、アフリカや中央アジアなどの文字を使わない社会に『人間の原形がある』と考えて調査し、そこにある家族関係を調べたのだ。
[※あくまでもそれら少数部族のイメージ]
- 夫婦の仲が悪く母と里の関係がよければ里と親しくなる
- 夫婦の仲がよければ里との関係が疎遠となり子は両親と親しくなる
- 夫婦の仲が悪くても事の関係がよければ子は祖里と疎遠になる
- 夫婦の仲がいいが子との関係が悪ければ子は里と親しくなる
そこにあるこのような『構造のパターン』を考えたとき、人間の行動は知らないうちにこうした構造によって支配されていると考えたのである。哲学者がこのように考えだしたのは、時代が『ポスト・モダニズム』の流れにあったからだ。しかし、フロイトが出てきたことで『無意識』の概念が浮上し、『理性』だけでは説明できない問題にぶつかる。ニーチェの思想も大きいだろう。
近代哲学(デカルト等の啓蒙主義的な理性中心の哲学が支配する時代)から抜け出そうとする動き。
ストロースは『近親相姦のタブー』を軸にして考えた。実はこの問題がなぜタブーなのかについての決定打はなかった。
- 遺伝学的なもの
- 倫理的なもの
- 肉親には性欲を抱かない
等の所説はあったが、ストロースは婚姻を『集団と集団が連携するための交換形態だ』と考えた。結婚すると、家族Aと家族Bが連携することになる。そうしたとき、その交換するもののなかで最も価値があるものが『女性』ということになり、集団内で性行為(婚姻)があると、それができなくなる。ストロースは近親相姦をしてはならない理由を、そう考えた。
確かに現在進行形においても、ある少数民族の結婚では、新郎側が、新婦側の親族全員に『回りくどい質問』をされて、彼ら全員の許しを得られないと結婚できないというシステムを採用しているところがある。
現在は、ほぼ形式的にやっているだけのようだ。
このような事例を考えても、集団が婚姻で交換するとき、『女性』を交換するということは、重視されるわけだ。また、『交叉いとこ』での結婚が許される理由も考えた。
親どうしが異性の姉妹兄弟である関係。
平行いとこ | 父親の兄弟の子、母親の姉妹の子 |
交叉いとこ | 父親の姉妹の子、母親の兄弟の子 |
こうした未開社会では、平行いとこ同士での婚姻はタブーだが、交叉いとこ同士ならいい。これは単純に、平行いとこは『同じ集団』だが、交叉いとこは『違う集団』だから、違う集団同士で結婚することは認められるという考えがあるようである。
ストロースは未開社会のこうした野性的な思考と、現代人に広がっている思考をこう名付けた。
未開社会 | 野生の思考 |
現代社会 | 科学的思考 |
そして、野性の思考は決して科学的思考に劣っているわけではなく、むしろ科学的思考を『家畜化された思考』とか、『栽培された思考』と呼んで、そこにある格差を排斥しようとした。
大きな物語
時代の流れとともに、次々と新しい哲学者たちが現れ、人間の思想を『更新』していくわけである。J・F・リオタールは、この近代(モダン)社会に広がった人類の希望を『大きな物語』と呼んだ。奴隷が当たり前だった時代、身分差別があった時代、意見が言えなかった時代、そのような不平等な社会を脱し、人間は新しい境地に入ったと考えたわけだ。
各人の誕生年
ハイデッガー | 1889年 |
マルクーゼ | 1898年 |
サルトル | 1905年 |
レヴィ・ストロース | 1908年 |
リオタール | 1924年 |
だが実際にはアドルノとホルクハイマーが『新しい野蛮』と言ったように、人間の心底にある闇の部分が表面化される時代に直面することになった。そしてマルクーゼが言うように、産業社会が発展し、力を持った者が、持たない者を支配しようとする動きは消えることはなかった。
リオタール
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参考文献