ユルゲン・ハーバーマスは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
理性とコミュニケーションが大事だと主張した人です。
理性があるからこそ、健全で平等な社会が構築できる。
『ポスト・モダニズム』の流れにあってそう言ったのがハーバーマスです。それゆえ、彼は近代の理念を継承する哲学者として『最後の偉大な合理主義者』と言われています。『理性など役に立たない』と言われたのがポスト・モダニズムですからね。人に理性があり、『言語能力』と『コミュニケーション能力』さえあれば、討論をしても間違った方向に逸れずに、その結果が良い方向に流れるし、様々な社会の意見、つまり多様性の中で相互理解と意思疎通ができると考えたのです。
哲学は紀元前600年頃古代ギリシャのタレスから始まり、2600年の歴史があります。『神話→宗教→哲学→義務教育』と人はその思想を固めてきましたが、それでも『戦争』を引き起こしてしまったり、人は過ちを犯してばかりいます。哲学は人間世界にどれだけ貢献するツールになるか。そういうことが今後の哲学者の議題になるでしょう。
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上記の記事の続きだ。今回が『哲学編』の最後の記事となる。このように、フロイトやニーチェの影響もあり、『ポスト・モダニズム』の流れが生まれた。そしてそこで『解体』されたあらゆる哲学は、『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』だった。
近代哲学(デカルト等の啓蒙主義的な理性中心の哲学が支配する時代)から抜け出そうとする動き。
過去の哲学が全否定された。それでは、もう哲学は無意味になってしまったのだろうか。過去の考え方が間違っていたなら、それを学ぶことも意味ないし、時間の無駄だ。そんな中、近代の理念を継承する哲学者として『最後の偉大な合理主義者』と呼ばれた人物がいる。ユルゲン・ハーバーマスだ。
各人の誕生年
マルクーゼ | 1898年 |
レヴィ・ストロース | 1908年 |
リオタール | 1924年 |
フーコー | 1926年 |
デリダ | 1930年 |
ハーバーマス | 1929年 |
彼は、否定された人間の『理性』を強く主張し、その理性があるからこそ、健全で平等な社会が構築できると考えた。その際、必要なのは『コミュニケーション能力』だ。そしてそのために必要なのは『言語能力』だ。これがあれば、討論をしても間違った方向に逸れずに、その結果が良い方向に流れるし、様々な社会の意見、つまり多様性の中で相互理解と意思疎通ができると考えた。
確かに、世界共通語があって、それを全人類が喋れるとしたら、外国人同士での意思疎通(コミュニケーション)は容易になり、無意味なトラブルも起きない。また、自分の意見をしっかりと言語に乗せて伝えることができれば、多様性は尊重されることになるし、不満も抑えられる。
例えば私が以下の記事で書いたのはこうだ。
私が考えるに、この『真理』というものを理解するためには『システム2』を起動し、それで熟考することが求められます。アインシュタインも私と同じように、『神』を『この世を支配する法則』と同義語だと考えました。彼は間違いなく『システム2』を常時モードとしていた人間ですよね。そうじゃなきゃ相対性理論は見いだせない。
私の両親はクリスチャンですが、幼少期からそういう信仰を持った人々を見ていて思うのは、彼らに共通するのは『システム2を上手く駆使していない』ということです。それは(上)のカエサルの記事に書いたこの内容を見れば見えてくることです。
しかし、母親は私にクリスチャンを強要し続け、今も尚、そうじゃない私を目の前にして『イエス様』がどうとか言い出す。それは、『教育者』として本当に正しいのだろうか。いや、正しくない。彼女はもう何年も前から『教育放棄』をしている。『イエス様に身を捧げすぎて』、どこか思考回路が欠落している印象を持つ。その理由は、まず私が渡す本はおろか、小冊子、果てはプリントに至るまで、後で確認すると『読んでいない』ことがわかったのだ。その前から何年にも渡り、『メールを見ていないのでは?』と思うことがあった。そして最近、それが明るみになり、今回のように、話が出来なくなる現象が起きる。母親は、難しいことは考えずに、全てイエス様に身をゆだねることで、それを乗り越えてきたのである。
もちろん全員とは言えません。しかしキルケゴールがこう言い、
パスカルがこう言うように、
信仰自体が『理性、思弁、論理的理解』とは別次元のものであり、『システム1のままでよい』と示唆しているように見えます。ですから、クリスチャンである両親は『神(真理、愛)』がなんであるかを論理的に理解しておらず、知らぬ間にそれから逸れてしまい、多くの不和を生み、そしてその問題解決が出来なかったのです。
ニーチェがこう言った理由が、私にはよくわかるのです。目の前で『システム1』で問題に対応する両親を見てきましたからね。
最下部と今下に張るこの記事の軸になる記事を読めばわかりますが、『神(真理、愛)』がなんであるかを論理的に理解することは、『システム2』を起動しなければ不可能です。ですからまず人は、『システム2』でそれを理解し、その後『システム1』という『直感、感覚』だけでも『違和感』としてそれがわかるようになるべきだと考えます。そもそも、この記事にまでたどり着き、これを読んでいる人は全員『システム2』を起動しています。
…ここで出てきている『システム』というのはこういう意味だ。
システム1 | 自動思考モード(省エネ思考モード) |
システム2 | 熟慮モード |
脳の中にあるシステムで、人は理性的であればあるほど、『システム2』のモードを起動できることになる。ハーバーマスは、理性があるからこそ、健全で平等な社会が構築できると考えたわけだが、私のこの記事と照らし合わせてみても意見は一致しているのである。
彼と私との違いはこうだ。
ハーバーマス | 理性とコミュニケーションによって、何が正しいかをめぐって自由で平等に討議できる社会を建設したい |
私 | 理性(システム2)があれば真理を発見でき、無意味な争いを引き起こさない(世界平和が導き出される) |
彼は理性を使って『人々で』答えを導き出すという考え方だが、私の場合は理性を使って『真理(という答え)』を導き出すという点で、微妙に違う部分がある。だが、二人が共通して見ているのは『哲学にある可能性』だ。
スティーヴン・ホーキングの著書、『ビッグ・クエスチョン<人類の難問>に応えよう』にはこうある。
地球はあまりに多くの領域で危機に瀕しており、私は明るい展望を持つのは難しい。よからぬことが近づく兆しはあまりにも鮮明で、しかもそんな兆しがあまりにも多い。第一に、私たちにとって地球は小さくなりすぎた。物質的資源は恐ろしいほどのスピードで枯渇しつつある。私たちはこの惑星に、気候変動という壊滅的な問題を押し付けた。気温の上昇、極致における氷冠の減少、森林破壊、人口過剰、病気、戦争、飢饉、水不足、多くの動物種の絶滅、これらはみな解決可能な問題だが、これまでのところは解決されていない。
彼が提示した問題に加えて、
このような人間の現状は、本当に『最終到達地点』なのだろうか。私は彼ら偉大な哲学者たちの考えたことを踏まえたうえで、今後さらなる『腑に落ちる答え』を求めて考えていくつもりだ。
以上、人間について語るサイトを運営するにあたり、最低限押さえておかなければならない部分を記事にしてまとめた。輪郭に過ぎないが、世界の『神話、宗教、哲学』についてまとめたのだ。だがもちろんこれは参考文献あってのもの。著者たちに感謝である。そして、彼ら偉人たちに感謝だ。
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参考文献