文明の興り
ピラミッドは何のためにあるの?わかりやすく簡潔に教えて!
ファラオ(王)が死んだ後に蘇ることを想定して作ったお墓というのが濃厚です。
ただし、完全にはハッキリしていません。
エジプトのファラオ(王)は、太陽神ラーの化身であるとされていました。
したがって、彼らがトップに君臨し、すべてを支配していたのです。ピラミッドは、ファラオ(王)が死んだあと、また帰ってくることを前提として作られた墓であり、家のようなもので、だからピラミッドからはファラオ関連のミイラや、たくさんのお宝が発掘されるわけです。しかしそれを作ったのは奴隷でした。しかし最近では、近くに労働者の居住地が発掘され、彼らに食事やビール、休みが与えられている記述も発見されています。ナイル氾濫時に仕事を失う農民へ、仕事を与えるための公共事業だったという説もあるというわけです。
ただ、粗末な食事、中毒死、伝染病等の問題もあって、当時の平均寿命は22歳程度で、そう考えるとどちらにせよ『ピラミッド建築という巨大事業』を建築している途中で息絶える人が多かったはず。そうなれば、その人達は結局『ファラオの墓の為に一生を費やした人』となり、客観的に見るとそれはあまり奴隷と変わりないようにも見えますね。
メソポタミア文明・エジプト文明
上記の記事の続きだ。世界四大文明のうち『メソポタミア文明』について考えた。今回は『エジプト文明』である。では、世界四大文明というのはいつの時代のことを指すかもう一度見てみよう。
メソポタミア文明 | 紀元前6000~ |
エジプト文明 | 紀元前4000~ |
インダス文明 | 紀元前2500~ |
中国文明 | 紀元前14000~ |
実は、これらの正確な数字が出ない。参考書ですべて違う数字が出てしまっている。例えば『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた
しかし往々にして、『メソポタミア文明→エジプト文明』という考え方が妥当なようだ。例えば『エリア別だから流れがつながる 世界史
メソポタミア文明でシュメール人が文明を築いたころ、ナイル川下流のデルタ地域でもエジプト文明が芽生えつつあった。
シュメール人は、メソポタミア文明ができてから1000年も経ってから現れている民族だ。もう一度前回の記事の歴史の流れを見てみよう。
紀元前30世紀頃にシュメール人がメソポタミアに登場する。ということは、エジプト文明は芽生え始めたのはこの時期、『紀元前30世紀頃』というのが妥当な見解である。
上記の記事に書いたように、人が文明を作ったのは『水』の近くだ。それには世界の乾燥現象が関係していた。水を求め、大河の近くに移住した。メソポタミア文明の場合、ティグリス川とユーフラテス川がそこにあった。そしてエジプト文明の場合は『ナイル川』があったのである。
四大文明と大河
メソポタミア文明 | ティグリス川、ユーフラテス川 |
エジプト文明 | ナイル川 |
インダス文明 | インダス川、ガッガル・ハークラー川周辺 |
中国文明 | 黄河等 |
下記の記事に書いたように、モーセが活躍した舞台と同じである。
このエジプト文明では、その記事にもあるように『エジプト神話』が支配した。この映画を観てもわかるが、神官と王が支配権を握り、奴隷が当たり前のようにいた。身分の差別が当然だったのである。
また下記の記事に書いたように、バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 』にはこうある。
エジプトやメソポタミアの石に掘られた記録から、世界的社会の歴史は人類が物理学や化学、生物学全般にわたって何も知らない状態から始まっていることがわかる。人間は安全な食べ物をほんの少ししか知らなかった。あやしげな場所で摘み取られた一見おいしそうなものを食べて、多くの仲間たちが中毒死していくのをまのあたりにした。伝染病がはびこっていた。平均寿命は22歳程度で、時折言及される、聖書に言うところの『人生70年』のおよそ3分の1に過ぎなかった。
人々の寿命は短かった。ピラミッドを作ったような紀元前2,500年付近の時代になると、『22歳』程度で人々は命を終えていくのだった。まるでその命は『消耗品』であり、奴隷としても、生贄としても、その他の動物と同じような扱いを受けた。『上に立つ者』以外の人間の命の尊厳は、とても低かったのである。
しかしそれと同時に様々な文化も発展していく。
メソポタミア文明同様、エジプト文明でもこのように人々の生活の基礎となる文化が作られ、それは後世にも影響していくのである。
これは簡単な象形文字のヒエログリフだ。更に細かいものになるとこういうものもある。このあたりの登場人物については先ほどの記事に書いた。
[オシリス(左)とアメミット獣]
大体が神話に関係するキャラクターである。
先ほどの記事には、『ノアの箱舟』もこの灌漑農業が生活の軸だった時代に生まれた神話の一つだと書いた。当時、水はとても貴重だった。人々が生きていくために必要不可欠な、命の恵みだった。しかし、自然災害はあった。人間が予測できない出来事がいくつもあり、とくにこうして『水』を通して人はその被害の甚大さを思い知ることが多かった。そして、洪水や稲妻等を通し、人はそこに『太刀打ちできない存在』を見たのだ。
このように『命の源』でもあり『災害の原因』でもあった水だが、当時、洪水というのはそう悪い現象でもなかったらしい。それによって豊かな土壌が運ばれてナイル川にばらまかれ、洪水がひいたときに、水も土も整理された状態になるので、『恵みの洪水』という解釈もあったようだ。
いくつもの面を持つ水だが、とにかく、はるか昔からも人と水とは切っても切れない関係にあったのである。
では、ピラミッドはどうだっただろうか。
先ほども記事を載せたように、これを作るために多くの奴隷の人々が命を落とした。消耗品のように使われ、用が済んだら始末されていた。ピラミッドというのは、ファラオ(君主)が来世でまた同じようにファラオであるように作った墓でもあり、『蘇る前提で作られた家』だ。その家に入れるものは限りなく少なく、その他大勢の人はむしろその『家づくり』を強いられ、ぞんざいに扱われた。
先ほどの本にはこうもある。
生活はあまりにもひどい状態だったので、どんな理屈をもってしても、宇宙の偉大な神は生きることそれ自体を望ましいものとして意図していると、人々に信じ込ませることはできなかった。唯一主張できる言い訳は、来世での生活のための準備としてのみ、この世に生をうけたのだというものだった。ひどい生活はそれを立証するもので、この世でのよい生活は来世で苦しみを受けることになると考えられていた。しかし、経験から一般に食物があまりにも不足していたので、来世でさえも、ファラオ以外に十分な食べ物を得られる者は誰もいないだろうと考えていた。
つまり、ファラオ(王)はピラミッドがあるからいい。だが、それを作ったのは『それ以外の人々』であり、彼らの命は粗末に扱われた。そしてその彼らは、『来世』でさえも楽しい人生を生きることを想像できなかった。そうした死生観には、当時浸透していたエジプト神話や、宗教の力が影響していただろう。
これは余談だが、のちに紀元前800年頃からローマ帝国が作られるとき、その帝国の中には様々な国家や民族があるわけである。そうなると当然、それぞれが持っている宗教観に違いが出てくる。
上記の記事に書いたように、各地域には様々な神話や宗教があった。したがって、一つにまとまらない。最初は力づくでまとめていたがそれには限界があり、どうしても帝国をまとめるために『優秀な宗教』の存在が必要だった。
当時、宗教の存在は政治や経済よりもはるかに重要な位置づけにあったので、それを見つけて人間をまとめることは、必要不可欠なことだった。そこで、帝国のすべての人々が納得するような『優秀な宗教』を探した。
このような条件をクリアした『優秀な宗教』を探し、そしてたどり着いたのが『キリスト教』だった。これによってキリスト教はローマ帝国の国教となり、多くの人に受け入れられ、世界宗教へと発展していった。
ここに出てきた3つの条件を考えたとき、当時、古代エジプトで強いられていた人々の心境を想像することができる。このあたりの人々から、すでに『腐敗』は始まっていたのだ。
彼らの生き方や考え方はまるで違った。そう。これが下記の記事がこのようなタイトルになった理由なのである。
だがこのピラミッドだが、実はまだまだ謎が多く、『エリア別だから流れがつながる 世界史
かつては奴隷を使役してつくられたとされていたピラミッドだが、近くに労働者の居住地が発掘され、彼らに食事やビール、休みが与えられている記述も発見された。ナイル氾濫時に仕事を失う農民へ、仕事を与えるための公共事業だったという説もあるという。
確かにそうかもしれないが、そうなると『そのほかの明確になっている歴史的事実』とのつじつまも合わなくなってくるので、どちらにせよ人は、前述したような2つの立場に分かれていったと考えるのが妥当だろう。ファラオがいて、そうじゃない者がいる以上は、人々の間に格差が生まれるようになったのだ。それも文明の大きな特徴の一つである。
ちなみに、メソポタミアにあったのはこの神話だ。
エジプトにも神話はあった。
どちらにせよこのような『人の上に立つ存在』が登場することにより、人々はより『繁栄』したし、その代償になるものもあったのである。
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