ツタンカーメンは何をした人?わかりやすく簡潔に教えて!
新しい神とそれを信仰する団体の勢力を抑えた…となっている人です。
古代エジプトは太陽神ラーが信仰されていました。
しかし、『アメン・ラー』という新たな神を信仰する団体が現れ、その勢力を抑えようとして別の太陽神『アテン』を持ち出し、抑えようとします。しかし話が余計にこんがらがって民衆から反発を受け、ファラオたちは権威を失いかけます。そこにツタンカーメンが登場し、その話を丸く収めたということなのです。
しかし、ツタンカーメンはわずか9歳で即位し、死んだのも19歳です。そんな若い彼がこのようなことをやったとは考えられず、彼の裏には、
といった人物たちの存在があったと考えられています。
メソポタミア文明・エジプト文明
上記の記事の続きだ。このようにして『エジプト文明』は紀元前30世紀頃に作られ、そして様々な文化を生み出していった。エジプト文明は、
の3つの時期に分けられる。ピラミッドは古王国の時代に建造されたものだ。ギザ地方の三大ピラミッドが有名である。
古王国時代に大きく栄え、中王国時代には権力が停滞し、異民族ヒクソスに侵入されて長期間、支配下におかれる。そして新王国になるとそのヒクソスを追い払い、エジプト文明の中で最も栄えることになる。この時に作られた『アブ・シンベル大神殿』は、ピラミッド同様、世界遺産に登録されている。
ちなみにこの神殿の建築には『ラムセス2世』という人物が関係している。彼は冒頭の記事にも書いたが、モーセが活躍した時代と同じ人物だ。映画にも出てくる。
彼は精力絶倫で、100人以上の子供を残したとされている。古代エジプト中、最も偉大な王とされていて、小アジアの大国ヒッタイトと戦火を交え、戦争でも名をのこした。戦争が落ち着いた後は、
等の神殿建築に勤しんだという。この映画では、ラムセスとモーセが兄弟分のような形で登場するが、事実、モーセがエジプトを脱出したときのファラオは、このラムセス2世か、次代のメルエンプタハではないかと予測されている。
また紀元前1353年頃、ラムセス2世やモーセの世代の少しあと、新王国に『アメンホテプ4世』というファラオが登場する。アメンホテプ4世は『イクナートン』という名に改名するが、彼は多神教だったエジプト世界を『一神教』に変えようとするが、その急激な改革は批判され、出る杭として打たれた。モーセが伝えるユダヤ教は一神教だが、まだまだこの時は一神教のモデルは受け入れられなかったようだ。
だが、彼の子供がすごい。先ほど『古代エジプト中、最も偉大な王』としてラムセス2世の名前が出たが、アメンホテプ4世の子供は『古代エジプトで、最も有名な王』として知られる人物。ツタンカーメンである。
実は、先ほど出ていた『一神教』というのは、モーセが伝えたユダヤ教の神『ヤハウェ』のことではない。エジプト神話に出てくる神のことである。
太陽神ラーについては記事に書いた。
このようにして古代エジプトではラーが信仰されていたわけだが、しかし、テーベの守護神『アメン』が習合し、『アメン・ラー』と呼ばれ、ファラオはその子供と呼ばれるようになった。だが、アメン神官団の権力が強くなりすぎて、イクナートンはそれに対抗するために別の太陽神『アテン』を持ち上げ、これを信仰する一神教を押し出したのである。
アテンについてWikipediaで見てみよう。
もともとは夕日を神格化した神で、テーベで祀られていたが、マイナーな地方神の一つにすぎず、これといった神話もなく、どんな神なのか、はっきりした性質ももたなかった。そのため当初から人々の解釈としては、夕日の神であることから、太陽神ラーと同一視されたが、あまり信仰は盛り上がらず、後には神性が薄れて、天体としての太陽を表すようになっていった。
アテンではあまり人が納得しなかったのである。そしてツタンカーメンがこんがらがった神話を元に戻して秩序を戻したという。しかしこの話はおかしい。ツタンカーメンが即位したのは『9歳』だからである。つまり、彼の背景には別の人物がいたのだ。それは、
だといわれている。ツタンカーメンは19歳で死んだが、その死因は今のところ、
というのが有力である。暗殺の件で言うと、頭蓋内に骨片が発見されたことが理由だ。これは、こん棒や剣の柄等で殴られたいう証拠だからだ。それに、アイやホレムヘブは、彼が死んだ後に王の座に就いた。もしかしたら『力』に魅了された欲深い人間たちが、それを手に入れるべく、絵を描いたのかもしれない。
その後、エジプト王国は、アッシリア帝国に支配され、紀元前6世紀ごろにアケメネス朝のペルシャによって滅ぼされる。だが、実に2500年もの間繁栄し続けることができた、稀有な古代王国である。その理由の一つは、この土地が『砂漠に囲まれた場所』だったからということだ。つまり、他国がなかなか攻め入ることができなかったのである。
もう一つは『専制国家』だったからだ。圧倒的な支配力があったから、内乱も起きにくかった。
支配者が独断で思いのままに事を決する国家。
このような事実が、内外からの侵略や反乱を抑止し、長きにわたって繁栄したのである。それがわかる同じような例として、日本が挙げられる。日本は、島国であり、海に囲まれた国だ。だからエジプトと同じように、それが『城壁』代わりになって、他国がなかなか攻め入ることをしなかった。
チンギス・ハーンの孫のフビライ・ハーンが仕切る『元』が日本に攻めてきた時の話だ。二回目の元寇・弘安の役(こうあんのえき)では、元軍は日本軍の猛攻(志賀島の戦い・壱岐島の戦い・鷹島沖海戦)で苦戦を強いられ、二ヶ月近く海上に停滞していたまま台風に遭い、大損害を出して混乱したところを日本軍の総攻撃を受けて、壊滅した(御厨海上合戦・鷹島掃討戦)。
これは『神風』と言われているが、このように日本も、
という『城壁』が他国からの侵入を抑止していた。私はこの話を知った後に、ちょうど『ワンピース』の『ワノ国』編で、ワノ国(日本)の海域は普通じゃなく、ルフィたちがなかなか島に上陸できない、という描写をしているのを見て、少なからずこの神風の話が影響していると考えたが、どうだろうか。
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