バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 』にはこうある。
15世紀にヨーロッパ人がアラビアの数字と計算を容易にする『数の位取り』を採用したことで、コロンブスは航海用の計算ができるようになり、コペルニクスは太陽系や惑星の軌道パターンを発見することができた。簡便な計算方法が造船技術と航海術をともに大きく進歩させ、地中海人の造った大型船は北大西洋や南大西洋へと航海を挑み、アフリカをまわって東洋にまで達することができた。マゼランによって船による世界一周計画が達成され、この地球は大部分が水に覆われた球体であることが立証された。人類の至上の覇権をめざす戦いは、かくして、地中海から世界の海洋へと移っていった。
彼ら偉人『が生まれた』背景にも、ちゃんと『有』があった。つまり、無から有を生み出したわけではなかった。また本にはこうもある。
ある靴職人が10人の乳飲み子を抱えている。彼は、その子たちのために草を食べてミルクを出す牝牛を手に入れたいと思う。靴屋は牛革から靴をつくるのであり、牝牛を得たいわけではない。その牝牛が年取ってミルクを出さなくなったら、彼は殺して食肉にし、靴の材料の牛革を十分得ることができる牛を飼っている男は靴が一足欲しい。彼と靴職人は、一足の靴を製造するよりも一頭の乳牛を飼育するほうが、時間と人的エネルギーがより多くかかることに合意する。彼らは、牛を切り刻んでしまったら乳をしぼれないことにも合意する。
そこで彼らは金属を用いる。その金属は希少で、物理的に有用で高い交換価値を持ち、本質的に価値の異なるものを互いに交換するために必要に応じて分割することができる。これがお金の起源である。
とにかく色々な『起源』を知ることで物事の本質が見えるようになる。お金のことはいずれまた入念に時間を割いて検討しよう。前者に関して言えることはこうだ。
この世に無駄なことなど何一つない。自分がやったその『小さな一歩』は、人類にとっての『確かな一歩』かもしれない。だからもしこの世でその一歩を踏み出すことを躊躇している人がいるならば、今すぐにその考えを改めるべきである。大丈夫。無駄ではない。たとえそれが自分の生きている間に評価されず、あるいは花が咲かなかったとしても、それがどうしたというのだ。人から何と言われるか、どう見られるかに支配されて生きているわけではないだろう。
イギリスの作家、ウィリアム・ヘイズリットは言った。
『けちな人間』に成り下がり、この唯一無二の命を、浪費するな。
参考文献