アメリカ大陸にはどんな文明があったの?わかりやすく簡潔に教えて!
マヤ・アステカ文明等がある『メソアメリカ文明』とインカ文明等がある『アンデス文明』がありました。
世界四大文明には数えられませんが、アメリカ大陸にも大きな文明がありました。
世界遺産等にも選ばれているマヤ文明の『マチュピチュ』などが有名です。これらは日本などと同様、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の文明との交流を経験せず、地理的に孤立した環境で発展しました。そのため、彼らの生活は原始的な生活に近く、独自の文化がありました。それは外国の人が日本を見て思う感想と同じことです。『神殿を祀る文化』が紀元前2000年頃に興り、それから約2500年の間、外部世界の影響や干渉を受けることなく自力で発展し続けました。
しかし16世紀頃、スペインは征服者(コンキスタドール)をアメリカ大陸に送り込み、次々とペルー、メキシコ一帯は征服され、スペインの植民地となっていったのです。
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四大文明・二大文明
上記の記事の続きだ。四大文明からの歴史をひも解いた。だが、世界の文明は四大文明だけじゃない。そのほかの地域にも文明があった。そこに対抗できる文明として挙げあれるのは、アメリカ大陸にあった2つの巨大文明だろう。
である。このアメリカの二大文明を入れて『世界六大文明』ということもある。例えばメキシコにはアンデス文明の『アステカ王国』、そしてそのすぐ下のユカタン半島にはメソアメリカ文明の『マヤ文明』があった。
メソアメリカ文明が繁栄した地域で興った文明
メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。
1532年のスペイン人によるインカ帝国征服以前に、現在の南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明。
『宇宙について知っておくべき100のこと: インフォグラフィックスで学ぶ楽しいサイエンス
マヤ人は、金星を頼りに戦いの計画を立てた。1000年以上前に中央アメリカに住んでいた古代マヤ人は、天文学の達人だった。彼らは、太陽や月、恒星や惑星の周期的な運動を、ほぼ99.9%以上の制度でよ良くすることができたんだ。
マヤ人は、地球の365日の周期のはじまりと、金星の584日周期のはじまりとが、8年ごとに一致することを発見し、その時期が敵対する町を攻撃するのに適していたと考えていたようだ。
メル・ギブソンが監督を務める『アポカリプト』は、スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台に、生贄にされそうになった捕虜の脱走と生き残りを掛けた逃走を描く。全編通じて、マヤ語を使った映画となっていて、リアルである。
この時代が大体『950年 – 1524年』あたりだと考えられるが、マヤ文明自体は『3世紀~16世紀』頃からあったので、どちらにせよマヤ文明も長い歴史があるといえる。この映画の評論家からの評価はともかく、私は彼のリアリティを追求する映画が好きなので、非常に興味深い映画となった。
私は映画鑑賞の前に『トゥームレイダー』のゲームをやっていたため、そこで出てきたマヤ文明の描写とそっくりだったので、面白かった。
もしかしたら本当にあのように生贄などを使った儀式が行われていた可能性もある。また、下記の記事あたりで書いたが、紀元前5000年頃から農耕時代に入るが、それまでは狩猟・採集時代があった。
『世界の神話 神話の生成と各地の神話。神々と英雄の活躍』にはこうある。
かつて狩猟採集時代には食べ物がなくなれば他人のものを奪う略奪は当然だった。略奪の過程で死傷するのも当然のこととされたが、多くの人が1つの場所に集まって住んでこんなことがあれば、共同生活自体が不可能な大混乱が起こるしかない。それで共同生活する構成員は自ら進んで秩序を守るようになる。泥棒を禁じ、殺人や、他人を害する行為を禁じた。つまり道徳や倫理が必要になった。
人間同士で奪い合い、他人の命は、動物の命と同じだった。このような考え方を知った後、ここで描かれるマヤ人の人々の生活を見ると、なるほど、うなづけるシーンがたくさんあるのである。
[マヤ文明の遺跡チチェン・イッツア]
しかし、そのマヤ文明を押さえてあたり一帯を統一したのが『アステカ王国』である。14~16世紀にメキシコ高原に成立したアステカ王国は、アステカ文字を使用する軍事国家だった。
[アステカのジャガー戦士]
ちなみに先ほどの映画では、神格化されたジャガーの描写も登場する。
また、アンデス山脈一帯にも、
が発展したが、15~16世紀にケチュア族によってインカ帝国が興る。
ちなみに下記の記事に、
エジプトが2500年も栄え続けた理由として、『砂漠に囲まれた場所』だったことについて書いた。つまり、他国がなかなか攻め入ることができなかったのである。それは日本も同じことだった。『神風』と言われる現象が起こり、
という『城壁』が他国からの侵入を抑止していた。それらと同じようにこのアメリカ大陸の文明も、長年独自の文化を築いた。彼ら先住民は、もともと3万年以上も前からアメリカ大陸に住んでいたが、アメリカが日本のように海に囲まれた大陸となった後は、他国が侵入できなかった。
しかし先ほどの映画でも『スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台にした』とあったように、16世紀頃、スペインは征服者(コンキスタドール)をアメリカに送り込み、次々とペルー、メキシコ一帯は征服され、スペインの植民地となっていったのである。
他国からの侵略に打ち勝った国と、そうじゃない国があった。当時のアメリカ大陸は『準備が整っていなかった』とも言えるが、銃器を持った装備の厚い兵士たちの前では、成すすべがなかったのである。
これは余談だが、ある『イラク人の日本人に対する感想』がある。彼らは日本と言って思い浮かべることは、SONYでもトヨタでもなく、『明治維新』だと言う。多くのアラブやアジアの国々が国を破壊され、植民地化されたなか、日本だけは独自の力で近代化を達成し、国を守り、有色人種の中で唯一列強に加わることが出来たことに、畏怖と称賛の念を抱いているわけだ。
巨大なロシア帝国に戦争を挑み、世界最強といわれたバルチック艦隊を撃破したことは驚きの一言。また、結果的には負けたがあのアメリカに攻め込んだのは後にも先にも日本だけだった、というのは、世界中の人々の目を丸くしたわけである。独特の文化というなら、日本もその代表国の一つだ。世界の歴史から日本人の底力というものが垣間見えるのだ。
もちろん、日本人崇高主義ということではない。我々はたまたまこの地域に住み、その中で生きてきただけに過ぎない。我々が違う地域に生まれていたなら、違う思想や信仰、文化に影響され、話す言葉も肌の色も、何もかも違っていて、戦争に勝った、負けたの結果も異なっていただろう。
そもそも、『メソアメリカ』といわれるマヤ、アステカの文明は、『石器』を中心とした文化を持っていた。そこにいきなり『銃器』を持った人間が現れるのだから、負けてしまって当然だろう。物理的な話である。その代わり彼らは、ピラミッド建築に長けていたり、マチュピチュ遺跡を作り上げるなどして、独自の高度な技術を持っていた。
元々戦争も植民地も必要ないのだから、メソアメリカに生きた彼らの方が、人として優秀だとも言えるのだ。
[『インカの失われた都』マチュ・ピチュの風景]
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