いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.紀元前770年~紀元前403年までの約370年間です。
2.紀元前770年~紀元前221年までの約550年間です。
3.紀元前403年~紀元前221年までの約182年間です。
『春秋』というのは儒家経典の一つである歴史書「春秋」から取られているので、これで覚えるしかありません。
周が東西に分裂した紀元前770年から『秦』が中国を統一する紀元前221年までのおよそ550年間を『春秋戦国時代』と言い、戦国時代が始まる前の、現在の山西省一帯を占めていた大国『晋』が三国に分裂した紀元前403年までの、およそ370年に渡る期間を『春秋時代』と言います。そしてそこからが戦国時代となります。ただ、春秋時代と戦国時代の境目を何時とするかには諸説あり、晋が(韓・魏・趙)の三国に分裂した紀元前453年か、その三国が正式に諸侯となった紀元前403年とで分かれます。
夏→殷→周→春秋戦国時代
上記の記事の続きだ。
最盛期を誇った前半の段階 | 西周 |
弱体化した後半の段階 | 東周 |
周は以上の表のように、『西周(さいしゅう)』と『東周(とうしゅう)』と分けて呼ばれている。西周の時期は勢いがあったが、東周時代には衰退化していく。なぜ『東、西』と呼ばれるかというと、周の中での内乱のようなもので、東と西に分かれたことが原因となっている。
Wikipediaにはこうある。
周は東西に分かれて争った結果、東の平王が打ち勝ち、ここから周は東周と呼ばれ、時代区分では春秋時代に移行する。
周内での内乱によって、周は東西に分かれて争った結果、東の平王が打ち勝ち、その後の周は『東周』と呼ばれる。これが大体、紀元前770年頃だ。
西周 | 紀元前1046年~770年 |
東周 | 紀元前770年~249年? |
西周は、冒頭の記事に書いたように、紀元前770年の王である携王(けいおう)が、美女に溺れたことによって弱体化する。異民族の侵入によって衰退していくわけだ。しかしその後、『東周』はまだ続いていく。Wikipediaにはこうある。
その後も昭文君の東周は7年間存続したが、紀元前249年、秦の呂不韋によって攻め滅ぼされた。『史記』の秦本紀では昭文君は謀殺されたと伝えられているが、東周君に土地を与えて周の祭祀を続けさせたとも書かれており、この場合昭文君の子が封じられたと考えられる。
漫画『キングダム』でも有名なあの昭文君(しょうぶんくん)が東周を7年間維持したが、紀元前249年に、これまたキングダムで有名な秦の『呂不韋(りょふい)』によって滅ぼされてしまう。
上記の記事に書いたのはこうだ。
だが、周の国は紀元前771年に亡び、中国は戦乱となる。そして紀元前221年、秦の始皇帝が中国を平定するわけだ。『キングダム』の舞台となる時代である。
この500余年間を春秋戦国時代と言う。
周の国が滅んだのは、紀元前771年だという見解もある。つまり、『周=西周』と考えている人も多いわけだ。だが実際には『東周』ならそこから500年以上は持ったということなのである。
とにかく、この紀元前771年~221年の500余年を、『春秋戦国時代』という。この春秋時代の呼称は、周代に成立した儒家経典の一つである歴史書「春秋」から取られている。だが『春秋時代』ならこうなる。
周が東西に分裂した紀元前770年から、現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が三国に分裂した紀元前5世紀までの、およそ320年に渡る期間を指す。
とある。つまりこういうことだ。
春秋時代 | 紀元前770年~紀元前5世紀までの約370年間 |
春秋戦国時代 | 紀元前770年~紀元前221年までの約550年間 |
戦国時代 | 紀元前403年~紀元前221年までの約182年間 |
いずれにせよ、
と続いた(はず)の中国の王朝があって、最後の王朝である『周』が滅んで、中国が不安定になった。そして、様々な国が勃興し、勢力を争い、それぞれが自分たちの権利を主張し始め、衝突していったのである。
更に見ていこう。
時代が下って周王朝の権威が失われると、小国は次々と滅ぼされて大国に吸収されるようになり、戦国時代に突入した後は七つの大国と十数の小国を残すのみとなった。弱肉強食の乱世を勝ち残った秦・斉・楚・魏・趙・韓・燕の七ヶ国は戦国七雄と称された。Wikipedia
戦国七雄
この戦国七雄を軸にしながら、戦国時代が繰り広げられるわけだ。ちなみによく聞く『三国志』というのは、
の三国が覇権を争う歴史だが、紀元後200年前後の話。この春秋戦国時代、たとえば戦国七雄の時代は紀元前400年前後なので、600年以上時間が空いていることになる。
ちなみに、さきほどあった『春秋五覇』というのは下記のとおりである。
春秋五覇
この中でとりわけ勢力を誇っていたのが『晋』であり、それが『漢・魏・趙』の3国に分裂し、それをきっかけに戦国七雄が割拠したわけである。
春秋時代の最初は、『周王朝を守る覇権争い』という名目で争いが行われた。周王朝を尊重し、異民族から守ることを『尊王攘夷』といい、日本でもこの言葉が使われるようになった。
この春秋時代には、こうした覇権争いだけじゃなく、『農業』の技術も発達することになる。
牛耕農法 | 鉄製農具の使用、耕作技術の進歩 |
肥料・耕種など | 治水灌漑の進展、農業知識の進歩 |
また、『青銅貨幣』も作られることになる。実はこの2つの背景が手伝って、人々はそこにある、
等の『力』を奪い合うようになってしまうのである。これもこの時代に争いが頻発した一つの理由だと考えられている。
そしていよいよこの後、戦国七雄の中からあの国がみるみる頭角を現すようになる。そう。『キングダム』を読んでいる人ならもうわかっただろう。始皇帝が統治した国、『秦』である。
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