いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.日本とロシアは当時領土拡大を狙っていて、その侵略地域が被って衝突した形です。
2.ロシア側で内乱が起きていたこともあって、日本が勝利しました。
ロシアは以前から日本に圧力をかけていました。
当時世界の覇権を握っていたイギリスと、直接圧力をかけられ、自分たちの領土の一部を返還させられた日本。お互いの利害が一致した両国は、ロシアを悪く思います。日本がイギリスと『日英同盟』を結び、アメリカもこれを支持。1904年2月、日本軍がロシア太平洋艦隊を攻撃します。東郷平八郎が海戦史上前代未聞の『トーゴー・ターン』で画期的な戦略を見せて勝利を収めるなど、確かに日本側も戦いで結果を残しました。
しかし、当時のロシアは『第一次ロシア革命』、つまり国内での内乱によって、体力を消耗していました。また、日本は常備兵力約20万人のところ、100万人を超える兵力を動員し、大きな損害を被りました。そうした理由から、『日露戦争は日本側の圧勝だった』というのは言い過ぎだという見解があります。ただ、世の大勢の人は結果だけを見るので、この戦いで日本は『大国ロシアに勝った国』として名を馳せることになります。
日本開国→日清戦争→日露戦争
上記の記事の続きだ。孫文による辛亥革命勃発し、『中華民国』が成立。清王朝が滅亡し、清も孫文も裏切った袁世凱が『中華帝国』を作るがすぐに崩壊。自身も病死。そして中華民国の時代が始まるわけだが、その前に、下記の『日清戦争』の続きの『日露戦争』について見てみよう。その後の中国の動きを見るにあたって、日本の動きを確認しておく必要がある。
1894年8月、日本が清に宣戦布告し、『日清戦争』が始まるわけだ。そしてそこにはロシアの存在もあったと書いた。一時、朝鮮半島を巡る国際情勢は、日清の二国間関係から、ロシアを含めた三国間関係に移行していた。この絵はその時の描写である。
[ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている]
そしてロシアは、フランスドイツとともに『三国干渉』で日本に圧力をかけ、遼東半島を清に返還させた。その後、冒頭の記事に書いたように1900年、『義和団事件』が起きるが、それを機にロシアは満州を軍事占領する。ロシアは着々と自国の領土を拡大しようとしていた。1902年、そんなロシアをよく思わなかった日本は、イギリスと『日英同盟』を結び、そこにアメリカも参入。日本とイギリスは、ロシアの勢力拡大を拒絶した。
そこから日本とロシアは本格的な戦争を始めるのだ。『日露戦争』である。
日露の間にセオドア・ルーズベルトが入った理由は、『日露戦争の勝者が満州利権を独占する』という権利が面白く思わなかったことも関係していたしかし、賠償金が皆無という結果になり、日本国民が激怒し、米国公使館が襲撃される事件が起きた。
戦争が行われた時間自体は、1年7か月とされた。日本は常備兵力約20万人のところ、100万人を超える兵力を動員し、大きな損害を被った。しかし、日本が大国ロシアに勝利したことは、世界各地に大きな影響を与えた。
例えば、以下の記事に書いた一文を見てみよう。
日本は第四次川中島合戦や長篠の戦いのように、損耗率の高い大規模な合戦はありましたが、それはあくまでも軍人同士の戦いであり、民間人が攻撃の対象となることはありませんでした。結果論的に応仁の乱等で民間人が犠牲になることはあっても、民間人を殺戮の対象にするという発想はあまりなかった。この理由は天皇が民を『大御宝』として大切にしてきたことや、日本人が古来から育んできた和の精神が無益な争いを排除する効果を発揮してきたと著者は言っています。
民は天皇の宝である、という考え方。
確かにこの『他者を思いやる』気持ちが前提である『和』の精神が日本人にあるということは、先ほどの震災や事故の際の例を考えても、うなづける話ですね。そして世界中の人がその考え方に対して驚嘆し、畏怖と称賛の念を抱いているのです。
おそれおののくこと。
称賛だけではなく、なぜ『畏怖』の念を抱いているかというのは、例えばこの本にもある『イラク人の日本人に対する感想』からも浮き彫りになります。彼らは日本と言って思い浮かべることは、SONYでもトヨタでもなく、『明治維新』だと言います。多くのアラブやアジアの国々が国を破壊され、植民地化されたなか、日本だけは独自の力で近代化を達成し、国を守り、有色人種の中で唯一列強に加わることが出来たことに、畏怖と称賛の念を抱いているわけです。
巨大なロシア帝国に戦争を挑み、世界最強といわれたバルチック艦隊を撃破したことは驚きの一言。また、結果的には負けたがあのアメリカに攻め込んだのは後にも先にも日本だけだった、というのは、世界中の人々の目を丸くしたわけですね。
…これが、世界各地に与えた影響だ。日本の勝利は、列強の植民地支配に抵抗していたアジア各国にとって、あまりにも大きなニュースだった。
だが、この日露戦争というのは、本当に『日本が強かったから勝ったのか』というと、首をかしげる人が多い。そのときロシアは、『第一次ロシア革命』、つまり国内での内乱によって、体力を消耗していた。つまり、『戦争どころではなかった』のだ。
例えば、怪我をしている人と健康な人が格闘技の大会でリングに上がったとしよう。怪我をしている人がその怪我を気にしながら戦う中、健康な人は全力を尽くして戦う。そして健康な人が勝った。では、彼は本当に世界中の人から『勝者』だと認められるだろうか。また、実際兵力の損害も大きく、ロシア軍に賠償金も請求できなかった。つまり、『あまり勝ったと胸を張って言えない戦争だった』という見解を持つ人がいるのである。
ただ、それを言うなら『日清戦争』とて『洋務運動の未完成さの結果、主体性のない兵士だらけになり、その隙を突いて主体性のある日本軍が勝利した』ということになるから、何とも言えなくなる。
例えば、やる気満々の格闘家がいて相手をリングに上げるが、その人は最初からやる気がなく、準備も大してしていない。では、その戦いで前者が勝った場合、彼は本当に世界中の人から『勝者』だと認められるだろうか。そういうことになってしまうのである。
また、『三国時代』にあった『赤壁の戦い(レッドクリフ)』はどうだ。『呉』の周瑜、『蜀』の諸葛亮孔明の二人の天才策士は、『策』を使って相手を陥れ、情報操作して錯乱させたり、大量の兵器(矢)を盗んだ。天の利を使い、地の利を使い、知恵を絞って有利な状況を作り、相手に不利な状況を強いて、戦況を優位に運んだ。
そう考えると、結局戦争というのは『勝った方が勝者』ということになってしまうのである。
また下記の図は『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門 (角川書店単行本)』に掲載してある図だが、本にはこうある。
有名なのは海戦史上前代未聞の『トーゴー・ターン』と言われる敵前大回頭です。これによって相手艦隊の進路を妨害しつつ、日本艦隊にとって有利な陣形『丁字戦法』を取ったといわれています(本当に丁字が完成していたのかについては諸説あるようです)。陣形を縦に連ねて進行してくる敵艦隊に対して、丁の字になるように迎え撃つことができれば、自分の艦隊の火力を最大限発揮して敵戦闘艦を集中攻撃することができるのです。
戦闘艦の火力が最大化するのは、相手に対して自艦の横腹を向けたときと相場は決まっています、火砲が艦に設置されている物理的な条件のせいで、前向きや後ろ向きに火砲を発車しようとすると、一度に全火砲を使用できないのです。つまり丁字の形にすることができれば、火力が制限される縦方向に使わざるを得ない相手に対し、最大火力を発揮できる圧倒的優位に立つことができるということです。
日本もかつての三国時代の軍師たちのように、知恵を使って戦いに挑んだことは間違いないのである。事実、この東郷平八郎の活躍は世界中に轟き、セオドア・ルーズベルトは、『連合艦隊解散之辞』に深い感銘を覚えた。しかしとにかく、このロシアの南下政策の頓挫による『バルカン方面への進出』、そして、日本の勝利による『中国地方への進出』が原因となり、後にさらなる大事件を引き起こすことになってしまうのである。それが『第一次世界大戦』、そして、『日中戦争』である。
次の記事
該当する年表
SNS
参考文献