いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.満州の日本軍が、日本が経営していた南満州鉄道を爆破し、それを中国軍のせいにして、奉天と大連を制圧し、満州を占領した事件です。
2.以前から充満していた『日本VS中国』の思想が、1937年7月の『盧溝橋事件(七七事変)』で沸点を迎え、戦争に至りました。
3.すぐに『第二次世界大戦』が始まったので、アメリカ・イギリス等の連合軍側にいた中国に、日本が負けることになりました。
日本は短期決戦を望みますが、そもそも中国の『第二次国共合作』は手ごわく、戦争は長引きました。
そんな最中の1939年、ドイツがポーランドを侵攻し、イギリスとフランスがドイツの宣戦布告。『第二次世界大戦』が始まってしまいます。その後日本は、『日独伊三国同盟』に応じ、アメリカ、イギリスなどを敵に回します。気づけば大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争になり、日中戦争は『第二次世界大戦』の中に入り込み、中国がいる連合軍に負けた形となりました。こうして『日中戦争』と『第二次世界大戦』は、1937年から1945年まで続きました。
Contents|目次
日本開国→日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦・日中戦争・第二次世界大戦
上記の記事の続きだ。1928年、『張作霖爆殺事件』が起き、日中戦争の原因になる『満州事変』が巻き起こってしまうのである。それが1931年に起こった『柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)』である。
[事件直後の柳条湖の爆破現場]
満州の日本軍である関東軍は、柳条湖のほとりで日本が経営していた南満州鉄道を爆破し、それを中国軍のせいにして軍事行動を開始し、奉天と大連を制圧し、満州を占領した。これが『満州事変』である。
下記の記事に、『ラストエンペラー』の『溥儀(ふぎ)』について書いたが、日本は、この溥儀を執政という役につけ、この『満州国』を日本の従属国という形で建国する。
だが、この強引なやり方が仇となり、国連からリットン調査団を送られ、満州国を承認しなかった。そして日本は国連を脱退する羽目になる。冒頭の記事で、張作霖の息子である張学良が、蒋介石を説得して『第二次国共合作』成立させたと書いたが、中国は本格的に抗日運動を強めていくことになる。『張作霖爆殺事件』は、中国の北伐軍が黒幕だったという説があるが、『満州事変』においては、日本が絵を描いたことだった。だが、これらの際にかかわった、
といった中国人は、日本との関わりが深く、したがって日本に協力するような形を取ったのかもしれない。どちらにせよ親を殺された張学良は、自分の敵として定める相手を『日本』とし、国を守る大義名分を武器と盾にしながら、日本と戦うことを決意したのである。
そして1937年7月、西南方向の盧溝橋(ろこうきょう)で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件、『盧溝橋事件(七七事変)』が勃発。これを機に『日中戦争』が開幕してしまうのである。
[盧溝橋、宛平県城および周辺の航空写真]
双方が戦争という体裁を望まなかったので宣戦布告が行われず、日中戦争は『志那事変』、『日華事変』ともいわれる。
日本は短期決戦を望むが、『第二次国共合作』は手ごわく、戦争は長引いた。そんな最中の1939年、ドイツがポーランドを侵攻し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。『第二次世界大戦』が始まってしまうのである。その後日本は、日独伊三国同盟に応じ、援蒋ルートの遮断と日中戦争の資源確保を狙い、東南アジアや太平洋へ進出。これにアメリカ、イギリスなどが反発した。
[「仲良し三国」-1938年の日本のプロパガンダ葉書はドイツ、イタリアとの日独伊三国防共協定を宣伝している]
大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争における日対米局面を米国側から見た呼称。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた。
トルーマン大統領が反対派を押し切って投下を決断したのは、早く日本に降伏させたかったということと、ソ連への牽制があった。その後の対ソ連とのことを想定したのである。
こうして『日中戦争』と『第二次世界大戦』は、1937年から1945年まで続いた。中国ではこれを『抗日戦争』という。彼らからしたら、『満州事変』で理不尽な絵を描かれて、祖国を強引に強奪されそうになったわけで、その黒幕に『抗う』形を取ったのだから、それが正しい見解だろう。もちろん、ここ最近中国で放送されている『行き過ぎた抗日思想』のドラマや番組等は、やり過ぎだ。
とにかく中国は、日本がアメリカに降伏したことで戦勝国となることができた。『清』の時代に散々な目に遭ったが、中国はこのあたりの時代からまた徐々に力をつけるようになってくる。国際連合による安全保障理事会の常任理事国にもなった。ただ、その後中国は大きな犠牲を払う『暗黒時代』とも、新しい時代の幕開けとも言える重大な歴史を、ある人物を中心に迎えることになる。毛沢東の登場である。
次の記事
該当する年表
SNS
参考文献