『韓国』と『北朝鮮』は同じ国だったの?わかりやすく簡潔に教えて!
はい。1392年に李成桂(りせいけい)が建国した『李氏朝鮮(りしちょうせん)』という一つの国でした。
朝鮮半島は李氏朝鮮という一つの国でした。
李氏朝鮮は、明や清への朝貢体制を続けながら、500年以上も安定した政権を続けていました。この領土をめぐり、
が引き起こされます。日本は領土を拡大するために、まずこの朝鮮半島の侵略から始め、そして近隣諸国と対立するようになったのです。その後、1948年8月、南部で李承晩(いすんまん)を首班とする『大韓民国(韓国)』がアメリカの支援によって成立。これに対抗し、1948年9月、ソ連のスターリンが北方の平壌に赤軍を入城させ、金日成(きむいるそん)を首相に立て『朝鮮民主主義人民共和国』を建国。李氏朝鮮は二つの国に分かれました。
という形で、アメリカとソ連の対立構造に巻き込まれる形、あるいはそれを利用する形で、それぞれがそれぞれをバックにつけ、分裂したのです。
上記の記事の続きだ。こうして東南アジアは、列強諸国の代理戦争の場になったり、植民地支配の対象となり、戦争では散々な目に遭った。そして、日本もその『列強諸国』の内の一つ。ちなみに、日本の植民地は以下の通りだ。
日本の植民地
東南アジア諸国は含まれていない。だが、日本は戦争で東南アジア諸国にも大きな損害を与えた。したがって、その戦後処理で莫大な賠償金を支払って、戦後補償を行うことになった。
現在のお金にして実に35兆3540億円の戦争賠償金を、1976年まで支払い続けた。また、厳密にはこれらが『植民地』なのか『統治したエリア』なのか、そういうことまでは紐解いていないが、いずれつけ足していこう。
では、日本が統治(現段階ではこう言っておこう)した、その『李氏朝鮮(朝鮮半島)』はどうか。1392年に李成桂(りせいけい)が『李氏朝鮮』を建国し、朝鮮半島を掌握していた。李氏朝鮮は、明や清への朝貢体制を続けながら、500年以上も安定した政権を続けていた。19世紀になると李氏朝鮮は、古くから続いていた『華夷秩序(かいちつじょ)』を打破するべく、日本と同様に近代国家として独り立ちする動きが活発化していた。
日本は、1875年に江華島事件を機に朝鮮を開国させ、近代外交の主導者となり、日本が朝鮮の独立を約束した条件である『日朝修好条規』を結ぶ。つまり、日本は朝鮮の独立を応援するが、清はそれに反発するのである。今まで通り清が自分たちの属国であってほしいと思ったのだ。そして朝鮮内では、『親日派』と『親清派』に分かれて、対立してしまう。つまり、『日本と中国のどちらに付くか』ということが問題視されたのである。その後の詳細は下記の記事に書いた。
朝鮮への日本と清の態度
日本 | 朝鮮の独立を支援 |
清 | 朝鮮を支配下のままにしたい |
つまり、朝鮮半島をめぐって『日清戦争』が起きたわけだ。しかし、日本が『清』に勝ち、遼東半島を領土化した。しかしロシアは、フランスドイツとともに『三国干渉』で日本に圧力をかけ、遼東半島を清に返還させた。そんなロシアをよく思わなかった日本は、イギリスと『日英同盟』を結び、そこにアメリカも参入。日本とイギリスは、ロシアの勢力拡大を拒絶した。そしてそれが後の『日露戦争』に繋がっていく。
[ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている]
だが、第二次世界大戦の後、北緯38度線を境に、米ソによる分割を受ける。北はソ連、南はアメリカによって支配された。そして東西冷戦が進行する中、南北に分断されて、この2つの国が生まれたわけだ。『北朝鮮』と『韓国』である。
北 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
南 | 大韓民国 |
そして、彼らは彼らで『朝鮮戦争(1950年6月)』というものを起こしてしまう。
それぞれが、列強のバックアップを受けながら、一進一退を繰り返した。1953年に板門店で休戦協定が結ばれるが、実は韓国政府はこの協定に署名をしておらず、現在に至るまでこの『朝鮮戦争』は完全に終結したとは言えないのである。
[板門店:北側からの見学者(南側から撮影)]
その後、1956年以降の北朝鮮は、ソ連と中国の影響を排除し、北朝鮮独自の路線を歩もうと画策する。金日成と親族に対する崇拝が進み、反対派は粛正されるようになる。そして、個人の独裁を正当化するために、独自の社会主義理念『チュチェ思想(主体思想)』を掲げる。これによって、人民は絶対権威を持つ指導者に服従しなければならなくなった。
Newsweek2018年3月23日号にはこうある。
<平壌の政治の中心部の建物で政権打倒を呼び掛ける落書きが見つかり、北朝鮮は犯人探しや思想教育の徹底指示で大騒ぎになっている>
北朝鮮の首都・平壌で金正恩党委員長を批判する落書きが発見され、当局が捜査に乗り出した。平壌在住で中国を頻繁に訪れるデイリーNK内部情報筋によると、今月1日の午前4時頃、市内の4.25文化会館の建物の壁に金正恩氏を批判する落書きが発見された。当局は検問を強化し、保安署(警察署)は住民の筆跡調査にも乗り出した。北朝鮮において国家指導者は、公の場において言及する際には細心の注意を要するほど神聖不可侵のもので、批判したことがバレたら重罪は免れない。
(中略)北朝鮮の国民は、洗脳された「ロボット人間」ではない。制限されているとはいえ、海外の情報と接する機会も増えており、自分たちがどのような状況に置かれているかも知っている。だから、人々が金正恩体制に反感を募らせるのは当たり前なのだ。
参考
金正恩を倒せ!」落書き事件続発に北朝鮮が大慌てNewsweek
その後北朝鮮は、金正日(きむじょんいる)、金正恩(きむじょんうん)と続き、今も尚その独裁政権は続いている。
日本はというと、戦後にGHQによる占領下で復興を始める。
確かにタイは、東南アジア諸国で唯一独立を守り続けた奇跡の国だが、『アジア』で列強の支配と抗い、何ならその列強だったロシアを打ち砕いて戦争に勝った国であり、戦争に負けた後も『東洋の奇跡』と言われた奇跡の復興を見せた日本は、世界中から畏怖と称賛の目を向けられる国なのである。
ただ、下記の記事然り、そんな日本とてもちろん完ぺきではない。だからといってうぬぼれるようであれば、日本はこの世界の大海に沈んでしまうだろう。そしてそれはたまたま植民地化した国が自国近辺の地域に留まったというだけで、それらの地域からは日本は今も恨むべき対象となってしまっている。もし、日本が世界中を植民地化していれば、ヒトラーやスターリンのように、もっともっと悪い印象を持たれていただろう。
韓国は、『慰安婦問題』を取り上げ、今も日本に恨み節をよく吐いている。もちろん日本は悪いことは悪いというべきだ。それは日本に限らずすべての人間がそうなのである。だが実は、ベトナム戦争に派遣された韓国兵が現地で婦女暴行を繰り返した事実が存在するのだ。つまり、日本だけじゃなく、韓国兵も似たようなことをベトナムでやっている。
[韓国・アメリカ軍に捕えられた北朝鮮軍看護婦。捕えられた北朝鮮女性はレイプされたり強制的に慰安婦にさせられることもあった]
旧日本軍の慰安婦は仕事として兵士の相手を請け負っていた女性だが、韓国兵は一般の婦女子を襲っている。そして、そこで生まれた子供がベトナムで差別の対象となっていて、社会問題となっているというのだ。だからといって私は韓国のことを嫌いになるとか、そんなガキみたいなことは言うことはない。
この上にある画像も、『日本のWikipedia』にあったパブリックドメイン(著作権のない画像)だ。韓国には韓国に独自の情報があるだろうから、私の身近にある情報だけを妄信するつもりはない。『第二次世界大戦』のページには、『日本がアメリカ軍を撃破した写真』がたくさんあったが、それはこの国が日本だからだ。自分の国の勝利シーンを写真に収める、つまり、自分たちにとって都合のいいシーンだけをピックアップしようとするのは、別に国単位の話ではなく、人間自体がそういうものだ。
とにかく私が言いたいのは、下記の黄金律である。
オリエンタルラジオの中田敦彦さんがこのあたりの問題をまとめた人気動画があります。
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