いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.国号としてのイタリアの走りは476年にゲルマン人が西ローマ帝国を滅ぼして建国したときです。
2.ゲルマン人のアングロサクソン諸民族が、7世紀に『アングロサクソン七王国』を創ったあたりイングランドの始まりです。
3.987年に西フランク王国でカペー朝が成立し、『フランス王国』となりました。
4.東フランク王国が『神聖ローマ帝国』になり、そこから1861年にイタリアが独立し『ドイツ』になりました。
5.854年か859年にノルマン人が『ノヴゴロド国』を建国し、東スラヴ人(ロシア人)が『ノヴゴロド国』の人々と同化したあたりからです。
国の最初の話はとても複雑です。
例えばロシアの件なら『ソ連からロシアに変わったとき』なのか、『ロシア人の大元はどこか』なのかということでも話が変わります。イタリアで考えても、そのゲルマン人オドアケルの476年の『初代イタリア王』の話は本当ですし、現在の『イタリア共和国』の前段階の『イタリア王国』は、その前に『サルディーニャ王国』でした。更に見てみましょう。
こう考えるといつが『イタリアの初め』なのかが複雑になってきます。年号の最初と終わりも同じではありませんしね。挙げたヨーロッパの国々はも同じことが言えます。ただ一つ言えるのは、476年にのオドアケル(ゲルマン人)を筆頭に、
がローマに流入したことが、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、ロシアといった現在のヨーロッパにおける様々な国を作った起因だったということになります。
ヨーロッパ諸国の始まり
上記の記事の続きだ。中世ヨーロッパ時代(暗黒時代)が終わり、14世紀~16世紀はイタリアのフィレンツェを中心として、『ルネサンス(再生・復興)』時代に入ったわけだ。だがそもそも、
といった国が出てきたのはいつだろうか。確認してみよう。まず以下の記事では、史上初の世界帝国『アッシリア』と、その滅亡から学んだ大帝国『アケメネス朝ペルシャ』について見てきた。
[アケメネス朝の最大勢力域]
『ギリシャ、ペルシャ』と世界を支配したアレキサンダー大王、
ローマ帝国の英雄は『カエサル』と『アウグストゥス』、
そして『古代→中世』へと変わり、『ローマ』が終わって『イタリア』最初の王オドアケルが登場。
そして、ローマ帝国が東西に分裂。
ローマ帝国の分離によって分離したキリスト教
西ローマ帝国(神聖ローマ帝国) | カトリック |
東ローマ帝国(ビザンツ帝国) | 東方正教(ギリシャ正教、オーソドックス教会) |
カール大帝が死ぬと、フランク王国での相続争いによって、『ヴェルダン条約』、『メルセン条約』という2回の条約によって、
の3つに領土が分けられた。それがその後の、『フランス、イタリア、ドイツ』の原型となる。そして西フランク王国は、987年カペー朝が成立し、『フランス王国』となった。イタリアでは小王国や都市の分裂状態が続き、東フランクでは、国王のオットー1世が戦功を挙げ、962年にローマ教皇よりローマ帝国の帝冠を授けられた。これが、1806年まで続く『神聖ローマ帝国』の始まりとなるわけだ。
東フランク王国(神聖ローマ帝国) | ドイツ |
西フランク王国 | フランス |
イタリア | イタリア |
オドアケルは、ローマ帝国が滅亡した後の最初の王だから、『初代イタリア王』という称号を得ることになる。5世紀末に西方正帝が廃止されるとローマ皇帝ゼノンによってオドアケルがローマ帝国のイタリア領主(dux Italiae)に任命され、これが国号としてのイタリアの走りとなった。
オドアケルのようなゲルマン人やフランク人等の異民族がローマに入る。ゲルマン人たちの勢いは止まらなかった。それまで北西ヨーロッパに住んでいたケルト人や、ローマ帝国内のラテン人を圧迫しながら、次々とローマで建国し続けた。そして、『フランス』の語源となったフランク族、『イングランド』の語源となったアングロサクソンの諸民族もここに建国し始めた。
『イギリス』は、
を構成する4つの地域のこと。イギリスはこの地域全体で、『イングランド』は狭い範囲で国の名前だ。その『イングランド』の語源となったアングロサクソンだが、アングロサクソン七王国というものがあった。中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のことである。イングランド王国とは、は、927年のアングロ=サクソン七王国の一つウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家のことである。
アングロサクソン七王国
このうちのウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家のこと。
『第3回十字軍(1189年 – 1192年)』の十字軍の遠征では、
といった人物が戦いに参加しているわけだが、この頃はすでに『ローマ』ではなく『イギリス』等と呼んでいる。
最後のアングロ・サクソン系イングランド王ハロルド2世(在位:1066年)はイングランド王の地位を狙うノルマンディー公ギヨーム2世のノルマン軍を際どい所まで追い込みながらも2人の兄弟と共に戦死した。その後、サクソン貴族は反乱するが、ギヨーム2世に平定される。そしてそのギヨーム2世はがウェストミンスター寺院で戴冠、イングランド王ウィリアム1世となりノルマン朝を開いた。
これ以降、イギリス王は現在の王に至るまで、全員がもとをたどるとこのウィリアム1世に遡れることになる。
[1世紀のゲルマニア。スエビ人(おそらくケルト系が主)やヴァンダル人(おそらくスラヴ系が主)など、母語がゲルマン語派の言語かどうかが怪しまれている民族も含まれている。]
原始ゲルマン人は現在のデンマーク人、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人などの祖先となった。
先ほど、
という異民族がやってきて、もともとローマにいた、
をを圧迫しながら、次々とローマで建国し続けたと書いたが、このゲルマン人に続き、『第二次民族移動』ともいわれる『ノルマン人』の移動もあった。ノルマン人というのは『ヴァイキング』のこと。下記の記事に書いたように、このあたりにある北欧神話は、このヴァイキング(バイキング)を中心としたスカンジナビア地方の神話のことである。
下記の記事にも書いたが、ヴァイキング(ノルマン人)の一派の首長リューリクは、ノヴゴロド国という国を作った。ラドガとノヴゴロド(ホルムガルド)を支配してきたリューリクが、どのような人生を送ったかに関してはほとんど情報がないが、原住民を押さえてこの地方で覇権を握ったリューリク王朝は、16世紀まで続いた。
[ラドガに到着するリューリク(アポリナリー・ヴァスネツォフ画)]
このノルマン人が、ゲルマン人が切り崩したローマに更に新しい国を建国していくわけだ。
ノルマン人が作った国
ノルマンディー公国 | 北欧諸国、フランス北西部 |
両シチリア王国 | 南イタリア |
ノルマン朝 | イギリス |
ノヴゴロド国 | ロシア |
[12世紀にノルマン人が征服した地を赤で示す]
さて、これは西ヨーロッパの話だ。だが、西ヨーロッパをを支配したゲルマン人とちがって、東ヨーロッパは『スラヴ人』が中心となった。東スラヴ人と言われた人々は『ロシア人』となり、先にできていたノルマン系のノヴゴロド国の人々と同化していった。
スラヴ人はノルマン人の様に建国をしたというよりは、この後にこのあたりを支配する『オスマン帝国』の支配下に入った。
等のスラヴ系民族がいた。
スラヴ人が多数派を形成する国々
だが、wikipediaにはこうある。
東フランク王国は着々と力を蓄えて西ヨーロッパの中心となっていった。9世紀末には西ローマ帝国の盟主としてふるまい、10世紀中ごろにはオットー1世の皇帝即位とイタリア併合によって西ローマ帝国そのものとなった。その後約200年は西ヨーロッパ最強だった帝国だが、やがて衰えてイタリアを失い神聖ローマ帝国、そして現在のドイツとなった。
東フランク王国は『神聖ローマ帝国』になり、その後『ドイツ』になるわけだが、10世紀中ごろにイタリアを併合し、西ローマ帝国を取り戻す形になっている。その後イタリアが独立し、ドイツになったわけだ。
確かにオドアケルは、ローマ帝国が滅亡した後の最初の王だから、『初代イタリア王』という称号を得ることになる。西ローマ帝国は476年にゲルマン人傭兵隊長の彼の手によって滅ぼされた。だが『イタリア』というのは正式には、神聖ローマ帝国から離脱したときから始まったと考えられるだろう。このあたりは難しいところである。
例えば、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』にはこうある。
日本が二千年以上国家を営んできたことは世界史の奇蹟に違いない。その歴史がいかに長いかは、他の国と比較するとわかりやすい。日本に次いで長い歴史を持つ国はデンマークである。デンマークは建国から千数十年が経過したが、それでも日本の半分以下である。第三位は英国で千年にも満たない。中国に至ってはまだ六十年程度の歴史しかない。ロシアはソ連邦崩壊でできた新しい国である。
この本の著者によると、最も長く国家を営んできた国のランキングはこうなる。
しかし、『中国三千年の歴史』の話を真剣にする中国人もいるし、『国がいつからできたか』という考え方は、人によって意見が分かれそうなところである。ハッキリしている歴史もあれば、曖昧なものもあるので、そうなるとこれらヨーロッパの国々は大雑把に考えて『9世紀~10世紀』にできたと言えることになる。
とにかく、375年にアジア系遊牧民フン人の圧迫を契機にゲルマン人の大移動が始まり、ローマ帝国の国教をキリスト教と定め、ローマ帝国最後の皇帝となったテオドシウス1世が死に、彼の死後395年、ローマ帝国は東西に分裂し、476年にのオドアケル(ゲルマン人)を筆頭に、
がローマに流入したことが、
といった現在のヨーロッパにおける様々な国を作った起因だったということになるだろう。
では、スペインはどうか。スペインとポルトガルは隣国だった。カスティリャ王国とアラゴン王国という2つの国があったのだが、ここの王子と王女が結婚し、『スペイン王国』が成立した。それは1469年のことである。では、このスペインとポルトガルの最低限の情報がわかったところで、コロンブスたちが活躍する『大航海時代』の話を見てみよう。
[スペイン・ポルトガル同君連合(1580年–1640年)時代のスペイン帝国の版図(赤がスペイン領、青がポルトガル領)]
オリエンタルラジオの中田敦彦さんがイギリスの歴史をまとめた人気動画があります。
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