『カトリック』や『プロテスタント』らに分派することをイエスは望んだの?わかりやすく簡潔に教えて!
もちろん望まなかったでしょう。
そもそもキリスト教はイエスではなく、パウロが作ったものです。
更に、そのパウロは生前のイエスに会ったことはなく、興味もなかったといいます。そのパウロが作った『キリスト教』というのは一体どういう存在なのでしょうか。しかし、それがこの世界において最も多い信者を得ることになる宗教へと成長したのが事実なのです。ただ、その過程にあるこうした宗派の分裂や、それ同士の争いを肝心のイエスが望んだでしょうか。もちろん、望んでいません。そう考えると、『神(真理)は正しい。しかし、人間は間違える』ということになりますね。
宗教改革
上記の記事の続きだ。1500年頃のスペイン・ポルトガルの『大航海時代』について見てきた。次は同時代にドイツで起きた『宗教改革(1517年)』である。『ルター、カルバン、ツウィングリ』といった人物がキリスト教の腐敗に立ち向かい、新しい体制に改善しようと立ち上がったのである。
この件についての宗教的な流れについては下記の記事に書いたので、今回はもう少し俯瞰でこの歴史を見てみよう。
キリスト教が『カトリック』と『ギリシャ正教』に分かれた理由については下記の記事に書いた。要点を見てみよう。
ローマ帝国の分離によって分離したキリスト教
西ローマ帝国(神聖ローマ帝国) | カトリック |
東ローマ帝国(ビザンツ帝国) | 東方正教(ギリシャ正教、オーソドックス教会) |
ローマ帝国が東西に分かれたときに、キリスト教の解釈も変わったわけである。
そして更に、ルターら『プロテスタント(抗議する者)』の登場によって『プロテスタント』という新しい一派が誕生した。これでキリスト教は大きく分けて、
の3つに分かれることになる。また、先ほどの記事にも書いたが、英国では女性問題から宗教改革が行われた。ローマ法王から『カトリックの守護者』と称えられたヘンリー8世は、アン・ブーリンを愛するようになり、妻と離婚したかったが、カトリックでは離婚が認められなかった。そこでヘンリー8世は、ローマカトリックから分離し、『英国国教会(イギリス国教会)』を作ったのだ。
新しい宗派の共通点は、カトリックに対する根深い反感。やはりカトリックの越権行為は誰もが否定的な目を向ける。ただ、それだけの権力を持っているのがカトリックであり、ローマ法王だということだ。
ルターの『宗教改革』までの流れ
そんなカトリックだが、『対抗宗教改革』を起こしたり、『魔女狩り』をしたりして、黙ってばかりではなかった。しかし、更にその弾圧にプロテスタントらがヨーロッパ各地で猛反発し、『宗教戦争』が多発するようになってしまう。
しかし、弾圧ばかりじゃなく、カトリックもまともな布教活動は行った。『イエズス会』初代総長のイグナチオ・デ・ロヨラは、1534年にパリ大学の同志たち、フランシスコ・ザビエルらとともにモンマルトルで神に生涯を捧げる誓いを立て、イエズス会を結成。そして冒頭の記事に書いたように、日本へキリスト教を伝えにやってくるわけである。
ザビエルの時代から約30年後には、マテオ・リッチが中国でキリスト教伝道を成し遂げた。一年で100人しか信者が増えなかった日本と比べて、中国では高名な徐光啓(じょこうけい)の信頼を得て、彼を改宗させ、日本よりはキリスト教を広く布教することに成功した。
その後、ルイス・フロイスも1563年に長崎の横瀬浦に上陸し、1569年には織田信長と対面し、彼の信任を得て布教活動を行った。織田信長はキリスト教に寛容的だったわけだが、いずれも影響力の強い権力者を取り入れることの重要性がわかるワンシーンである。
しかし、冒頭の記事にも同じことを書いたように、この時代には『大航海時代』があった。この時代の彼らがやったことは、単なる自国への利益貢献と、世界を繋げただけではない。『地球が丸い』ことの証明により、実に1500年以上も信じられていたキリスト教の教えでもある『天動説』をひっくり返したことにより、その土台的根幹であるキリスト教自体の信憑性に、大きなヒビが入ることになってしまったのだ。
地球の周りを太陽が回っているという考え。
太陽の周りを地球が回っているという考え。
ガリレオとコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。
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しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、
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更には、地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかった。しかし、この時代の人間は、『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』。天動説を信じていたのはキリスト教徒だった。そのキリスト教がいくら覚悟を持った人間たちの手によって命がけで伝えられても、その教えのいくつかの中に『間違ったもの』があった場合、それはただただ虚しいばかりだ。
バックミンスター・フラーは言った。
神のみが完璧であり、まさしく真実そのものであることを感じる。それ以外の誤謬を徐々に排除していくことによって、われわれはこれまでより神に近づくことができるにすぎない。真実を愛することによって、われわれは神にもっとも近づくことができる。
ここで言う『神とは『真理、真実』と解釈すればわかりやすい。
では彼らがやったこと、彼らが命を懸けて戦い、守ったキリスト教、そして、ユダヤ教にイスラム教に仏教にヒンズー教に、その他すべての教えを信じる人々の存在。彼らはすべて、間違っているのだろうか。それとも、誰かだけが正しくて、誰かだけが間違っているのだろうか。その解釈の仕方によっては、この時代の歴史への評価は、大きく割れることになる。
そもそも、『キリスト教』を作ったのはイエスの弟子のパウロだ。そしてパウロは生きているイエスに会ったことは一度もない。そして、こうしてそのキリスト教なるものが『カトリック』や『プロテスタント』らに分派することを肝心のイエスは望んだのかだろうか。それらを巡って宗教戦争をしたり、あるいは自分の教えを思想の支配と、権力の乱用に使い、腐敗することをイエスは望んだのだろうか。
だが、『無宗教』で『両親がクリスチャン』の私が考えに考え抜いて見つけ出した以下の記事の解釈をすることによって、今私が提示したこれらすべての問題が解決するのだ。人は間違える。だが、『真理(愛・神)』だけは、なにものにも支配されずにそこに存在しているのである。
オリエンタルラジオの中田敦彦さんがこのあたりの時代をまとめた人気動画があります。
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