ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- 国連(国際連合)って何?
- 鉄のカーテンって何?
1.第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、国際平和と安全の維持の為に作られた連合体です。
2.ヨーロッパにおける資本主義国家と社会主義国家の境界線です。
ハニワくん
博士
『国連』を英語にすると『United Nations』で、これは大戦中の『連合国』という意味。
国際連合は、前段階である『国際連盟』のリニューアル強化版ですが、同時に『戦勝国による世界秩序』の始まりを強調するために用意された組織でもあります。戦勝国側の5大国、
- アメリカ
- ソ連
- イギリス
- フランス
- 中華民国
は安全保障理事会の『常任理事国』となり、『拒否権』という強い権限を持ち、戦争に負けた側の国は制裁を食らいました。
かつて、フランスとイギリスがこの世界の覇権をかけて争った時代がありましたが、この時代になるとその覇権争いは『アメリカ、ソ連』の間で行われるようになります。アメリカ対ソ連というのは(資本主義国家)対(社会主義国家)を意味し、『考え方の違い』でこの世界はまた大きな衝突を予期することになります。
1946年、イギリスの首相チャーチルはクルトン演説で、
『バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが降ろされた。』
とソ連を非難します。そして1947年、アメリカの大統領トルーマンが『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれる演説を行います。
『ギリシャとトルコが共産主義勢力に脅かされています。軍事援助をしなければ世界はドミノ倒しのように共産主義に染まってしまう。自由諸国を支援するのはアメリカの使命です。』
これによってアメリカはギリシャとトルコへの支援を表明し、アメリカとソ連は対立することになりました。ここから『冷戦』が始まってしまいます。
博士
ハニワくん
先生
第二次世界大戦終了後
『国際連合』『冷戦』
上記の記事の続きだ。1945年、ベルリンを包囲されたヒトラーは自殺し、翌年5月にドイツは無条件降伏。1945年8月14日に日本が『ポツダム宣言』を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結した。戦争に勝ったのは『連合軍』だった。
枢軸国
ナチス・ドイツ | ヒトラー |
日本 | 東条英機 |
イタリア | ムッソリーニ |
連合国
イギリス | チャーチル |
フランス | ド・ゴール |
アメリカ | フランクリン・ルーズベルト |
ソ連 | スターリン |
中国 | 蒋介石 |
ルーズベルトからトルーマンへ
当時のアメリカ合衆国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトは、1945年4月12日に肖像画の作成途中で亡くなった。戦争が終わる4か月前だった。その後、33代大統領になったのはトルーマン。彼がこの後、第二次世界大戦で共闘したソ連とひと悶着起こすことになる。
[ハリー・S・トルーマン]
資本主義国家のアメリカ、社会主義国家のソ連
そもそも、資本主義国家のアメリカと、社会主義国家のソ連とでは、思想的に大きな違いがあった。ヒトラーやムッソリーニも、同じファシズム思想という形でくっついた関係だったわけで、人というものは基本的に、考え方が似た者同士でくっつくのが相場だ。ここにある考え方の差異は、やはり問題となってしまった。
さて、ここでもう一度ヨーロッパの覇権をまとめなおしてみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
そしてこの後だ。規模もヨーロッパから『世界』へと変え、まとめ方は『世界で強い勢力を持った国』とする。
17世紀のイギリス以降世界で強い勢力を持った国
もはや、かつてのようにどこかの国一つが帝国を作ったり、世界を制覇したりするというような図式はなくなった。ヒトラー率いるナチス・ドイツがそれを成し遂げようとしたかもしれないが、それは連合国によって潰されたのである。
国際連合設立
国際連合は、第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年10月24日、51ヵ国の加盟国で設立された。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。『国連』を英語にすると『United Nations』で、これは大戦中の『連合国』という意味。戦争の終結は、『戦勝国による世界秩序』の始まりを意味していたのである。
19世紀後半のこのヨーロッパの国際秩序は、影響力のあったドイツ(ビスマルク)の名が取られ『ビスマルク体制』と呼ばれていたが、パリ講和会議の後のヨーロッパの国際体制は『ヴェルサイユ体制』と言われ、1920年代の国際秩序の基盤となった。そして次は『戦勝国による世界秩序』だ。そう考えると、どこかの国が、たとえばナチス・ドイツのような独裁国家の暴走を許すというリスクはないし、戦争に負けた国がリードしては世界中の人が納得しないから、これは妥当な決定だっただろう。
ようやく世界が『世界平和』という一つの理想に目を向けられるようになり始めた!『国際連盟』の誕生
その後戦勝国側の5大国、
- アメリカ
- ソ連
- イギリス
- フランス
- 中華民国
は安全保障理事会の『常任理事国』となり、『拒否権』という強い権限を持ち、戦争に負けた側の国は制裁を食らった。
国連に加入が認められなかった期間
日本 | 11年間 |
イタリア | 10年間 |
ドイツ | 28年間 |
『国際連盟』時代の失敗を生かし、『国際連合』は、
- 安全保障理事会の11か国(のち15か国)で決まればそれが国連の決定となる
- ※実際は常任理事国の5か国の合意があれば決まる
- 軍事制裁に国連軍を使用できる
として、意思決定の迅速、そして軍事力の設備を可能にした。『国際連盟』で戦争を防げなかったのだから、次こそはこの団体が世界平和の貢献のために役に立とうと考えたのだ。こうしてこの世界は連合国が主導権を握ることになった。
世界大国となったアメリカ
しかし、前述した連合国の中で、最も力を持った国を挙げるとなると、それは『アメリカ』だった。
アメリカは、
- 第一次世界大戦
- 第二次世界大戦
において自国を戦場にしないで済み、そして戦勝国側にいた。今、『アメリカは戦争に勝った国』という印象があるが、戦争にも勝ち、経済その他の面でも成功を収めたので、この国が世界のリーダーという状態が存在しているのである。
ちなみに2018年のGDPはこうなっている。
参考
世界の名目GDP(USドル)ランキング世界経済のネタ帳
国内総生産。つまり、国内で産み出された付加価値の総額。トヨタ車を1億台売って、大金を得たとか。
鉄のカーテン
さて、冒頭に書いた『資本主義国家 対 社会主義国家』を思い出しながら、今回のテーマのカギを握る国と、その国のトップをまとめてみよう。
アメリカ | トルーマン(1945年4月12日 – 1953年1月20日) |
ソ連 | スターリン(1922年4月3日 – 1953年3月5日) |
イギリス | チャーチル(1911年10月23日 – 1915年5月26日、1951年10月26日 – 1955年4月5日) |
かつて、フランスとイギリスがこの世界の覇権をかけて争った時代があった。だがこの時代になると、その覇権争いは『アメリカ、ソ連』の間で行われるようになる。
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1946年、チャーチルはクルトン演説で、
『バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが降ろされた。』
とソ連を非難した。
冷戦時代のヨーロッパにおいて東西両陣営の緊張状態を表すために用いられた比喩。
そして1947年、トルーマンが『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれる演説を行う。
『ギリシャとトルコが共産主義勢力に脅かされています。軍事援助をしなければ世界はドミノ倒しのように共産主義に染まってしまう。自由諸国を支援するのはアメリカの使命です。』
これによってアメリカはギリシャとトルコへの支援を表明し、アメリカとソ連は対立することになった。『冷戦』の始まりである。冷戦の起源の解釈はいろいろあって、1905年のロシア革命からその芽が誕生していたという見方もあるし、このトルーマンの演説から、あるいは、1949年にソ連が核兵器の保有を宣言したことで、『2つの超大国が核兵器という甚大な力を持ちながらも、直接の戦争はしないが、にらみ合う』という状況が生まれたことで『冷戦』が始まったという解釈もある。
しかしとにかく『第二次世界大戦』の次に現れたこの世界のトラブルは、ソ連・アメリカ間の『冷戦』だった。
[鉄のカーテン(ただし、東ドイツ発足後のためシュテッティンが境ではない)]
- 青:資本主義国家
- 赤:社会主義国家
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