いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.ソ連の欧州への影響力を排除するための、アメリカによる欧州経済の計画です。
2.アメリカに対抗した、ソ連による東ヨーロッパの支配を意図した国際共産主義運動です。
3.直接戦争はしないものの、水面下で確実に戦争状態となったアメリカとソ連の状況です。
第二次世界大戦後はこのアメリカとソ連の『冷戦』が世界的な問題でした。
核保有国である両国は、日本が核爆弾を落とされた事例を目にしていて、そう簡単には核爆弾を使いたくないと考えます。核爆弾を使った戦争を起こしたら今度こそ世界は終わるからです。しかし、核保有国が戦争をしたなら、どちらかが戦況を有利にするために核爆弾を使う可能性がとても高くなります。ですから、第二次世界大戦以降の核保有国同士の戦争というのは、そう簡単には全面戦争を起こさず、『牽制』や『代理戦争』に留まるのが相場となりました。
資本アメリカ『マーシャル=プラン』 | 社会ソ連『コミンフォルム』 |
社会ソ連『ベルリン封鎖』 | 資本アメリカ『ベルリン空輸』 |
資本アメリカ『NATO結成』 | 社会ソ連『COMECON結成』 |
資本アメリカ『韓国支援』 | 社会ソ連『北朝鮮支援』 |
資本アメリカ『日米安全保障条約、SEATO、ANZUS結成』 | 社会ソ連『ワルシャワ条約機構結成』 |
その後の米ソは、いたるところで水面下の戦争をし続け、この世界の主導権を争いました。そしてこの後、『ベトナム戦争』、『キューバ危機』等のさらなる問題を引き起こし、冷戦はクライマックスを迎えます。
Contents|目次
『冷戦』
上記の記事の続きだ。1946年、イギリスのチャーチルがクルトン演説、そして1947年、アメリカのトルーマンが『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれる演説を行い、アメリカはギリシャとトルコへの支援を表明し、アメリカとソ連は対立することになった。『冷戦』の始まりである。チャーチルの演説で『鉄のカーテン』がヨーロッパに敷かれていることが明言され、資本主義陣営VS社会主義陣営の国がそのラインで分かれていることが問題視された。
冷戦時代のヨーロッパにおいて東西両陣営の緊張状態を表すために用いられた比喩。
資本主義側としては、ソ連のような社会主義陣営が勢いを上げるのは面倒なことだ。したがって、まず、1947年に米国務長官マーシャルが、ソ連の欧州への影響力を排除するため、アメリカによる欧州経済の計画『マーシャル=プラン』を発表。しかし、それに対抗してソ連も東ヨーロッパの支配を意図して『コミンフォルム(共産党情報局)』を結成。これでヨーロッパの東西分裂は確実なものになった。『鉄のカーテン』が更に真実味を帯びてしまったのである。
[マーシャル・プランに基づく援助物資を識別するために使用されたロゴ。「欧州復興のため、アメリカ合衆国により供給」と記されている。]
ヨーロッパの取り込み対策
アメリカ(資本主義陣営) | マーシャル=プラン |
ソ連(社会主義陣営) | コミンフォルム |
1949年、連合国の分割占領を受けていたドイツは、東西に分割された。ドイツは敗戦によって4つの土地に分けられ、
がそれを分割して占領していた。
[連合国各国に分割占領されたドイツ]
ソ連以外は資本主義国家なので、ドイツはこの冷戦の影響を顕著に受けたわけである。特にベルリンの西側地域は、ソ連の中に浮かぶアメリカの浮島のようになっていて、その対応に困った。
[ソ連占領地域内にある首都ベルリンは、別途4か国で分割占領された]
1948年4月1日に、ソ連軍政当局は西ベルリンへ向かう人員や貨物について検問を強行し、西ベルリンへの物資搬入にも制限がかけられた。さらに、5月にソ連が6月24日に東側領域において『通貨改革』を実施することを宣言。すると、すかさず西側も6月20日より西側領域(西ドイツ、西ベルリン)でも『通貨改革』を実施すると公表した。この結果、マーシャルプランに保障される西側通貨(マルクB、ドイツマルク)が力を持つようになり、西側の通貨の価値は高騰し、東側の通貨改革は失敗することとなった。
そこでソ連は、『ベルリン封鎖』を実行する。東ドイツの中の浮島である西ベルリンの鉄道や道路を遮断し、エルベ川と運河を経由した船舶輸送も停止され、西ドイツとの間を結んでいた4本のアウトバーンも閉鎖され、国境の検問所にはバリケードが設置されて物流を完全に停止させた。東ドイツから送電している電気の供給も停止させた。
つまりソ連率いる東ドイツ側は、ベルリンを封鎖することで『東ドイツの中にある西ベルリン』を陸の孤島化させて『兵糧攻め』をし、200万人近くいる市民を生活困難に陥らせて白旗を上げさせる作戦に出たのだ。さらに政治宣伝を行い、西ベルリン市民の取り込みを図った。ソ連側は、物資不足に反発した西ベルリン市民が、
と主張し、暴動やストライキを発生させ、社会主義革命が発生することを期待し、西側に西ベルリンの支配を放棄させることを狙っていた。
では、西ベルリンの人々は一体どの選択肢を選んだのだろうか。
実は、彼らが取った選択肢はこの中にはなかった。実は、東ドイツから兵糧攻めに遭った陸の孤島、西ベルリンに、アメリカが空中から物資を運び、バックアップをしたのだ。その結果200万人もいた彼ら市民は、1年間も飢えをしのぐことができ、時間稼ぎができた。『ベルリン空輸』である。
[西ベルリンのテンペルホーフ空港に物資を空輸してきた輸送機を見上げるベルリン市民]
それを成し遂げるだけの財力がアメリカにはあった。ソ連はその圧倒的な力を前にしては、折れて封鎖の解除をするしかなかった。そしてベルリン封鎖後、ドイツの分裂は決定的となり、1949年、
は別の国と化した。
同年、アメリカと西欧諸国は、集団安全保障同盟である『北大西洋条約機構(NATO)』を結成し、ソ連も対抗して『経済相互援助会議(COMECON)』を結成。欧州の東西対立が、双方の軍事同盟にまで発展したのである。
ソ連は東ヨーロッパを親ソ的な国にしようとしたのは、第二次世界大戦の影響だった。『独ソ戦』で甚大な被害を受けたソ連は、自分の国の周辺諸国を取り込んでおけば、次にあり得る被害の低減が可能になると考えたのだ。
ソ連の周りを社会主義国家にすれば、親ソ的な国が増え、次の被害は抑えられるぞ
ということだったのである。そして、アメリカ率いる資本主義陣営が、
ソ連がこれ以上社会主義国家を増やしたら、脅威になるぞ
と考え、それを抑えようとして『冷戦』は始まったのだ。その中でこうした『ドイツの東西分割』騒動もあったということである。
そしてベルリン封鎖事件の後にも、まだまだ問題は起こった。下記の記事に書いたように、朝鮮半島をめぐって『日清戦争(1894年~1895年)』が起きたわけだ。結果は日本が『清』に勝ち、朝鮮は日本の植民地となった。
[ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている]
だが、第二次世界大戦の後、北緯38度線を境に、米ソによる分割を受ける。北はソ連、南はアメリカによって支配された。そして東西冷戦が進行する中、南北に分断されて、この2つの国が生まれたわけだ。『北朝鮮』と『韓国』である。
北 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
南 | 大韓民国 |
そして、彼らは彼らで『朝鮮戦争(1950年6月)』というものを起こしてしまう。
つまりこういうことだ。
地域 | 国名 | 首班・首相 | 支援者 |
北 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 金日成 | スターリン(ソ連) |
南 | 大韓民国 | 李承晩 | アメリカ |
この朝鮮半島の分裂による『朝鮮戦争』の背後には、ソ連とアメリカがいた。ここにも冷戦の影響が及んでいたということだったのである。
アメリカ側はこの戦中、戦後に、
という軍事同盟を作り、ソ連側も1955年に『ワルシャワ条約機構』を結成した。ますますソ連側とアメリカ側の力は膨らむ一方となり、いつまでも彼らは対立し続けた。
そんな最中の1953年、社会主義陣営のトップもある、ソ連の独裁者スターリンが死去する。これによって事態は大きく急変することになる。
オリエンタルラジオの中田敦彦さんがこのあたりの時代をまとめた人気動画があります。
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