いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
1.他の戦勝国が戦場と化しダメージを負い、植民地も失い、アメリカに経済的な借りがあったからです。
2.アメリカの支援に頼らずに独立し始めたヨーロッパの連合体です。
3.EUを東ヨーロッパに発展拡大したときに、東ヨーロッパのボス『ロシア』との支配下争いが勃発し、あわや『新冷戦』となりました。
かつてのフランスやイギリスにあったのは『植民地』という『違法行為スレスレ』の上に成り立つ栄光でした。
人間は歴史と共に進歩し、差別などはいまだに根付いたままですが、一歩ずつ『正しい道』へと進んでいます。植民地として人が人を支配する行為は第二次世界大戦を期に終焉を迎えました。そして、それと同時にその上に成り立っていた栄光も消え、かつての強国イギリス、フランスといった国の国力は低下します。それと同時に、戦場のダメージ、アメリカへの借金等も加わります。アメリカは、
という2つの理由でこの世界の覇権を獲りました。この状況を打破するためには、ヨーロッパがまとまることが必要です。西ヨーロッパ諸国の人々は、
長い間ライバル関係にあるフランスとドイツが対立せず、経済協力することが大切だ
と考え、1952年、『普仏戦争』以来の仇敵だったフランスとドイツが手を組む歴史的和解が行われました。そこから次々と新しい連合体が誕生し、ヨーロッパが一枚岩となり結束し始めます。
1952年 | ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC) |
1958年 | ヨーロッパ経済共同体(EEC) |
1958年 | ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM) |
1970年 | ヨーロッパ共同体(EC) |
1993年 | ヨーロッパ連合(EU) |
しかし、
等の問題がEU内を混乱させ、2016年、イギリスで国民投票が行われたときには『EU離脱派』が僅差で勝利してしまいました。EUの行方が心配されています。
『アメリカ一強』(パクス・アメリカーナ)時代
『ベルリンの壁・ソ連崩壊』
上記の記事の続きだ。ソ連が崩壊し、こうして世界は『アメリカ一強』時代に突入する。では、かつて世界をけん引していたヨーロッパはどうなってしまっただろうか。ここでもう一度ヨーロッパの覇権をまとめなおしてみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
そしてこの後だ。規模もヨーロッパから『世界』へと変え、まとめ方は『世界で強い勢力を持った国』とする。
17世紀のイギリス以降世界で強い勢力を持った国
これが最新にして、現在進行形の一覧表だ。この世界は世界初の帝国を作ったアッシリア、それに続いたペルシャ、マケドニア、ローマ帝国として常にヨーロッパが覇権を撮り続けてきた。彼らに特別な力があったわけではなく、ただ『野心』があったからだったり、隣国に攻めやすい等の『環境』の理由もあっただろう。その証拠に、環境的に攻めづらい地域は、長い間安穏とした日々が続いた歴史が存在している。
そして1990年代に入ってソ連が崩壊して『ロシア連邦』になり一時的に力を失ったことにより、世界はアメリカの一強となった。では、なぜ第二次世界大戦の戦勝国である『連合軍』のイギリスやフランスは力を失ったのか。ドイツは敗戦国だからまだしも、ナポレオンがいたフランス、エリザベス女王やヴィクトリア女王がいたイギリスはどうなってしまったのか。
実は、それらの国が力を失ったのには2つの大きな理由がある。それが、
というものである。今までの歴史を見てわかるように、スペインもフランスもイギリスも『植民地』という大きな収入源があったから栄えることができていたのだ。しかし、その植民地化された国々が、戦争の影響と、ガンジーやホー・チ・ミンといった数々の勇気ある偉人たちの奮起、そして時代の流れによって独立したのだ。したがって、それまでその、ある種の『違法行為スレスレの収入源』から富を得ていた国々は、その土台の崩壊とともに崩れ落ちることになったのである。
確かに上記の黄金律にあるように基礎・土台作りは何よりも重要である。しかし、彼らが作ってしまったのは『砂の上』。かつて世界を獲った『と思われていた』国々は結局、『砂上の楼閣』だった。それがついに露呈してしまったのである。
そこでフランスやイギリス、ドイツがある西ヨーロッパは、アメリカの支援を頼ることにした。下記の記事に書いたように、1947年に米国務長官マーシャルが、ソ連の欧州への影響力を排除するため、アメリカによる欧州経済の計画『マーシャル=プラン』を発表していた。西ヨーロッパは、その経済支援に頼ることにしたのだ。更に、『NATO(北大西洋条約機構)』への加盟をしたりして、アメリカと協力して生きることを決めた。
[マーシャル・プランに基づく援助物資を識別するために使用されたロゴ。「欧州復興のため、アメリカ合衆国により供給」と記されている。]
北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(=アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟。
特に西ヨーロッパ諸国の人々は、
長い間ライバル関係にあるフランスとドイツが対立せず、経済協力することが大切だ
と考えた。フランスの政治家、ロベール=シューマンは欧州統合と独仏の和解と共存を強く願う人物の一人で、彼が外相時代、1950年に『シューマン・プラン』を提唱。
[外相時代のシューマン(1949年8月)]
そして1952年、『普仏戦争』以来の仇敵だったフランスとドイツが手を組む歴史的和解が行われた。
そして『ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)』が結成され、そこにベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)とイタリアも加盟。そこから次々と新しい連合体が誕生し、ヨーロッパが一枚岩となり結束し始めた。
1952年 | ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC) |
1958年 | ヨーロッパ経済共同体(EEC) |
1958年 | ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM) |
しかし、まだイギリスだけは意地を張っていた。『英国病』とも言える彼らには妙なプライドがあり、かつて競い合ったフランスやドイツと手を組むことに抵抗を覚えていたのだ。しかし、経済的にきつくなって『ヨーロッパ経済共同体(EEC)』に加盟を申請するが、フランスの大統領シャルル・ド・ゴールに拒否され、ここでちょっとした確執が発生。
[シャルル・ド・ゴール]
ド・ゴールは少しずつアメリカの支援に頼らずに独立し始めたヨーロッパの連合体に誇りを持っていて、アメリカ側に近かったイギリスを受け入れなかったのだ。だが、彼が死去してイギリスはようやく連合体に加わることになった。ド・ゴールが亡くなった1970年には、すでに前述した3つのヨーロッパ共同体は、『ヨーロッパ共同体(EC)』としてまとまっていた。したがって、イギリスが加盟したのはこのECということになる。3つの共同体は1967年から運営機関が同一のものとなり、冷戦期において西側経済圏を代表する国際機構の一つとなった。
更にこのECが、1993年に共通通貨の導入や外交面での統合などを定めた『マーストリヒト条約』が発効し、『ヨーロッパ連合(EU)』になる。2019年8月現在は、28か国がこれに加盟している。東ヨーロッパにも発展拡大されたのだ。
こうしてヨーロッパは連合体を組むことでその身を固めることに成功した。しかし、世界にできたのは『欧州連合(EU)』だけではない。前述した記事にも書いたが、東南アジア諸国10か国は『ASEAN(東南アジア諸国連合)』に加盟していて、EU連合やNAFTA(北米自由貿易協定)よりも多い人口をとなっている(約6億人)。だがそう考えると、連合体を組まずに運営が維持できているアメリカその他の国は、国力としてとても優秀だということになる。
EUには色々と問題もある。2005年、フランスとオランダの国民投票により、欧州憲法条約の批准が拒否され、統合は一時的に停滞。また、東ヨーロッパに発展拡大されたときには、東ヨーロッパのボス、『ロシア』との支配下争いが勃発し、あわや『新冷戦』とも言える状況が勃発した。
2010年、ギリシャが経済破綻し、世界的な経済の混乱があった。これを支援するためにEUはギリシャに金融支援を行うが、緊縮財政によって財政を健全化するよう求める。しかし、ギリシャはその政策への不満が、そしてEUの豊かな国では税金がギリシャに使われることへの不満が出るようになり、EU内での経済格差に疑問を覚える人が出てくるようになった。
おい。このままじゃ俺らがあいつらを食わしてるみたいじゃないかよ!そんなことに税金が使われるのか…
そう考えてしまう人も出てきたということである。
[2011年3月29日にアテネで行われた、緊縮財政の反対デモ。主催者発表では、10万人が参加したとされる。]
更に2014年、ウクライナで『親EU』VS『親ロシア』の内戦が勃発。ロシア軍が介入する事態へと発展した。結果、クリミア半島では住民投票でロシアへの編入が決まったが、これが『EU』VS『ロシア』の代理戦争とも言え、ここの問題はいまだ未解決状態である。
かつて、ベトナム戦争が『資本主義アメリカ』VS『社会主義ソ連』の代理戦争の場だと言われ、直接は戦争しないが、確かに水面下で衝突しているという事態があり、それを『冷戦』と表現した。したがって、このEUとロシアの構図が『新冷戦』と言われているわけである。更に、
等の問題がEU内を混乱させる。また、東ヨーロッパの国々から出稼ぎする人が『EUの豊かな国』に続出するようになり、彼らの生活にもヒビが入り始める。そして2016年、イギリスで国民投票が行われ、『EU離脱派』が僅差で勝利した。EUの行方が心配されている。
ヨーロッパの記事はこれで終わりだ。今後、歴史が刻まれたら追記していこう。
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