なぜインディアンはインド人じゃないのにそう呼ばれているの?わかりやすく簡潔に教えて!
コロンブスが発見した島を『インド』だと思い込んでしまい、その先住民を『インディオ』と呼んだのが理由です。
インディオ(スペイン語)、インディアン(英語)。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したときには、すでにそこには先住民が文明を築いていました。スペイン人のコロンブスはこの島を『インド』だと思い込んでしまい、その先住民を『インディオ』と呼んでしまいます。これによってアメリカ先住民は、以来『インディオ』と呼ばれるようになりました。
1492年に出航したコロンブスは『アメリカ大陸の一部』を発見。全体を一つの島だと認識して見つけたのはイタリアのアメリゴ・ヴェスプッチです。彼の名をとって『アメリカ大陸』となりました。ちなみに『コロンビア』はコロンブスの名をとってつけられました。アメリカが『アメリゴの土地』を意味し、コロンビアは『コロンの土地』を意味します。『アメリカ大陸の発見者』と言えば、通常この二人が筆頭に挙げられます。
『インカ・アステカ王国の滅亡』
上記の記事の続きだ。上記の記事に、四大文明の他の文明、アメリカ大陸にあった2つの巨大文明について書いた。
である。そのマヤ文明を押さえてあたり一帯を統一したのが『アステカ王国』である。14~16世紀にメキシコ高原に成立したアステカ王国は、アステカ文字を使用する軍事国家だった。また、アンデス山脈一帯にも、
が発展したが、15~16世紀にケチュア族によってインカ帝国が興る。『メソアメリカ』といわれるマヤ、アステカの文明は、『石器』を中心とした文化を持っていた。彼らは、ピラミッド建築に長けていたり、マチュピチュ遺跡を作り上げるなどして、独自の高度な技術を持っていた。
[『インカの失われた都』マチュ・ピチュの風景]
メソアメリカ文明が繁栄した地域で興った文明
メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。
そして時代は上記の記事の15世紀に突入する。
大航海時代を先導したスペインとポルトガルは、1494年にローマ教皇の仲介で『トルデシリャス条約』、『サラゴサ条約』を結び、勢力圏が取り決められた。そして、アジア方面はポルトガル、現ブラジルを除くアメリカ大陸はスペインの勢力圏として認められた。
トルデシリャス条約等によって決められた勢力圏
アジア方面 | ポルトガル |
現ブラジルを除くアメリカ大陸 | スペイン |
彼らは『早い者勝ち』の大航海時代で、我先に船でもって外国に進出し、世界史上まだ誰もしたことがない『他の島への侵攻』をしたのだ。それまでは様々な帝国が陸続きの国々を支配していたが、こうした試みはこの時が初めてだった。ではここで、ヨーロッパの覇権の推移を見てみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
このように、オランダが『オランダ独立戦争』で勝つまでは、この時代は『スペイン帝国』が世界の覇権を握っていた。
[スペイン・ポルトガル同君連合(1580年–1640年)時代のスペイン帝国の版図(赤がスペイン領、青がポルトガル領)]
といっても、正直『奇襲』的なところがある。つまり、この時代の人は『船で違う大陸を目指してそこを征服する』という考え方を持っていないわけだ。ヨーロッパ大陸の様に、はるか昔から隣国同士で争いあってきたような地域はまだしも、例えば日本のような島国はその地理的環境から、他国が侵入するというケースがないわけだ。
また、この時代はまだ『地球平面説』が浸透していた。つまり、地球は丸くなく、そして、太陽が地球の周りを回っているという『天動説』が信じられていたのだ。したがって、
船で遠くへ行くと戻ってこれない
と考える人もいたわけで、そういう知識不足もこの時代までの人々を『鎖国』的な考え方にしていた。
そして1519年、スペイン王カルロス1世の命を受けたマゼランは、香辛料の特産地であるモルッカ諸島を目指し、西回りの大航海に出た。その途中、南アメリカ南端の海峡を発見。南太平洋を横切り、グアム島、フィリピンに達した。マゼランはこの地で原住民と戦って亡くなってしまうが、生存者はアフリカ経由でスペインに帰還することに成功し、太平洋横断、つまり『地球球体説』を実証したのである。
それでようやく地球が丸いことがわかり、遠くに行っても、そのまま進み続ければ同じ場所に帰ってこれるという物理的な知識を得たのである。フランスの小説家でノーベル賞をとったジードは言った。
この大航海時代にコロンブス達がやったことは、とても勇気のあることでもあったのである。したがって、『命知らずの航海者たち』として歴史に名を刻む人もまだまだ大勢いる。
フィレンツェのアメリゴ・ヴェスプッチは、ブラジル沿岸を探検し、そこがアジアでないことを確信。ヨーロッパ人にとって未達の地であることが認められ、この大陸は彼の名をもじって『アメリカ』と呼ばれた。
ジェノヴァのジョン・カボットは、52日間の航海をし、北東岸のケープブレトン島に到達し、そこからさらに北上し、2つの小さな島ニューファンドランドに到達。ポルトガルのバルトロメウ・ディアスは、暴風により漂流する間にアフリカ最南端を通過。イギリスのジョン・スミスは、ジェームズ川の河口から約50キロさかのぼった北岸の半島に到着。そこを『ジェームズタウン』と名付けた。
イギリスのリチャード・チャンセラーはノルウェー沖で荒らしに遭いながらも北東航路の開拓をし、ドレークはイギリス人としてはじめて世界周航に成功し、『ナイト』に叙される。ウォルター・ローリーは1584年に北米探検を行い、『処女王』エリザベス女王にちなんで、その地を『ヴァージニア』と名付けた。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したときには、すでにそこには先住民が文明を築いていた。コロンブスはこの島を『インド』だと思い込んでしまい、その先住民を『インディオ』と呼んでしまう。これによってアメリカ先住民は、以来『インディオ』と呼ばれるようになった。
そこへ、スペインの『コンキスタドール』がやってくる。最も有名なのは、コルテスとピサロである。
[エルナン・コルテス]
スペイン語で「征服者」を意味するが、とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。
スペインの貴族であるコルテスは、1519年にハバナを出て、アステカ王国の首都テノチティトランに入る。一度は戦いに敗れるが、1521年にもういちど再占領し、アステカ王国を滅ぼした。また、1531年にはスペインの軍人ピサロがインカ帝国の内乱状態に乗じて乗り込み、1533年にはインカを滅ぼし、占領した。
[フランシスコ・ピサロ]
だが、現在のペルー人は、インディオはもちろん、混血であるメスティーソの多くも自らのルーツを彼らスペイン人ではなく『インカ人』ととらえており、ピサロは『先祖が築いたインカ文明を破壊した人物』という認識をもっている。
それはそうだろう。例えば、コルテスに関しての情報をwikipediaで見てみよう。
コルテスはアステカ帝国を支配、そしてアステカ文明を完膚なきまでに粉砕し、その文化に全く理解を及ぼさなかった。また、コルテスはキリスト教徒、それも敬虔なるカトリック信徒であったがために、インディオの社会が持っていた人身供犠などの「野蛮」とされる側面のみをあげつらい、インディオの習慣を廃止させようとしたとの意見を言う者もある。
事実、彼らは征服先で黄金を略奪し、インディオの大量虐殺を行った。そして多くのインディオ女性を強姦し、さらには征服が一段落したのちは征服者としての政治的経済的な力でこれまた多くのインディオ女性を妾として所有した。コルテス自身も、インディオ女性のマリンチェを妾として寵愛し、彼女との間に生まれた子供にマルティンと名付けており、現在も子孫がメキシコにいる。
確かにこの『人身供犠』というのはひどい。マヤ文明を忠実に再現しようとした映画『アポカリプト』でもその描写が見られるが、見ればわかる。その信ぴょう性はともかく、きっと本当に、こういう形で生贄が捧げられていたのだというイメージにとても役立つ映画となるだろう。
この映画では、女性が強姦されたり、人が奴隷や売買目的の『所有物』として扱われる様が見られるが、映画ではスペイン人ではなく、同じ島の民族同士でそれが行われていたので、コルテスやピサロといったスペイン人だけが鬼畜のような人間だったのではなく、時代の風潮的に、それが当たり前だったのかもしれない。
[生贄の儀式。石器のナイフで胸を裂き、心臓を取り出す]
メソアメリカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の新鮮な心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。映画ではこのあたりのイメージを見ることができる。
だが、どちらにせよ『準備をしていない状態』のところに、全く知らない民族が船に乗ってやってきて、見たことのない銃器や武器を持っていて、奇襲攻撃を仕掛けてきて、それで制圧して今までの生活や文化をすべて叩き壊され、その後、鉱山や大農園での労働力として酷使されれば、そりゃあ誰だって彼らのことを良くは言えないだろう。
[バルトロメ・デ・ラス・カサス]
スペイン人の聖職者であったラス・カサスは、このようなコンキスタドールの行為を非難した。「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えつづけた。先住民を奴隷化する労働権利を植民者に与える『エンコミエンダ』という統治制度があったのだが、これを批判し、アメリカ大陸の先住民にも、スペイン人と同等の扱いを受ける必要があると主張した。
しかしとにかく、
といった、四大文明とは別でアメリカ大陸で『密かに』栄えていた文明は、こうして大航海時代の『コンキスタドール』たちによって征服され、滅亡したのである。ちなみに、アステカには神話があって、彼らはコルテスの軍を、かつて東海岸で姿を消した神『ケツァルコアトル』だと思い込み、進んでコルテス軍の言うとおりにした言われている。
いつの時代にもそこには『真理(神)』があり、それを解釈する『人間』がいるということだ。ハッキリと言えることは、人間はその解釈に依存してしまっていて、そして、その解釈が正しいものかどうかはわからないということである。今回の登場人物では、ラス・カサスが最も正解に近い解釈をしたが、しかしそれでも完璧な解釈ではなかった。彼らにもキリスト教を受容する知性があると考えていたからだ。
[ケツァルコアトル]
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