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アフリカ大陸の持つ『異色』の歴史は『肌の色が異色』という重いキーワードをこの世に生み出した

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

アフリカ人はなぜ奴隷として扱われたの?わかりやすく簡潔に教えて!

勢いのあったヨーロッパから近かった、勢いがヨーロッパよりも劣っていたことなどが考えられます。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

奴隷の存在ははるか昔からありました。

戦争に勝った者が負けた者を奴隷にすることは、当たり前でした。まずはそういう歴史の事実が大前提としてあります。16世紀にアメリカ大陸のマヤ文明、インカ帝国等がスペイン人に支配されたのは、

 

  1. 奇襲された
  2. スペイン人の方が技術があった

 

という2つの条件があったからです。つまり、ヨーロッパ人の方が経済から技術からすべてが発展していて、見たこともない武器を突き付けられ、なす術もなく彼らはスペイン人の奴隷となりました。それは中央アメリカ、北アメリカ大陸のインディアン等の先住民でも同じことでした。更にアフリカにあった黒人王国は、ヨーロッパの船が西アフリカに到達すると彼らと貿易を始め『黒人奴隷』を労働力として輸出します。つまり、前述したような二つの条件に、

 

  1. 古くからあった奴隷システムにある種の諦めがあった
  2. 奴隷貿易を斡旋する黒人たちがいた

 

という条件も重なったことが大きいと言えるでしょう。奴隷というのは労働力でもあり、性的な意味での価値があり、倫理を一切無視すれば大変利益を生み出す『金の卵を産むガチョウ』ですから、そんなガチョウがいれば捕まえるのが当たり前だ、という考え方があったのでしょう。彼らの中には今でもろくに勉強できない環境で生きる人々が大勢いますが、そのように、

 

  • 知識ある人間が知識無い人間を騙す

 

という構図も存在していたでしょう。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

アフリカ大陸の歴史

『アフリカ大陸と黒人奴隷』

謎多き『エジプト文明』!かつて作られたピラミッドの全容はまだ完全に解明されていない

 

上記の記事の続きだ。世界四大文明は大体このあたりに作られた。

 

メソポタミア文明 紀元前6000~
エジプト文明 紀元前4000~
インダス文明 紀元前2500~
中国文明 紀元前14000~

 

また、アメリカ大陸にあった二大文明は以下のとおりだ。

 

マヤ文明 3世紀~16世紀
アステカ文明 14~16世紀

アメリカ大陸の二大文明は『メソアメリカ文明(マヤ・アステカ等)』と『アンデス文明(インカ等)』

 

クシュ王国

では、エジプト文明以外でアフリカ大陸に独自の文明はなかったのだろうか。実は、アフリカ大陸にも紀元前920年頃に、ナイル川上流のヌビアに『クシュ王国』という史上初の黒人王国が成立していた。なんと、エジプトを征服するほどの勢いを持っていたという。

 

 

だが、実はこれに関しての意見は参考書でバラバラで、一つによるとクシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、それは紀元前2600年ごろに興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配した。そう考えると、

 

紀元前2500~紀元前920年頃

 

というかなり曖昧な表現になってしまうことになる。このクシュ王国は『アクスム王国(100年頃 – 940年頃)』によって滅ぼされたとある。それは大体350年頃だ。それに関しては大体の資料で一致している事実らしいから、そう考えるとクシュ王国は、

 

紀元前2500(920年頃)~350年

 

まで続いたことになり、最低でも1200年、そして最高では2850年も続いたことになる。『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』には、

日本が二千年以上国家を営んできたことは世界史の奇蹟に違いない。その歴史がいかに長いかは、他の国と比較するとわかりやすい。日本に次いで長い歴史を持つ国はデンマークである。デンマークは建国から千数十年が経過したが、それでも日本の半分以下である。第三位は英国で千年にも満たない。中国に至ってはまだ六十年程度の歴史しかない。ロシアはソ連邦崩壊でできた新しい国である。

 

とあるが、そうなるとこの『クシュ王国』の方が長く続いたことになるが、どうだろうか。このあたりはよく実態がわかっていないということで、カウントしないのかもしれない。しかし下記の記事に書いたように、最古の現生人類の化石はエチオピアで見つかっているし、このあたりの地域にはもっと秘密が隠されていそうである。

 

 

MEMO

クシュ王国は基本的にスーダンのあたりを本拠地とした王国だが、古い時代の文献ではエジプト以南を「エチオピア(アイティオピア)」と呼んでいたので、クシュ人を「エチオピア人」と呼んでいる場合もある。

猿人→原人→旧人→新人。長い時間をかけて人類は少しずつ現代人に近い姿に進化していく

 

 

アクスム王国

アクスム王国はインドとローマと主に交易した。後に東ローマ帝国はアクスムに多大な影響を与えた。インド洋交易を中心に発展し、象牙・鼈甲・金・エメラルドを輸出し、絹・香辛料・手工業製品を輸入した。宗教的には、

 

  • キリスト教
  • イスラム教

 

も取り入れるなどして、柔軟性があった。

 

 

ガーナ王国、マリ王国

また、西アフリカのニジェール川沿いには、『ガーナ王国』や『マリ王国』などの黒人王国が次々に建国されていった。特にガーナ王国では、

 

  1. 象牙
  2. 岩塩

 

などの貿易で繁栄し、16世紀頃までアフリカは世界有数の貿易地域となった。

 

 

[11世紀頃のガーナ王国とサハラ越えの交易路]

 

そして7世紀頃にはイスラム教が広がっていく。イスラム教は商人を保護していたので、彼らが各地に居住地をつくりあげ、イスラム教がアフリカに広まっていった。ガーナ王国、マリ王国、ソンガイ王国と豊かだった時代もあるが、大航海時代からアフリカの雲行きは変わってしまうことになる。

 

中東で『アラブ帝国』と『イスラム帝国』が誕生!この世界にまた一つ大きなエネルギーが芽生える

 

 

大航海時代と奴隷貿易

更に下記の記事に書いたように、13世紀にはヴェネツィアの商品マルコ・ポーロが『東方見聞録』を著すなどして、西洋人は東方に興味を持つようになる。

 

MEMO

『東方見聞録』に見られる日本の記述。日本(ジパング)は、民家や宮殿が黄金でできている黄金の国だと紹介されている。

13世紀にあったチンギス=ハン一家の野望!『死体の山(ワールシュタット)』を作りながら領土を拡大

 

15~16世紀には、ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国が最盛期を迎え、ヨーロッパからアジアにつながる東西の交易路を押さえていた。特に『アジアの香辛料』が人気であり、イスラム圏からイタリア諸都市を経由して、高値で取引された。

 

スペインやポルトガルがある『イベリア半島』は、中世の時代にイスラム勢力に征服されていたが、キリスト教徒がこれを奪還しようとする『レコンキスタ(国土回復運動)』を行っていた。それは8世紀頃に始まり、11世紀頃に活発化し、15世紀の末に完了するが、それを機にポルトガルやスペインの海外進出が始まる。

 

 

『喜望峰(ケープ・オブ・グッド・ホープ)』への航海

まず、1487年にバーソロミュー・ディアスが初めてアフリカ西海岸に沿って南下し、暴風により漂流する間にアフリカ最南端『喜望峰(ケープ・オブ・グッド・ホープ)』を通過。スペイン・ポルトガルはまずはここまで航海を進めた。

 

 

 

アステカとインカの滅亡

その後、コロンブス、マゼランと続き、スペインの貴族であるコルテスは、1519年にハバナを出て、アステカ王国の首都テノチティトランに入る。一度は戦いに敗れるが、1521年にもういちど再占領し、アステカ王国を滅ぼした。また、1531年にはスペインの軍人ピサロがインカ帝国の内乱状態に乗じて乗り込み、1533年にはインカを滅ぼし、占領した。

 

[『インカの失われた都』マチュ・ピチュの風景]

アメリカ大陸の二大文明は『メソアメリカ文明(マヤ・アステカ等)』と『アンデス文明(インカ等)』

良くか悪くか、世界の形を大きく変えたスペイン・ポルトガルの『大航海時代』の幕開け

 

 

黒人王国の奴隷貿易

ではアフリカはどうか。この頃、ヨーロッパの船が西アフリカに到達すると、それらの黒人王国は彼らと貿易を始める。黒人王国は『黒人奴隷』を労働力として輸出。こうして『人』『奴隷』という形で、『商品』と同様に扱われた。王国はその代わりに、彼らから武器を輸入した。奴隷を捕らえて人を売るアフリカ、武器を売って人を買うヨーロッパ諸国という図式が成立していたのである。特に奴隷貿易で利益を得たのはイギリスだった。

 

[ギュスターヴ・ブーランジェの描いた奴隷市場]

 

イギリスは奴隷を使って世界各地に植民地を作り、そこで利益を得て、『産業革命』につなげる。映画『マンソンの女たち』では黒人が『1619年にこの地に来た』と言うセリフがある。また、『ワンピースマガジン10巻』にはこうある。

大航海時代以降、カリブ海のスペイン領ではさとうきびを生産するプランテーションが発達した。しかし、プランテーションが拡大するに伴い、労働力が不足するようになってきた。そのような状況下、目をつけられてしまったのがアフリカ大陸の人々だ。

 

更なる詳細は本にあるが、ここにはあのエリザベス女王も暗に関わっていて、この時代の闇が暴かれている。

 

イギリスを『世界の工場』にした3つの革命『農業・エネルギー・産業』革命とは

 

 

帝国主義を後押しした第二次産業革命

帝国主義の背中を押した『第二次産業革命』は、最初にイギリスで行われたそれとは、全く様相が違った。

 

産業革命 100個の商品を製造する機械を作った
第二次産業革命 上の機械を100台作れる機械を作った

 

もちろんこれによってすべて商品が売れればそれだけ利益は出るが、もし売れ残った場合は赤字になる。そういうプレッシャーも同時に生まれるようになってしまったのである。

 

植民地をもっと増やして商品を売らなければ!

 

そういう考えが、当時の資本主義国の頭をよぎっていたのである。そんな中、イギリスとフランスの勢いはけた違いだった。

 

植民地化させた国

イギリス 約70か国
フランス 約30か国

 

イギリスのシティは世界金融の中心となり、『世界の工場』と言われたイギリスは『世界の銀行』と言われるようになり、フランスも成長途中のロシアなどに先行投資をし、『高利貸し帝国主義』とも言われたが、両国が帝国主義の代表国となって躍進した。

 

イギリスを『世界の工場』にした3つの革命『農業・エネルギー・産業』革命とは

『三国同盟』に『三国協商』。次々と列強が同盟を組む!でも、そんなに大きな力同士が衝突したら…

 

 

『早い者勝ち』のアフリカ大陸

しかし、世界の列強がアフリカの豊富な資源に目をつけ始める。そして、19世紀後半には

 

  • イギリス
  • フランス
  • ドイツ
  • ベルギー

 

などがアフリカ分割を進め、列強同士でこの地を巡って衝突した。

 

イギリス スエズ運河会社株買収(1875)、エジプトの事実上保護国化(1882)
フランス アルジェリア占領(1830)、チュニジアの保護国化(1881)
ベルギー レオポルド2世がスタンリーをコンゴに派遣し血植民地化(1880年頃)

 

先ほどの記事にも書いたが、イギリスが開拓したオーストラリアでは、1851年に金鉱が発見され、『ゴールドラッシュ』が始まったように、アフリカにも銅や金、そして『ダイヤモンド』が豊富に存在することがわかった。

 

[シエラレオネのダイアモンド鉱山の鉱夫]

 

そこで、ベルギーがコンゴを私有地にして、『コンゴ自由国』としてそれらの資源を独占しようとするが、列強が黙っていなかった。ビスマルクが筆頭となり、『ベルリン会議』を開いて利害調整を行う。結果、

 

  1. 列強には先占権がある
  2. 実効支配する必要がある
  3. 支配の実績が必要

 

といった条件を出して、アフリカの領土は『早い者勝ち』状態となった。

 

時代を先導したスペインとポルトガルは、1494年にローマ教皇の仲介で『トルデシリャス条約』、『サラゴサ条約』を結び、勢力圏が取り決められた。そして、アジア方面はポルトガル、現ブラジルを除くアメリカ大陸はスペインの勢力圏として認められた。

 

トルデシリャス条約等によって決められた勢力圏

アジア方面 ポルトガル
現ブラジルを除くアメリカ大陸 スペイン

 

やはりここにあったのも『早い者勝ち』の大航海だった。我先に船でもって外国に進出し、世界史上まだ誰もしたことがない『他の島への侵攻』をしたのだ。それまでは様々な帝国が陸続きの国々を支配していたが、こうした試みはこの時が初めてだった。そしてこのアフリカ大陸争奪戦に続くわけである。

 

 

ファショダ事件

この時、『アフリカ縦断政策のイギリス』と『アフリカ横断政策のフランス』は、スーダンのファショダで接触し、一触即発となった(ファショダ事件)。しかし、フランスの敵はあくまでもドイツだったため、イギリスに一歩譲り、衝突は免れた。

 

[ファショダ事件(1898年)当時のアフリカ 南北に伸びるイギリスの植民地(黄色)と東西に伸びるフランスの植民地(赤色)の拡大政策が現在のスーダンで衝突した]

 

ベルリン会議でイギリス、フランス、ドイツは対立し、『第一次世界大戦』へと影響してしまう。更にこの分割はのちの国境紛争の原因にもなった。

 

[三国同盟(赤)と三国協商(青)]


参考
三国同盟 (1882年)Wikipedia

 

 

根強い人種差別

また、下記の記事に書いたように、中南米も植民地となっていた。宗主国の『スペイン、ポルトガル』が制圧し、中央アメリカもそれらの国が支配していた。

 

アメリカ大陸への進出

北アメリカ大陸 フランス、イギリス
南アメリカ大陸(中央アメリカ含む) スペイン、ポルトガル

 

  1. ペニンスラール(宗主国生まれの白人)
  2. クリオーニョ(植民地生まれの白人)
  3. メスティーソ(白人とインディアン、インディオとの混血)
  4. ムラート(黒人と白人との混血)
  5. サンボ(黒人とインディアン、インディオとの混血)
  6. インディオ(先住民)
  7. 黒人(アフリカから連れ去れらた奴隷)

 

中南米は、これらの人種が入り乱れ、混血が進んでいた。しかし、やはり奴隷の血は軽く扱われ、白人が一番尊重された。この上記のとおりのピラミッドとなったのだ。しかし、徐々にこうした『肌の色』や『血統』で身分が区別される社会のありかたは次第に効力を失っていく。そして、17世紀になって宗主国生まれの白人(ペニンスラール)と、クリオーリョと呼ばれる植民地生まれの白人との対立が生まれる。

 

ペニンスラール

宗主国生まれの白人。スペインで生まれた人々。

クリオーリョ

スペイン領植民地においてスペイン人を親として現地で生まれた人々。

クリオーロ

ポルトガル語の同じ意味だが、この場合は現地生まれの黒人の意味合いで用いられることのほうが多い。

 

植民地人は差別された!アメリカ・フランスの革命の波に影響され中南米(ラテンアメリカ)が次々と独立!

 

アメリカの第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは、一般市民の立場を尊重する『草の根民主主義』であり、これがアメリカ国民から大きな支持を得た。そしてこの考え方が、現在の個人主義のアメリカ的民主主義に影響を与えているわけだ。だが彼には残虐性もあり、先住民を迫害し、奴隷制度を固守して人種差別を徹底した。自身も多数の黒人奴隷を所有し、酷使した。

 

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