『憲法9条』
上記の記事の続きだ。さて、『日本国憲法』が1947年に施工されたあと、政治において政党政治が復活。
日本自由党 | 戦争中に政党寄りだった議員の党 |
日本進歩党 | 軍部寄りの立場だった党 |
日本社会党 | 労働者、農民を中心とした無産政党の党 |
日本共産党 | ソ連のような社会主義国家を狙う党 |
吉田茂と自由党は、アメリカと関係を重視し、鳩山一郎と日本民主党は『日米安全保障条約』を認めつつも、アメリカにあまりへこへこしないような姿勢を取るべきだと主張する。基本的には『軍備、憲法』の在り方について意見が割れていたわけだ。1955年、その中で、日本民主党と自由党が『自由民主党』として合流し、現在の『自民党(自由民主党)』が生まれた。
[1955年の自由党と日本民主党の保守合同による自由民主党結成大会。]
更に、社会体制の改革を求めた革新政党の日本社会党も、『サンフランシスコ平和条約』への賛否に対して分裂していた左派と右派が、政権奪取の為に再び統一された。これ以降、与党を自民党が、野党第一党を社会党が占め続ける『55年体制』が40年近く継続することになる。
『憲法9条』問題は冒頭の記事から続けて挙がっているわけだが、憲法を変えずに自衛隊を否定し、軍備を排除するメリットは、アメリカという巨大な傘の下に入れることだ。しかしデメリットは自立と判断されず、国際的な発言力の低下につながる。
憲法9条を遵守して軍備を放棄する
メリット | アメリカという巨大な傘の下に入れる |
デメリット | 国際的な発言力の低下 |
憲法9条を改正して軍備を整え自立する
メリット | 国際的な発言力の向上 |
デメリット | 戦争に巻き込まれる、戦争を推進することになる |
大企業に勤めている人が、そこを辞めて独立しようとするとき、似たような問題に直面するだろう。そのままでいた方があらゆる面でスムーズにいくが、報酬は独立したときよりも少なく、発言力も弱まる。『一社員』の声は自立した経営者よりは小さくなるからだ。責任も権利も格が違ってくるのである。
しかし、独立したらしたでもう大企業という有力なバックボーンは使えなくなる。あらゆる面で不便を強いられ、風当たりも強くなり、最悪の場合は競合他社に潰されるだろう。しかしもしその戦場の中で勝ち上がるなら、大きな地位を得ることができる。
もちろんこの問題は厳密にそれとは比較はできない。人の命がかかる『戦争』に繋がる軍備の話だからだ。しかし、とにかくこのようなイメージで、日本は現在に至るまで、この『憲法9条の矛盾』についてのジレンマに悩まされ続けているのである。
[2011年(平成23年)3月26日
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)における自衛隊の災害派遣活動と在日米軍のトモダチ作戦における陸上自衛隊とアメリカ陸軍・アメリカの協力。]
例えば、2014年からあった『憲法9条にノーベル平和賞を』は、は神奈川県座間市の日本バプテスト連盟会員の鷹巣直美が発案した、日本国憲法第9条にノーベル平和賞が与えられることをもとめた社会運動である。運動主体は「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会で、受賞対象は日本国民。2014年5月22日、小西洋之、吉良佳子などが、日本の憲法9条にノーベル平和賞を授与するよう求める文書を駐日ノルウェー大使館を通じてノルウェー・ノーベル委員会に提出したと発表した。文書には、与野党7党と無所属議員の計60人が賛同者に名を連ねた。
つまり、『憲法9条の存在自体が、この世界の平和に貢献しているのだ』という主張があったのである。実際にはこの話は流れたが、確かに真理の面から考えれば、すべての国が核を放棄し、武器を放棄し、軍備を放棄すれば、それだけで一気にこの世界は世界平和に大きく前進する。その意味で、中々興味深い的を突いたアクションだったと言えるだろう。
その後鳩山内閣は、ソ連と交渉し『日ソ共同宣言(1956年(昭和31年)10月19日)』を調印し、西側のみとだけしか話し合いをまとめていなかった段階から前進。これにより、日本の国際連合の加盟が実現する。
国連に加入が認められなかった期間
日本 | 11年間 |
イタリア | 10年間 |
ドイツ | 28年間 |
しかし、現在進行形で日本とロシアは『北方領土問題』によって、完全なる和解は実現していない。ロシアは常に警戒を怠れない国で、中国同様、次に世界の覇権を握る可能性がある国として挙げられている。2014年、ロシアの隣国のウクライナで親欧米派政権すると、ロシアはウクライナ領内のクリミアに軍隊を進駐し、クリミアを併合。第二次世界大戦、冷戦が終わった後でさえも、軍事力を使って他国に介入し、帝国主義的な野心を見せ続けているのだ。
ヨーロッパの覇権の推移を見てみよう。
ヨーロッパの覇権の推移
そしてこの後だ。規模もヨーロッパから『世界』へと変え、まとめ方は『世界で強い勢力を持った国』とする。
17世紀のイギリス以降世界で強い勢力を持った国
この時点は1956年で、米ソの冷戦も終わっていないが、それが始まる前も終わった後も、アメリカがこの世界の覇権を握っている。だが、この次に来る可能性がある国が『ロシア』になる可能性があるとも噂されているのだ。そんな野心たっぷりの国が日本との領土問題で簡単にこちらの思惑通りに話を進めるはずがない。虎視眈々と野望を抱くロシアの動向は、今度も目を離すことができない。
さて、鳩山一郎が引退し、石橋湛山が首相になるも、すぐに病気で辞任、岸信介が臨時の代理を務めた。岸内閣はアメリカとの関係については話を進める。日本の主な米軍基地は以下のとおりだが、
日本の主な米軍基地
実際には全国に130か所あり、うち、米軍専用基地は81か所で、他は自衛隊との共用だ。最も多くニュースに登場するのは沖縄の基地だが、実際には全国のほとんどの場所にこれが設置してあり、見方によってはこれはやはり『占領』である。ただ、何か世界大戦規模の問題が起きないくらい、これらの施設が直接的な脅威となることはないだろう。しかし、周囲の住民には様々な問題が浮上していて、やはりこの基地に対する反対運動は当時から行われていた。
当時はまだ完全に友好的な条約は結ばれていなかったため、岸信介内閣は『日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)』の調印を行う。これにより、
といったメリットを得ることができた。しかし、相互に守り合うと、アメリカがもし戦争をしたとき日本がそれに巻き込まれることになる。結局、全世界の人が『憲法9条』のような制定をしない限り、何をしてもこの世界にはこういう矛盾と窮屈さが生まれることになり、どこかで妥協するか、だれかが犠牲になり、代償を払って、それ以上の大ごとにならないように祈るしかない状態が続いてしまうのである。
例えば北朝鮮は、根底の部分で
アメリカにはどうやっても勝てない…
と分かっているからこそ、『あと一歩』をいつまでも踏み出さない。どんなに挑発的な行為をしても、一定のラインだけは絶対に超えないようにし続けている。それを超えたら軍事制裁が下され、国が終わるからだ。しかし、もしアメリカにその『強力な軍事力』がない場合どうなるだろうか。そう考えたとき、確かにこの世界に『抑止力』が必要とされる場面が存在していて、それは『必要悪』のように、周囲の人に緊張感を与えつつも、この世のウイルスの暴走を監視し続けているのである。
その後、池田勇人が第58代目総理大臣(1960年7月19日 – 1964年11月9日)となる。冒頭の記事にも書いたように、この時に高度経済成長は勢いを増した。『所得倍増計画』を打ち出し、『10年で給料を倍にする』と宣言。実際にそれは実現されることになった。更に、中華人民共和国との『LT貿易』を開始し、中国市場にも参入。
日本は『GATT12条国』から『11条国』へ。『IMF14条国』から『8条国』へ移行し、『先進国クラブ』ともいわれる『OECD(経済協力開発機構)』へも加入。そして1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間には『東京オリンピック』も開催され、日本の景気はどんどん加速していき、1968年にGNP(国内総生産)でアメリカに次ぐ第2位となり、このことも、日露戦争で東郷平八郎が最強のバルチック艦隊を撃破して強国ロシアに勝ち、列強の仲間入りを成し遂げたとき同様、『東洋の奇跡』と言われ、世界から称賛の目が向けられた。
オリエンタルラジオの中田敦彦さんがこの問題をまとめた人気動画があります。
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