『バブル経済』
憲法9条にノーベル平和賞を与えるだけではなく、この世界から戦争の種になる全ての原因を取り除け!
上記の記事の続きだ。さて、第64、65代目総理大臣となったのは田中角栄(1972年7月7日 – 1974年12月9日)だ。彼の時は、この少し前にあった『ニクソン・ショック(ドル・ショック)』では、アメリカが金とドルの交換をやめ、『金本位制』を停止していた。ベトナム戦争による多額の出費で、アメリカから金が大量に流出していたので、『不換紙幣』を大量印刷する緊急措置を行ったのだ。
19世紀後半の日本も、
- 西南戦争
- 生糸産業の不調
- 金貨の流出
といった問題によって財政難に陥っていたため、それを何とかしようと『不換紙幣』を大量印刷。これは、『兌換紙幣』は金と同じ量だけしか発行できないので、これで一時的な対処をしたつもりだったのだが、いつでも紙幣の大量印刷というのはインフレのリスクを抱えている。結局この時も、市場に紙幣があふれて紙幣価値が下がり、物価の値は上がるというインフレが起きてしまった。民衆は紙幣をたくさん手に入れたが、政府は『価値の落ちた紙幣』しか集められず、更に財政難に陥った。
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金は国外に漏れないが、その代わりインフレが起きる可能性があるのが不換紙幣の印刷だったのだ。やはりこの時も『ドル安』となり、これ以降アメリカでは金本位制は復活していない。1973年、為替レートはついに『変動相場制』に移行し、これ以降為替レートは毎日変動するようになり、輸出産業が円高基調に苦しむようになった。
- 1ドル=360円(1ドルを360円払って手に入れる必要があるので、円が安く見積もられている。円安。)
- 1ドル=100円(1ドルを100円払って手に入れられるようになった。円が高く見積もられている。円高。)
アメリカで売っているホットドッグが1ドルだった場合、それが100円なのか360円なのかということは大きく違う。だから円が高いと一般の人や輸入する際には『価格が安くなるから便利』なのだが、輸出をしたり、日本に来る人が『価格が高くなるから不便』になるわけだ。
『円高・ドル安』となり、輸出は貿易不振となる。またこの頃、
- アメリカ
- 中華人民共和国
- 中華民国(台湾)
- 日本
の国の間でも様々な問題があり、中華人民共和国が『正式な中国』となって『国連代表権』を得る。毛沢東率いる共産党に敗れた国民党は、台湾に逃れて国民政府を維持し、中国には共産党、台湾には国民党があり、『どちらも正当な中国である』と主張する構造ができたのだが、これがハッキリした形だ。
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また、アメリカのニクソン政権の課題は、
- 対共産圏外交の見直し
- 傷ついたアメリカの指導力の奪回
にあった。例えば、1971年の外交政策にはこういうものがあった。
- 南ベトナムとの国境を越えてラオスに侵攻(2月)。
- 日本と沖縄返還協定を締結(6月)。
- 中華人民共和国に翌年訪問すると発表(7月)。(第1次ニクソン・ショック)
- ドルと金との交換停止。10%の輸入課徴金実施(8月)。(第2次ニクソン・ショック・ドル・ショック)
- アンカレッジで欧州訪問途次の昭和天皇・皇后と会談(9月)。
- スミソニアン博物館での多国間通貨調整会議でドルと金との交換レートを引き下げ、円などの他国通貨との為替レートでドルの切り下げを決定(12月)。
- 国際連合で採択された海底軍事利用禁止条約に調印。
[昭和天皇(左から2人目)、香淳皇后(左から1人目)とニクソン(右から2人目)、妻のパット]
[ニクソンと周恩来との会談]
中ソ対立を利用して中国に接近し、1972年に訪中を実現。これを圧力にして、ソ連を和平交渉のテーブルにつかせるという現実主義外交が展開された。
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しかしこのせいで、アメリカが中華人民共和国と繋がり、中華民国(台湾)と国交断絶。それに従う形で日本も台湾と繋がれなくなり、更にそこに『オイル・ショック』が重なり、経済成長率はついにストップ。高度経済成長期はここで終わりを迎えた。
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その後、田中角栄内閣は中国と『日中共同声明』を出し、国交を開く。次の三木武夫は『ロッキード事件』の影響で辞任。福田赳夫(たけお)、大平正芳と首相が交代していく。
消費税を取れば景気は回復するかなあ…?
この時『第二次オイルショック』があり、『一般消費税』を考えるが反対され実現不可能。次の鈴木善幸(ぜんこう)を経て、中曽根康弘が第71~73代目総理大臣となった(1982年11月27日 – 1987年11月6日)。『戦後政治の総決算』を唱え、『行財政改革』を行う。収益性を向上するために、
- 電電公社→NTT
- 専売公社→JT
- 国鉄→JR
と次々と民営化し、大型間接税の導入を唱えた。
税収の増加が見込まれるようになる。日本の鉄道が国有だった時代には、資産に対する固定資産税は非課税だった。それが民営化され株式会社になれば、民間の不動産として『固定資産税』を課税できるようになる。また、民間企業となり黒字化すれば、『法人税』も課税できるようになる。
ニクソン・ショックやオイル・ショックの影響もあり、昔ながらの『鉄鋼・造船・石油化学』といった重化学工業は停滞したが、『自動車・半導体』等の新しい産業は活発化し、貿易は黒字化された。しかしこの時アメリカは『双子の赤字』を抱えていた。先ほどの『ケネディ、ニクソン、レーガン』の記事に書いたが、
レーガンは『レーガノミクス』と呼ばれる新自由主義的な経済政策が採用される。レーガノミクスは、グループ・ブリュッセル・ランバートがコールバーグ・クラビス・ロバーツやフィデリティ・インベストメンツと連携し、M&Aを流行させ、米国史上3番目に長い平時の好景気だったとされ、レーガン政権は「アメリカ経済は復活した」として、政策の効果を主張したが、結局『レーガン政権』は『双子の赤字』を生んで終わった。
[自らの減税プランをテレビで説明するレーガン大統領, 1981年7月]
同年代でお互い保守派として知られた中曽根康弘との間では、中曽根を「ヤス」と呼び、レーガンを「ロン」と愛称で呼ぶ仲となり、この呼び方は当時「ロン・ヤス」とあだ名されてお互い交流を結んだ。
- アメリカ
- イギリス
- 西ドイツ
- フランス
- 日本
は会議を行い、日本の不当な円安を改めて、大幅な円高に為替相場を誘導するべきだという『プラザ合意』がなされた。つまり、アメリカの景気が悪いく、日本の景気がいいのに『円が安い』のは不当だということだ。
欧米
日本
これにより、『1ドル=240円程度』→『1ドル=120円程度』に変更され、日本製品は世界市場で2倍の値上がりとなり、物が売れない『円高不況』に陥った。
しかし、日本は『低金利政策』を取り、銀行からの貸出金利を下げて企業への融資を活発化させ、企業の景気を向上させることに成功。また、企業だけではなく、借金へのハードルが低くなったことで多くの人が、
- 土地
- 株式
- 債権
といった資産を甲斐、値が上がったら売って借金を返すという『投機』が活発化。それにより、それらの価格が実際の価格以上に高騰し、『バブル経済』が訪れるようになる。この時代、タクシーを捕まえるために1万円を振って、クラブや飲み屋では数千万円も支払うような羽振りの良い客がよく見られるようになった。
しかし、『バブル(泡)』というぐらいだ。それがはじけて消えるのも早かった。土地や資産を高値でつかみ、次の買い手が見つからない場合には損をし、借金を返せずに会社が倒産し、賃金が帰ってこない金融機関も唐さんという連鎖倒産が起きた。この後の日本は『失われた20年』と言われる景気低迷の時代に突入することになる。
バブル崩壊後の1990年代初頭から2000年代初頭までの経済低迷期間を指して「失われた10年」と呼ばれていたが、サブプライムローン問題をきっかけに世界金融危機へ発展し、世界同時不況へと陥る。バブル崩壊後から10年以上が経っても、経済の低迷が完全に改善されなかったとされた。
ちなみに下記の記事に書いた岩倉具視の玄孫でもある加山雄三の23億円の借金も、バブルの時代に作られたものだ。
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しかし、この時代にあっても情勢に流されない信念のある人もいた。松下幸之助から『経営の神様』の異名を受け継いだに等しい、京セラ会長の稲盛和夫は、ソフトバンクの孫正義、ユニクロことファーストリテイリングの柳井正、楽天の三木谷浩史らを上回り、『理想の経営者』の第一位に選ばれる、経営者の中の経営者である。彼の著書『生き方』にはこうある。
たとえば日本経済はいまだにバブルの後遺症から抜け出せていません。当時、多くの企業が我先にと不動産の登記に血道を上げました。土地を所有し転売するだけで、その資産価値がどんどん上がっていく。その値上がりを見込んで銀行から巨額のお金を借り、それをまた不動産投資につぎ込む。こういうことを多くの企業がやっていたのです。
持っているだけで品物の価値が上がっていく。経済原則からいったら、おかしなことなのですが、そのような原則に反する行為が当たり前のように行われていましたし。しかしバブルがはじけるとともに、価値を生むはずの資産は一転して負の財産に変わり、多くの企業が不良債権を×ことになりました。
いや、それはバブル熱が冷めた今だから言えることだろうというかもしれません。でもたしかな原理原則、哲学を持っていれば、どんな状況の中でも正しい判断ができたはずなのです。京セラには、それまで堂々と蓄積してきた多額の現預金がありましたから、それを不動産投資に回さないかという誘いを随分受けました。(中略)
しかし私は、土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり浮利にすぎない。簡単に手に入るお金は簡単に逃げていくものだ。そう思っていたので、投資の話はみんな断っていました。
彼は、かつて『鎮護国家』としてこの国を支えた仏教の中から真理を得て、ぶれることのない、地に足のついた『生き方』をし、世界から称賛される人物となった。
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渋沢栄一らが重んじた『儒学』もそうだが、。儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』の四名の歴史的賢人が教えた『真理』とは、本当はこのような状況で活躍する人類の英知なのである。
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第74代目総理大臣は竹下登(1987年11月6日 – 1989年6月3日)。ここで初めて『消費税』が『3%』で導入される。しかし、『リクルート事件』による余波の影響で総辞職。1989年から『平成』時代に入った。
大量生産・消費時代、高度経済成長期のエンターテインメントのキーワード
- 海外旅行
- 国内レジャー
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- カローラ
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- 日本万国博覧会
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昭和中期から高度経済成長期を経て、バブル経済を経験した日本は、1990年代以降は長期にわたる『不況』に陥った。更に、40年近く続いた『55年体制』も終わり、政局が安定せず、様々な新党が生まれては消えていった。
1989~2019年までの総理大臣(30年間)
75代目 | 宇野宗佑 | 女性問題で辞職 |
76、77代目 | 海部俊樹(かいふとしき) | 湾岸戦争とバブル崩壊の影響を受ける |
78代目 | 宮澤喜一 | 『PKO協力法』で自衛隊の海外派遣 |
79代目 | 細川護熙(もりひろ) | 消費税撤廃の国民福祉税の導入に失敗 |
80代目 | 羽田孜(つとむ | 2か月で総辞職 |
81代目 | 村山富市 | 社会党の立場を変更。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件発生。 |
82、83代目 | 橋本龍太郎 | 普天間飛行場の移設条件付きの返還、『新ガイドライン』 |
84代目 | 小渕恵三 | 新ガイドライン関連法で自衛隊の米軍への後方支援を可能に |
85、86代目 | 森喜朗 | 1年で総辞職 |
87~89代目 | 小泉純一郎 | 郵政民営化。北朝鮮拉致問題の前進 |
90代目 | 安倍晋三 | 健康不良で早期退陣 |
91代目 | 福田康夫 | 1年で総辞職 |
92代目 | 麻生太郎 | 1年で総辞職 |
93代目 | 鳩山由紀夫 | 『事業仕分け』で予算捻出するもうまくいかない |
94代目 | 菅直人 | 東日本大震災と福島原発事故の対応に追われる |
95代目 | 野田佳彦 | 消費税の段階的増税 |
96~98代目 | 安倍晋三 | 集団的自衛権の遙任、『アベノミクス』でデフレ脱却に貢献 |
バブルが崩壊した1994年には『価格破壊』という言葉が流行語となり、日本は出口の見えないデフレ時代に突入する。海部内閣の湾岸戦争では『憲法9条』があるから自衛隊を海外派遣できず、130億ドルの資金協力だけとなった。しかしそれでは国際的に評価されず、次の宮沢内閣で『PKO(国連平和維持活動)協力法』が成立し、自衛隊の派遣が可能となった。また、2001年の『アメリカ同時多発テロ』では、自衛隊が米軍の活動を後方支援する『テロ対策特別措置法』が時限立法で成立。
イラク戦争後には、イラク復興の為に同治に自衛隊を派遣する『イラク特措法(とくそほう)』も時限立法で成立。そして2015年には集団的自衛権の行使を認めた『安全保障関連法』が成立。また、東日本大震災の時にはアメリカ軍も『トモダチ作戦』として救済を支援してくれた。
[被災者と協力して瓦礫の撤去作業に従事するアメリカ水兵(同年3月15日)]
[被災者に救援物資を届けるアメリカ海軍航空隊員(同年3月15日)]
[被災地へ転送するため、アメリカ海軍のドック型揚陸艦「トーテュガ」に積載される陸上自衛隊の車両(同年3月16日)]
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